2017.05.26

古今和歌集のよみ人しらず

古今和歌集は平安前期の最初の勅撰和歌集である。撰者は紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑の4人で、延喜5年(905年)に奏上された(仮名序によると4月18日、真名序では4月15日)。

全20巻1,111首(流布している定家本による)は第1巻から第6巻が四季、そのあとに賀の第7巻、離別の第8巻、羈旅の第9巻、物名の第10巻が続き、第11巻から第15巻が恋歌、第16巻の哀傷、第17巻と第18巻の雑、第19巻の雑躰、そして第20巻の大歌所御歌に類別される。その整然とした体裁は後の勅撰集に踏襲されることとなった。

歌の作者を見ると撰者4人のものが2割以上を占め(紀友則46、紀貫之102、凡河内躬恒60、壬生忠岑36、計244首)、撰者より少し前の時代の六歌仙に数えられた在原業平30、僧正遍昭18、小野小町17を加えれば300首を超える。そこからは編纂をした当時の現代人の歌が重きをなしていたことがわかる。

しかし古今集に採録された歌のうち4割ほどはよみ人しらずの歌である。よみ人しらずとは和歌集において歌の作者が不明であったり匿名であるときの表現であるが、本当に不明のこともあれば、千載和歌集の「さざなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな」の歌のように作者がわかっていても事情があって明らかにしないこともある(平忠度がこの歌を師の藤原俊成に託した心根はまことにあわれである)。

さて、古今集によみ人しらずの歌におやと思ったのが大岡信さんである。それは本当によみ人しらずなのか。そこには撰者による創作が混じていたのではないか、大岡さんはそう考えた (「贈答と機智と奇想」)。これを発表したとき大岡さんは42歳、大学卒業後10年勤めた読売新聞社を退職し明治大学で教えていらしたときのこと。この話を含めた古典詩歌に関する一連の論考は『うたげと孤心』にまとめられている。

(大岡さんは先月86歳で逝去されました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。)

では大岡さんは何故古今集によみ人しらずの歌が撰者による創作と考えるのか。

(1)まずそれは古今集の整然とした構成に関係する。古今集では四季の歌であれ恋の歌であれ、念入りに時の推移を追う形で配列されている。そこでは全体の構成が重視され歌の個性は無視されることになる。作者も作歌動機も制作の時も場所も捨象されて、歌が全体の流れに適うように配列されていくのである。

(2)このために撰者は歌に手を入れる。平安前期の私撰集である『古今和歌六帖』にとられているのと同じ歌が、古今集では優美、婉曲、間接、朧化のため改作されていると推定される。六帖の歌の方が概ね自然かつ直接的な詠みぶりであるのに対し、古今集の同じ歌はひねりやなめしがかけられている、というのである。

(3)そもそも撰者たちは、遊び、機知と架空の歌を競作しているような人々であった。そのこともよみ人しらずに撰者による創作が混じていたと考える心証になっている。

創作を組み入れるのは、少し後の平安中期にもある。曾禰好忠と源順が実に複雑な言葉遊びを創作している。古今集の撰者が同じことをしても不思議はないのである。

このような強烈な編集意識を持つ撰者は、歌の流れを完璧なものにするため、好材料の不足している部分には、自ら「よみ人しらず」の名を借りて歌を編入したこともあるのではないか、それが大岡さんの仮説である。そこで実際に歌を並べての検討してみるとどうなるか。

720 よみ人しらす
たえす行/あすかの川の/よとみなは/心あるとや/人の思はん
721 よみ人しらす
淀川の/よとむと人は/見るらめと/なかれてふかき/心ある物を
722 素性法師
そこひなき/淵やはさはく/山川の/浅き瀬にこそ/あた波はたて
723 よみ人しらす
紅の/はつ花そめの/色ふかく/思ひし心/われ忘れめや
724 かはらの左大臣
陸奥の/忍ふもちすり/誰ゆへに/乱れむと思/我ならなくに

ここでは歌の中のある語句が、次の歌の中にそれと対比的な語句や類推連想される語句を導き出している。精妙な連鎖である。そうではあるが精妙すぎる。それが誂えたように並んでいる。

作者のわかっている歌とよみ人しらずがうまく配置されすぎていて、しかもはめ込まれたよみ人しらずの歌は、それだけで見たときには少しばかり影が薄いとも大岡さんは感じている。優れた歌の体臭が感じられずそつなくまとめあげたとすれば、「よみ人しらず」という文字が何かしらうさん臭いものに見えてくる、というののである。

なるほど、指摘されていることを順番に追っていけば、頷ける。まあ普通はなかなかそこまでわからない。撰者の微妙な感覚による編集の匙加減を読みとれるのは、実作をする詩人であるからこそであろう。実に興味深いお話である。

しかし「贈答と機智と奇想」という論考は、特に古今和歌集のよみ人しらずについて論じたものではない。よみ人しらずについての仮説は幾重にもなっているこの論考の構造の中の一つの話にすぎない。論考は重層的で、まず歌そのものの鑑賞があり、作者・撰者の考察があり、詞華集としての古今和歌集について考え、そのうえで全体を「贈答と機知と奇想」という表題にまとめているのである。

それだけに読む方も本を開くたびに違った読み方ができる。「古今和歌集のよみ人しらず」という一文を草したのも、そのような刺激を受けたからにほかならない。つまり大岡さんの様々な問題意識で書かれた論考を解きほぐして、よみ人知らずの問題に絞り、それを自分のわかりやすいように書き改めたのである。

様々な話題が含まれているゆえに、この章の最後の曾禰好忠と源順との話も、それだけで別の独立した論題になる。漢文学にも優れた学究でありながら官位の上では従五位上どまりであった源順の家集『源順集』を読み解き、遊びの向こうにある源順の心境を想像し、現代に通ずる人間を浮かび上がらせる。

***

『うたげと孤心』という本は、「贈答と機智と奇想」の章だけではなくいずれの章においても、個別の問題に意識に集中して論ずるというより、その表題となっている「うたげと弧心」という大きな問題意識で、様々な事例を挙げていくようにして書かれている。

ではその「うたげ」とは何か、「弧心」とは何か。

日本の詩歌を含む文芸全般さらに諸芸道では、一方に「合す」原理があり、それがうたげである。他方に「孤心に還る」意志が働いている。どちらか一方ではなくその両者に緊張関係があるときに作品は稀有の輝きを発したというのである。

そのような観点でこの本は古典詩歌を見ていく。その後の「公子と浮かれ女」の章では藤原公任と和泉式部の歌の贈答を分析する。その犀利な読みの背後に、大岡氏の実作の詩人としての感性があると思う。

同章の最後の「錯綜する意味のもつれ糸を解きほぐしながら、一人の作者が、彼以外の何ものでもない姿をあらわしはじめるまで解きほぐしつづけることほど深い喜びはない。千年前の詩人が、隣人として語りはじめるのを感じるとき、私は「本」というものの世界が無限であることを、驚きをもって何度でもくりかえし信じるのだ。」との彼の言葉にこちらも胸が熱くなる。

後半の3つの章は、後白河法皇における梁塵秘抄の持つ意味を梁塵秘抄口伝集から読み解いていく。法皇がこの歌謡に情熱を傾けたさまに改めて感嘆することとなった。

大岡さんは「もとよりこれは学問的な研究書ではない」と謙遜され「大方はゆくえ定めぬ古典世界の彷徨である」と述べられているが、実に多くの古今の歌集や歌論書、資料を使い例証されている。多くのことを教えられた。

・手習い歌には「いろは歌」よりまえに「あめつちの歌」「たゐに」などの手習歌があったというお話などその一例である。

・歌が一首だけの孤独な詠嘆ではない、つまり近代になっての自己の確立と裏腹をなす生真面目な自己表現のものだけではないとの指摘に成程と頷く。子規や赤彦とは違う世界があったのである。

この本は出て間もなく読んだが、今思うとその当時は猫に小判であったかもしれない。読み直してみると、こちらの理解も多少進んだのか、千年前の人々についての手触りを得たというか、内容の深さと広がりを楽しむことができて良い読書体験となった。再読もまたよし。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.05.21

コンポスト

長く使っていた堆肥の箱が壊れたのでフェンスの金網で作り直す。差し渡し1メートル弱の円筒を2つ作り、新しく出た堆肥の素材を入れるものと熟成したもの保管するものとを切り替えるのである。カルワースのキッチンガーデンでしていたのと同じ方式。

できた円筒に中身を移す。堆肥の切り返しにもなりちょうど良い機会。中はそれなりの温度になっている。土になりかけの所ではミミズがたくさん動いて仕事をしてくれている。元は刈り取った芝草や庭の草花、台所の野菜くず、馬糞や海藻など。砕いた貝殻や木質もある。栄養満点。秋には黒々とした堆肥ができる。

それが終わりまた画面に戻る。原油から最終製品まで様々な市場を分析する長いレポート。もう少し。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.05.09

出前

散歩から戻るとルイから電話がある。切迫した感じで腰が痛くて寝られなかったという。わかったすぐ行く。困っての頼みごと、待たされては辛かろう。

彼は肉屋を引退し今は村人の菜園の手入れなどを手伝っている。腰の一部に負担のかかるようなことが続いて、昨日何かの拍子に痛みが出たのかもしれない。タオル、ベビーパウダー、マッサージ用オイルを持って本村の彼の家に行く。入ってくれと声がするので扉を開けると、クラッチ杖を使って居間から出てきた。かなり痛そうにしている。

ベッドに横になってもらう。シャツを脱ぐかと聞くので、そうしてくれと答えると、ズボンも脱ぎパンツ一つになって、左の腰を上にして横たわる。仰向けになるため身体をひねるときには痛そうに顔をしかめる。両足の長さを見比べると左が少し伸びている。片足ずつそっと曲げたり回して、人体解剖図を思い浮かべながら、痛いところを見極める。

痛みの原因は筋肉ではない。筋や腱でもない。骨盤の飛び出しているところに異常はない。臀部の下の方で少し内側が痛そうとなれば、股関節のどこかに疲労骨折があるのかもしれない。

そうなると素人の手には負えない。しかし痛がっている彼を放置するわけにもいくまい。小一時間静かに腰の周辺をマッサージする。手を触れてさすっていればその部分の血行が良くなり皮膚の温度も上がってくる。初めは赤い顔をしていたが普通になり、荒かった息も落ち着いてきた。

マッサージを終え、彼が身なりを整えるのを手伝い居間に戻る。触っていて思ったことを紙に書いて説明する。そのうちにマルティーヌと息子のドミニクが町から帰ってきてコーヒーを出してくれる。数日は安静にして腰に負担がかからないようにし、専門家に見てもらうこと、マッサージならいくらでもするから、明日の朝も痛ければ電話をしてくれと言って辞去した。マルティーヌが持っていってくれと山ほど卵をくれた。

夕刻アンサンブルの練習に行く前にもう一度顔を出すと、午後にポリクリニックに行って鎮痛の薬の処方をもらってきたという。早く治るようにと言って練習に出かけた。

ささやかな地域奉仕だが、こうして新参の者を頼ってくれるのを有難く思う。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.05.06

私のはげおろじい

紙類を整理していたら、就職してしばらくして職場の社内報に書いた戯文が出てきた。1979年4月のものである。

***

私は床屋に行かない。散髪は常に自宅である。それが稀には職場の地下の理髪のお世話になることがある。以下はそこでの問答に端を発する一連の話である。題して「私のはげおろじい」。

地下の理髪で散髪をしながら話していて「頭の大きさの個体差如何」という話になった。色々ありますがここの人には概して大きな頭の人が多いですねとの答え。僕の頭はいかがと尋ねると、普通ですねの一言で片付けられ、内心大いに不服ながらも、話題を転じてそれでは頭の硬さはと重ねて問うと、もんでみた感触は人それぞれに異なりますねと言う。ただ大頭の人は頭が固くてしかも毛が少ないらしい。

頭の硬軟は頭蓋骨の硬さと頭皮の厚みによるのだが、脳味噌の詰まった頭は頭蓋骨も大きく、かつ頭皮がぴんと張りきっている。従って、毛根が十分育つだけの厚みが無く、薄皮饅頭のようになっている。だから頭の毛も少なくなるのであろう。私はこれを薄皮饅頭の仮説と呼んでいる。

古代ギリシア悲劇詩人アイスキュロスは、そのつるつる然とした金柑頭に空飛ぶ鷲から亀を落とされ、あえなく頓死したという。この挿話は漱石の『吾輩は猫である』に出てくるのだが、漱石も学者作家の頭はみんな禿げていると思っているらしい。ただ漱石の禿げの理論は、私の薄皮饅頭仮説とやや異なる。何故頭が禿げるかいえば、頭の栄養不足で毛が成長するほど活気がないからに相違ない。学者作家は最も多く頭を使うもので、また、大概は貧乏に極まっている。だから学者作家の頭はみんな栄養不足で、みんな禿げているのだという。

いずれの仮説を採るにしろ、私がここで提示したいのは、頭が大きく脳味噌の詰まった人には毛の薄い(またはまったく死滅している)人が多いのではないかということである。

ところが漱石の言うごとく学者作家の頭は禿げに決まっているかを、念のため大学の諸教授についてアルバムで検討してみると、逆の結果になるのである。法学部の教授37人のうち明らかに毛が無い(または非常に薄い)というのは、アメリカ政治外交史のS教授、東洋法制史のS教授、国際法のT教授の3氏にとどまり全体の1割に満たない。医学部では40人中「全滅」がただ1人、経済学部は28人が皆健在である。漱石の学者作家は禿げである、という説は誤りなのであろうか。

今私は、この直観的認識と客観的事実の相違の超克に苦慮しており、私の薄皮饅頭仮説を裏付けるような資料を探している次第である。

***

今読んでみれば単なる雑文であるが、それでも文章には、自分の関心のありようや方法論の萌芽のようなものがほの見えていない訳でもない。このような文章を書いた背後には、漱石が「猫」を書いたのにも通ずる気持が無きにしもあらずであったように思う。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.04.21

荒唐無稽

荒唐無稽な話をどこまで信ずるか。今はネットを使い真実に非ざる話が広がりやすくなっている。特に話が複雑になれば、理解しにくく陰謀論が入り込みやすい。それを防ぐにはどうしたらよいのか。

人が正しいかどうか判断できる物事には限界があり、その先には未知の領域が広がる。その境界がどこにあるかは人により異なるが、境界があるということは誰にも当てはまる。

妄想をたくましくする可能性を減らす一つの方策は、広く物事に目を配り事実を一つずつ確認していくことであろう。自分で了解できる範囲を広くするのである。少しずつでも確認を続けていればかなり範囲は広がる。

それと同時に理性的な判断をすること。少ない情報でも手持ちの事実と縦横に組み合わせてみれば、その筋道にうまくはまらない話は自ずと明らかになるので、それを排除する。

そして3つ目には、わからないことをわからないとしておくこと。別の言い方をすれば、わからないことを、自分の都合の良い方に解釈しないように心掛けるということ。これは一番難しいことかもしれない。苦しいときに藁にすがり、神を頼むのは人間の性かもしれない。都合の悪いことは誰かを悪人に仕立ててその者のしたことにする。それが陰謀論が生まれる土壌となる。自分に合わせて解釈せず、未知は未知として明らかにしておく。

理性に基づく判断とはこの3つの組み合わせかもしれない。自ら合理的に考えることで陰謀論が入り込む余地は少なくなる。

根拠のない話が様々に流布する昨今で、デビッド・ランシマンの話を読んだり聞いたりしての感想である。

あの大臣も、日頃学芸員の人たちが何をしているか、大英博物館でどのようなことが行われたのか、それを受け売りではなく自分で確かめていれば、おかしな発言をせずに済んだであろう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.04.11

バーンスタインのレオノーレ

仲の良い8人が集まったとき、オランダ独立の歴史からエグモントの話となり、さらに話題が流れて彼にまつわるベートーヴェンの序曲の話になった。エグモントばかりではなく、コリオラン、レオノーレの序曲も高校生の頃胸を熱くして聞いた覚えがある。そこで久しぶりに聞いてみようとネットを探してみた。

今はレコードやCDを探さずとも色々な演奏がいとも簡単に出てくる。古いものもあれば最近の演奏もあり、それが映像になって見られる。その中にレナード・バーンスタインの指揮によるレオノーレ序曲第3番があった。1976年10月にバイエルン放送交響楽団を指揮したもの。1918年生まれのバーンスタインはこのとき58歳ということになる(演奏はこちら)。

拍手に迎えられて登場したバーンスタインは、髭を蓄えているため記憶に定着している彼と印象が違うが、そのお髭やもみ上げの故か表情が穏やかに感ぜられる。彼が立つ指揮台の前に譜面はない。暗譜で指揮をするのである。

音楽は最初の全奏の一撃のあと静かに始まり、そこにクラリネットとファゴットが旋律を奏で、次いでフルートが登場し音楽が動き始める。

音楽は少しずつ緊張の度合いを高めていき、その高みに達したところで彼は斧を振り下ろすように指揮棒を振う。一撃、また一撃。そして決然と弦楽に向かい、あるいは一群の木管や低音弦を動員する。

やがて身の内から湧き上がる喜びの旋律が始まる。彼の表情や身体の動きはまるで「いいぞいいぞ」と言っているよう。軽く手を挙げ後方の楽器群に目をやるとそこからたちまちに音が出る。クレシェンドは全身で表現され、指揮棒はまるで動物に鞭をくれるように動く。バイオリンを指差すやたちまちに身を翻してチェロにバトンを向ける。

音楽はすべて彼の頭の中に入っている。ときには茶目な仕草が出てくる。小首を傾け無邪気にその音楽を楽しんでいるというか、嬉しくて仕方ないという表情で、ほらそこ、今度はこっちだと指揮棒を軽く向ける。するとそこから音楽が湧いてくる。ビブラートを引き出す。奥の金管をつかむように手を挙げる。そこから思い通りに音がほとばしる。これほど楽しそうな指揮者の映像は見たことがない。

裏手から2回トランペットが響いて曲は後半に入る。フルートが軽やかに吹き上がる旋律を奏でるとバーンスタインは逸り立つような弦楽器を猛獣使いのように御すかと思えばその力を一気に解放する。何とも優しい眼差しと合図をコロロと響かせるフルートに送る。

緊張をほぐすかのようなしばしの対話の間奏のあと、音楽はクライマックスに向かい疾走を始める。バーンスタインは足を踏み鳴らし(その音まで聞こえる)、肩をそびやかし、足を踏ん張り、弦をけしかけ金管を咆哮させ、オーケストラという巨大な生き物を意のままに動かしている。

レオノーレ序曲は勿論ベートーヴェンの作曲であるが、ここでの演奏はまるでバーンスタインが自らの音楽を奏でているように聞こえる。演奏を終えた瞬間の彼の表情はまことに晴れやか。

ネットで見聞きした演奏は指揮者もオーケストラも様々であった。若手の指揮者もいれば老練な指揮者もいる。オーケストラも千差万別。いい演奏は数多の条件が重なって初めて生まれるのであろうが、バーンスタインがバイエルン放送交響楽団という練達のオーケストラを得て行ったこの演奏は、特に優れたものと感じた。

何よりもバーンスタインの指揮ぶりは見ていて惚れ惚れする。ここには力のある人が本当に輝く瞬間が定着されている。彼が歿して27年となる。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.04.09

想定外か

世の中では思わぬことが色々起きる。不測の事態といい想定外という。それは天変地異かもしれないし、異文化との接触が原因のこともあるし、貰い事故のように外部の誰かの行為により起こされるものかもしれない。

思わぬものは外から来るばかりではない。自分の中に潜んでいることもある。見込み違いがある。思いと身体の動きの不一致による粗相もある。子供が思春期になり成人しやがて老化する。それぞれの段階で思わぬことが起きる。我が身の内にも異文化があると言ってもいい。異文化とは想定外の別称である。

想定外の事象に接して、おやと思い、へえと感ずる。場合によっては強い感情の虜になるかもしれない。集団を巻き込む混乱や騒擾となることもある。そのときに静かに対処できればできた人(できる人に非ず)。さてそれにはどうすればいいのか。

人は学習する。初めての事象に接し、混乱を克服し理解を深め行動様式を変える。さあこれで万全。今度は大丈夫と思うかもしれない。しかし本当に万全か。絶対に大丈夫か。同じことが起きれば学習効果が生かされる。しかし同じことはまず起きない。これでは想定外の事象に対処したことにならない。対策をとった瞬間に想定外ではなくなる。そもそも人間はどこまで予想できるのか。

それならいっそ、世の中は固定していないと考えたらどうか。学んだことが一生使えるわけではない。自然科学の普遍の真理に見えるようなことすら、常識を打ち破る考えが出てくる。全部知っておこうというのは無理。変化が常であると考える。観音菩薩の自在とはいかないが、すべてを想定外と観じ、変化を常態と心するだけでも違ってくる。まあ執着は少なくなる。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.04.02

長い黄昏

フラマンビルのシャトーでの展覧会。地元の作家の絵や彫刻などが並べられている。24回目となるその展示の会場は昨年からこのシャトーとなった。ここにはルイ14世がお成りになったという。

行ったのはレセプションが始まる午後7時過ぎ。飲み物やスナックを提供しているところでジェラールが忙しそうにしている。それをもらって歩いていくと、少し先のテーブルに既にいつもの皆が陣取って、こちらの席も空けてくれて待っている。周りのテーブルで談笑している人々もそれなりの年恰好。

皆と一緒に舞台のジャズを聴く。ソプラノのサキソフォン、トロンボーン、バンジョー、それにコントラバス。黒づくめに橙色のネクタイで、4人ともプロのような恰好をしているが、彼らも地元。サキソフォンを吹くのは亡くなったジャック・アドの兄さん。こちらのテーブルのセルジュとは親しいらしい。

ジャズの曲名は知らないがいずれも耳に馴染んだ旋律。時々それぞれの楽器がソロを奏でながら、コードが進行していく。人生を閲してきたような顔の人たちが集い、夕べの一刻にジャズを聴いているのを眺めていると、1930年代の古きヨーロッパの雰囲気はこうであったのかもしれないと感ずる。そう、これも一つの文化。

夏時間になって外はまだ明るい。高い天井に黄昏の光が漂っていた。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

失職か 文字と映像

美術史家や学芸員が書いた論文を訳すという仕事をしている。かなりの分量があり10日ほどかかる。取り掛かる前にまず下調べをする。この種の文書は読むだけでは内容を十分に理解できない。関連資料を読み、図版やその拡大写真を眺め、図面を理解し、地図を確認するなど、すべきことが色々ある。

調べているうちにその学芸員や関係者のインタビューが見つかった。それは動画になっている。ああこの人たちが書いているのか。話を聞いておくと、その後で文章を読んでいてもその人の口調が聞こえてくる。同じ主題についてテレビ局が採り上げた番組なども見つかった。3本見たところでおおよそのことが分かった。成程、そういうことか。これで仕事に取り掛かれる。

仕事はそれでいいが実は動画を見終えたときに愕然とした。文書を読んでいけば内容を理解するのに丸1日はかかることが、映像を眺めているとその内容がごく短時間にわかってしまうのである。失職するかと青くなった(というのは大げさであるが)。というか人類が文字から映像へと鞍替えするかもしれないと思ったのである。

人間は楽な方を選ぶ。寛ぎたいときには丹念に文字を追う読書より一目でわかる映像に走りがち。技術の進歩に伴い、文字だけではなく映像の処理も簡単になる。そのような事情で人類のものの理解の仕方や行動様式が変わってくる可能性があるのではないか。それは職業にも影響し、文字を拾う仕事はいずれなくなりはすまいか。そう思ったのである。いっそ映像の仕事に転職するか。さあ新しい事態にどう対処する。

当初、文字から映像への動きは技術革新に伴う新しい事態ではないかと思ったのであるが、あれこれ考えているうちに「百聞は一見に如かず」という言葉を思い出した。そうか、これは昔からある話ではないか。

では、なぜ百聞は一見に如かずと言われるのか。

それは文字と映像では情報量が圧倒的に違うからである。文字で一つずつ順番に繰り出される情報を受け取るのは針の穴から覗くようなもの。これに対し映像ではそれよりずっと多くのことが瞬時に見えてくる。動画になれば尚のこと。今は技術の進歩のおかげで素人でも動画を簡単に作ることができる。

人類が映像へと鞍替えするのではないかと感じ、すは失職かと動転したのは、そのような映像の力に驚いたからである。

しかし文字は本当に映像に凌駕されてしまうのか。散歩をしながらそれを考えてみた。

こういうことかもしれない。

文字は確かに情報量としては映像より少ない。しかし文字というか言葉には事物を一まとめにし抽象化する力がある。沢山のものを袋に入れてそこに荷札を付けるようなもの。荷札によって順番を確認したり前後を入れ替えたりと様々な操作が可能になる。或いは本文の見出しのようなものと言ってもいい。本文をすべて言わずとも、ひとたび中身を了解したら見出しで処理ができる。さらに言えば、言葉がなければ思想を正確に表現することも難しくなるであろう。

それに映像を作るにもやはり文字が必要。映像作りでは絵コンテが用意されるが、そこには言葉が添えられていることが多い。発想の原点が映像である人もいるであろうが、それを整序するにはやはり言葉と文字を使わざるを得ない。映像は人の視覚(音があれば聴覚にも)に訴えられるが、概念を使い演算操作をする力は文字の方が優れていると思う(逆に映像では情緒的な印象操作がしやすいかもしれない)。

先史時代にラスコーやアルタミラの洞窟壁画が描かれたことを考えると、画像の起源は文字より古いかもしれないが(これ自体面白いテーマである)、未だに文字を凌駕するに至っていない。両者が長く併存しているのは、それぞれに異なる役割を持ち、残るだけの価値があるためである。表現する内容に応じて手段は変わる。文字を使うこともあれば画像によることもある。もちろん両者の併用もあるし、その外にも表現手段はあまたある。

という訳で、人類が文字から映像へ一気に鞍替えしてしまうという事態にはなるまい。失職の危機が去って一安心。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.03.28

バッハ無伴奏ガンバ組曲

宇田川貞夫さんのバッハの無伴奏ヴィオラ・ダ・ガンバのための組曲を聞いている。チェロ組曲とリュート組曲をもとにガンバ用に直したもの。

この曲はチェロによるもの、リュートによるもの、ギターなどの編曲も含め色々な演奏を聴いてきた。トルトゥリエやロストロポーヴィッチ、ビルスマの演奏も記憶に残っている。

しかしガンバの演奏でこの組曲を聞くのは初めてであった。そして聞いて大きく心が動いた。

編曲の経緯は宇田川さんご自身が解説なさっているが、この組曲には実はガンバ版の楽譜もあったのではないか、それが歴史の中で失われたのかもしれない、そう「空想」なさった。その楽譜を息子のエマヌエル・バッハがフレデリック大王の甥フリードリッヒ・ウィルヘルム2世に献上。王様がガンバ弾きのジャン=バプティスト・フォルクレ(あのフォルクレの息子)に提供したかもしれない、そうお考えになった。その当時の音楽に出てくる人たちを知っていると、とても興味深いストーリーになる。

ガンバ編曲版は元のチェロやリュートとは調性が異なる。それは各楽器の開放弦の配列の違いによる。またガンバはチェロより弦の数が多く、リュートのような発弦楽器ではなく弓で奏する楽器であるため、ガンバ版の組曲は両方の楽器のための組曲の良いところを合わせたような感がある。弦の数が増え響きが豊かで、弓により長い音の美しさや情緒がよく引き出されているように聞こえる。テンポは敏捷なリュートの演奏とは異なり、弓の特性を生かしゆったりめになっている。

バッハのこの組曲を最初に知ったのは、チェロでもリュートでもなく、笛からであった。ブリュッヘンがチェロの組曲をアルトリコーダー用に編曲していた。それを懸命に練習した覚えがある。それは当時の笛好きの若者の多くがしたことであったかもしれない。それでバス記号を読めるようになったというおまけもある。組曲をきちんと聞いたのは、トルトゥリエのチェロでの演奏であったと思う。初めて聞いたとき、これは初老の穏やかな紳士の独白である、そう思った。端正にして真摯。

宇田川さんの演奏は、それをもう一段内省的にしたもののように感ぜられる。バッハの無伴奏組曲は、彼が器楽曲に取り組んでいたケーテンの時代に書かれたものであるが、ここでの演奏は単に器楽曲の演奏というより、作曲者と演奏者の心の奥のメッセージを聞き手に届けるものになっているように思えた。

それはどうしてなのか。調性の影響もあるかもしれない。ここに収められているのは第2番ホ短調 (BWV1008) と第5番ニ短調 (BWV995) で、どちらも短調の曲である。では宇田川さんはなぜ、短調の曲をお選びになったのか。

解説で、バッハはガンバに他の楽器にはないイメージを持っていたのではないかとお書きになっている。ガンバが使われているバッハのカンタータや受難曲などを見てみれば、バッハはルター派の死生観を音で表現するためにこの楽器を選んでいるというのである。そう考えることはガンバ奏者にとって誇りでもある、とさえ書かれている。

1994年の悲しい出来事のあとの宇田川さんのBWV198番(皇妃よさらに一条の光を)の演奏会も思い出される。そしてなにより年齢がある。色々なことが選曲にまた演奏に反映していると思う。この演奏には聞いているこちらに深く深く届くものがあるが、それもそのようなことが影響しているのかもしれない。

聞く者の心を動かすのはその演奏に由来するだけではないかもしれない。録音が豊かな響きを捉えていて、まるで眼前で宇田川さんが弾かれているように感じられるのである。制作をしたWAONの小伏さんが機材や素材を色々に工夫されているが、低音弦で楽器が振動しているさますら感じられる。近江楽堂での演奏もこちらで聞くことができるが、このCDは演奏録音共に特別のものになっている。当方も解説の翻訳でお手伝いをさせていただいたことをとても有難く思っている。

無伴奏ヴィオラ・ダ・ガンバのための組曲(WAONCD-310

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.03.23

批評の第一歩

取捨選択は一つの批評にほかならない。何を選び取るか、何を語るか。逆の表現をすれば、何を選ばず、何について語らないか。そこに自ずとその人の批評する目、識見が反映している。

取捨選択されたわずかな表現からも、そしてそれ故に明らかになる表現されていない多くのことからも、様々なことが読み取れる。表現の巧拙は後のこと。まずは取捨選択それ自体が自己の表現であり、批評なのである。

しかしここには多くの層がある。(1)まずは何かを採り上げて表現する者がいる。その選択に批評の第一歩が始まる。(2)次にその表現するもの表現しないものから表現者の何事かを読み取る批評者がいる。(3)その先にその批評者の批評するもの批評しないものから批評者を観察している者がいる。かくして初源から次の次元へとメタの思考を重ねることになる。

こうしてみると、それぞれの次元ですべての人が批評をしていることになる。だがその批評は人それぞれ。それこそが個性である。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.03.22

二重楕円

人里離れた山に仙人がいた。麓の村人とは隔絶した暮らしをしている。あるとき洪水が村を襲い、村人はその土地を離れ新天地に移り住んだ。しばらくして村人が新たな土地で山に入ってみると、そこにあの仙人がいた。

笑い話として記憶していたこの話がふと甦ってきた。仙人もやはり人恋しいのさ、という話であるが、これは人間の本質をよく表していると思う。人は一人では生きられず仲間を必要とする。その仲間との距離は様々で、常に仲間を身近に感じたい人もいれば、この仙人のように距離を置きたい人もいる。しかし距離の違いはあっても他の人が必要である。

別の表現をすれば、個は共同体の一員ということ。個の確立は大切であるが、個人と集団は対立するのではない。個は集団の中に包摂され、両者の関係は二重楕円のようなものである(外の楕円を何にするかは、その人の自らの把握のし方による)。

二重楕円の図を使うと、物事をうまく説明できる場合がかなりあるように思う。

芸術家や物書きの人は、ほとんどの時間、自分の居場所で黙々と仕事をしている。しかし作品が出来上がれば節目の会が催される。ときには同業と集うこともある。都会に出たり旅行をして、そこで充電してまた自分の日常に戻る。そのような個の参加で集団の方も励起される。それは二重楕円の相互作用といえる。

晴れと褻、クラス会と日常生活、お披露目と修業、うたげと孤心など色々な捉え方があるが、その意は同じ。共同体の中に溶けてしまっては自らの存在意義はなくなる。かといって共同体と無縁となっても却って個を確立できない。他との昂揚した接触があってこそ省みて個を確立することができる。二重楕円を行ったり来たりである。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.03.20

強ひ語りについて

いなと言へど強ふる志斐のが強ひ語りこのころ聞かずて我れ恋ひにけり
いなと言へど語れ語れと宣らせこそ志斐いは申せ強ひ語りと詔る

これは天皇と親しい女官との戯れの歌のやり取りで、万葉集巻三の第236番と第237番として記録されている。微かな記憶として残っていたこの二つの歌を改めて読んでみると、色々な疑問が出てきてもう少し詳しいことを知りたくなった。やり取りはどのような状況で行われたのか、強ひ語りとはどのような内容であったのか。

第236番の題詞には「天皇賜志斐嫗御歌一首」とあるが、どの天皇を指すのか確証がなく、持統天皇とする説が有力であるものの文武天皇説などもあるという。第237番の方の題詞は「志斐嫗奉和歌一首」である。

まず天皇とは持統天皇(645-703)か、その孫の文武天皇(683-707)か。それによって歌の状況は変わってくる。持統天皇であれば二人の女性が長年親しんでの交情を戯れ歌にしたと解することができる。

しかし文武天皇とすると持統天皇の孫でありまだ若者になる。若い天皇に対し老女官が、まあお聞きあそばせと強ひ語りをするという情景が浮かんできて、前の印象とは違ってくる。

志斐嫗の志斐は、氏の名とすることもあるし、この歌の内容が強語をめぐる応答であることからここで付けられた名とすることもあるという。仮に志斐が氏の名であったとて、ご当人も話好きで誰かがその話を止めさせることは難しかったのではないか。

それはともあれ、志斐嫗の強ひ語りの内容はどのようなものであったのか。そこに興味を覚えた。

最近北の独裁者が腹違いの兄を暗殺するという事件があったが、白鳳の時代の飛鳥はそれをはるかに上回る複雑な争いがあった。白鳳と聞けば飛鳥に花開いた明るくおおらかな文化を想起するが、大化の改新(645)があり古代日本最大の内乱といわれる壬申の乱(672)、大津皇子の事件(686)が起きるなど、朝廷は平穏ではなかった。

鸕野讃良(うののささら、後の持統天皇)が生まれたのは大化の改新のあった年である。父は中大兄皇子、後の天智天皇である。13歳にして叔父の大海人皇子(後の天武天皇)に嫁す。なお中大兄皇子は彼女だけでなく大田皇女、大江皇女、新田部皇女の娘4人を弟の大海人皇子に与えている。

壬申の乱は、天智天皇の弟の大海人皇子と、天智天皇の子である大友皇子の間の戦いで、叔父と甥とが争ったことになる。乱の際に鸕野讃良は夫の大海人皇子と行動を共にしている。戦いに敗れた大友皇子は自害するが、鸕野讃良から見ると大友皇子は腹違いの弟である。

686年天武天皇が薨去、その子で立ち居振る舞いにも才覚にも優れる大津皇子は謀反の罪で自害させられる。背後に鸕野讃良の意思があることについては諸説で一致している。鸕野讃良にとっては父母を同じくする姉の子供を殺害したことになる。これにより天武天皇と鸕野讃良の間の子で皇太子である草壁皇子の地位が安泰となったかに見えるが、草壁皇子は689年に病死。そこで天武天皇の皇后である鸕野讃良が即位し持統天皇となる。

以上を踏まえれば、強ひ語りの内容がどのようなものになるのかは、自ずと想像ができるのではないか。

それは単に他愛のないものであったとは考えられない。古代とはいえ庶民の昔語りではなく、国を治める者にまつわる大切な話を、齢を経た女官が語り部として何度も繰り返したのであろう。ただそのような厳しい話が続く中に、ときに聞く者を莞爾とさせる挿話があったかもしれない。

歌を歌として純粋に読めば、いつどこの誰にでもあり得る普遍を歌い上げたものとして味わうこともできよう。しかしその歌の成立の事情を知り読み手の心情に思いを致して読めば、それもまた多くを感じ考えるきっかけとなる。二つの歌を読みその周辺の事情を知っての感想である。

(このほかに、二つの歌が歌たる所以は何か、音韻なのか、繰り返しの形式なのか、そこに用いられる「てにをは」を翻訳したときに失われる何か微妙なものがあるのか、など国文、国史に限らず、詩や翻訳についてもあれこれ疑問が湧いてくる。文学部に入学したら調べてみたいテーマがいくつも生じてくる。)


| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.03.08

共通の物差

英国のエージェントからある翻訳を見てくれという依頼が来た。費用をかけて作ったパンフレットだが、その翻訳が原文と違うように見える、クライアントからそう言われたので、検討して欲しいというのである。原文には、色々な形に訳せる高い理想を掲げたやや抽象的な表現がいくつも出てくる。

今はグーグル翻訳などでどのようなことが書かれているのか手軽に確認できる。クライアントも、出来上がった訳文を反訳して英語に戻し、原文と比較したのかもしれない。そうやって対比してみれば、原文に使われていない単語が出てくるし、原文にあるのに訳文には出てこない言葉もある。そのような直訳を基準にすれば確かに違う。

しかしその翻訳はその販促物に合わせた適切な表現になっている。さてどう返答したものか。

こんな風に返事をした。
(1)一般に販促物では、論文などと違い論理性を重視するのではなく、読み手の想像力を刺激するような表現が多く使われます。

(2)ところが、ある情緒を喚起したり想像力を刺激するための単語、熟語、表現は各言語により異なっています。それらにはその国の歴史や風土なり社会現象と結びついたものが数多くあります。そのような表現に接したときに、人々の心に歴史風土社会の総体が喚起されるといったらいいのかもしれません。この共鳴を呼び起こす表現は言語によって異なるものがあります。

(3)パンフレットの原文の表現を見ていくと、原文の読者には訴えかけても、それを直訳しただけでは背景知識を持っていない読み手の心に響かないようなものがいくつもあります。そこで、翻訳をした人は原文のニュアンスを十分に把握しよく考えたうえで、それを表現するのに最も相応しい訳文を作ったように思います。誤訳などではありません。むしろその努力に敬意を表したいと思います。

人にはその人なりのものの考え方があるが、それは生まれ育った環境にかなり影響されている。そしてその生まれ育った環境、大きく捉えれば文化というものは様々である。

ところが私たちはその多様性について気付かず、自分のものの考え方が他にも通用すると思ってしまうことがある。上のクライアントも、そして間に立った翻訳会社の担当者も、そのようなところがあったのであろう。

物差に譬えれば、自分の持っている物差だけではなく、別の物差もあるということ。今はメートル法のものが主体であるが、日本でも少し前までは曲尺や鯨尺を使っていたし、外に出れば未だヤードポンド法の国もある。そこになかなか気が回らない。

翻訳は異文化の懸け橋ともいえる。違う尺度で考える人にも成程と納得してもらえる説明の能力も必要。手持ちの物差をどう利用するか、或いは物差がないときにどうするか。何を共通の物差にするのか。色々な方法が考えられる。そしてこのことは翻訳に限る話ではない。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.02.28

燈台下暗し

アルス・ノバの演奏会の当日。ルネサンス用の衣装の準備をしていたら、ないないと言っていた侍風衣装が出てきた。今回は使わないが、中世の音楽をするときに着用させられるもの。皆がヨーロッパの中世風の衣装でいるところに、一人中世の侍の衣装を着た日本人が加わるのである。

衣装は鎌倉武士風ということでアニークが誂えてくれ、昨年夏バルフレールの演奏会のときに一回着用した。こちらの人の考える日本の侍の衣装で何とも珍妙であるが、一生懸命にやってくれる気持ちを大切にして畏まって着用した。頭には彼女がソンブレロのつばを切って仕立てた烏帽子というか衣冠束帯装束の冠のようなものをいただく。

そのときには、こちらも興に乗って刀を腰に帯びた。これは本物の日本刀である。昭和20年、村のピエールの父親がインドシナにいたときに、武装解除をした日本の帝国陸軍の士官から貰ったものという。意外なところに意外なものがある。

前にその刀を見せてもらったことがあるので、それを彼から借り出した。こちらにも銃刀法があるので、公然と裸で持ち歩くことはできない。車に積んで演奏会場で身に着けただけで、聴衆はあまり気付かなかったであろう。まあ自己満足である。

ともあれ、その妙な鎌倉武士風衣装がその演奏会の後で行方不明になった。アニークに聞かれたときには、昨年夏の演奏会のあと縫ってくれた女性に手直しをするからと言われて確か返したはずだと答えた。

見つからないのは、物の多いアニークの家のどこかに紛れているのであろうと想像していた。従って尋ねられても、こちらの返事はにべもない。昨年秋に一度、中世の曲での演奏会をしたときには一人ルネサンスの衣装で凌いだが、ひとしきりあの侍の衣装はどこに行ったのかと皆で騒いだ。

それが今日、演奏会の朝に出てきた。埃除けのカバーに入ったものが当方のハンガーにちゃんと掛かっていた。中が見えないために気付かなかったというわけ。

演奏会の会場でリハーサルが一段落したときに、皆の前でアニークに楽譜を入れた固い表紙のフォルダーを渡した。ちょっとこれで僕の頭を叩いてくれ。

彼女がにやりとして「見つかったの」という。「そう、今朝、家の扉を叩く音がする。出てみたら、あの衣装を着たお侍さんだった。昨年夏バルフレールを出て、毎日少しずつ歩いてようやくここまで到着しました、というんだ」そう答えた。

皆がやれ良かったという顔をする。燈台下暗し(アルス・ノバについてはこちら)。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.02.21

音階

以前楽曲解説の翻訳をお手伝いしたCDをまた聞いている。小林木綿さんのイタリアバロック歌曲の演奏会のライブ録音である。彼女はラ・ヴォアというリサイタルを2005年から続けていて、この録音はその2015年のものである。通奏低音はリュートの高本さんとガンバの宇田川さん。

採り上げられているのはランディ、サンチェス、カリッシミ、メールラなどのイタリアの歌曲である。ひとたびそれらの音楽を聞き始めると、小林さんの真っ直ぐな声を通して、その歌が聞き手の心に飛び込んでくる。

こちらに訴えかけてくるのは彼女の歌だけではない。通奏低音、特に後半の宇田川さんのガンバ。音階を上下するだけ、あるいは半音階で下降するだけなのだが、それが歌とぴたりと合っている。聞くほどにその静かな絃の響きがこちらの身体を満たす。なぜなのかと不思議に思いながら聞いている(WAONCD-320)。

(解説の翻訳をしているときに、マリオの所でその話をすると、それならこれも聞いたらとカリッシミの曲の入った録音をすぐに棚から取り出して貸してくれた。聞きながらそれも思い出した。)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.02.06

あるエッセイ

ボンヘッファーの『10年後に』というエッセイに次のような言葉がある。

愚かさは善にとって悪意よりも危険な敵である。

悪意に対しては抵抗できる。その悪意を明らかにし必要なら力を以て防ぐことができる。悪意には常にそれ自体の中に悪の兆しを蔵していて、それにより人間は少なくとも居心地の悪さを感ずる。

しかし愚かさに対しては打つ手だてがない。愚かさには抗議も力で押さえつけることも役に立たない。理性を聞く耳を持たないし、その人の偏見に反する事実は単に信ずる必要はないものとして片付けられる。

そのようなときには愚かな人間は批判的にもなる。事実に反論できなくなると、彼らはその事実を取るに足らず偶然であるとして単に脇に退けてしまう。総じて愚かな者は悪意を持つ者と違って、自己満足の塊となり激しやすく攻撃を続けて凶暴になってくる。

それ故に愚かな者に対処するときには悪意を抱く者に対するときよりもさらに注意が必要になる。愚者を理性で説き伏せようとはしないこと。意味はないし危険である。

この言葉には時代を特定できる要素は何もない。しかし彼がドイツ降伏直前の1945年4月9日に処刑されたことを知れば、その発言の背後にある時代の雰囲気を感じ取ることができる。享年39歳であった。

さて彼の発言を聞いてどうするか。救いようはないのか。我が身を守るだけなのか。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.02.05

共感

どのようにしたら共感できるか。同じようなことを体験してみれば共感しやすくなる。しかし体験には限りがある。そこで知ることが大切になる。無知であってはいけない。そのうえで想像力の翼を拡げてみる。どこまで飛翔することができるか。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.02.01

何を読んでいるのか

米大統領が大統領令で、中東・アフリカの7か国の国民や難民の入国を一時禁止としたことを受け、全日空と日本航空が対象の人の米国便への搭乗を原則として断る方針を決めた。

それを伝えたあるメディアに対して、苦言を呈した人がいた。このメディアには、航空会社がトランプの非人道政策に消極的に加担しているという非難のニュアンスが感じられる、もしそうなら十分な背景取材をして報道しなくては、というのである。

この人の発言に対する人々の反応が興味深い。多くの人が航空会社の対応について論じたのである。さらには、トランプのやっていることは人権侵害であるという発言もあった。

何が興味深いのか。

話は3つの層になっていると思う。まず基層に大統領令がある。その上に航空会社の対応という層がある。そしてさらにその上に報道という層がある。苦言を呈した人は報道の姿勢について論じたのであるが、多くの人々は航空会社の対応について議論を展開しそれに終始したのである。

報道姿勢を問うときには、その報道対象となっていることについて事実関係や背景を確認しなければならず、この場合であれば航空会社の対応という第2の層を調べ、さらには根本的な大統領令の当否を考えなければならない。しかし、そのような検討を終えたら再び議論の出発点となった報道姿勢の問題に戻って来る必要がある。

ところが多くの人は苦言を呈した人の真意を読み取れず、議論が発散してしまった。特に枝葉が繁っていると幹が見えなくなる。一体何を読んでいたというのか。これは床屋政談の典型例である。

話をよく聞くというのは極めて難しい。そして相手の言わんとすることに沿って議論を続けるのはもっと難しい。そのような検討を経たうえで、首尾を整えるのは最難事かもしれない。

何が論じられているのかを最初に明らかにし、その主題から逸脱せず議論を展開し、結びで最初に戻ってくるということは、論文を書くときに指導されるが、そのような態度が大切なのは学問の世界だけではない。無用の繁をなくし、ものごとを前に進め、さらには日々を静穏にするうえでも欠かせない。

とはいえ世の中はそれほど理詰めではない。早とちりと床屋政談でものごとが進められてしまう場合も多いかもしれない。そこが人間の面白さ。理性を重んじつつも、火の粉が飛んでこない距離でその現実に対処する用意が必要かもしれない。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.01.31

ピラミッドを登っていくと

お便りを有難う御座いました。文面から社会の中堅にあって悩み自己を模索している貴方を感じました。読んでいて思い浮かんだのはピラミッドです。

入社したときにはその一番底辺にあり、多くの同期同輩と切磋琢磨しあい懸命に仕事をする。ある意味では楽しい時代です。しかし貴方は既にその時期を過ぎ、仕事ではかなりの責任を負うようになっている。上に仰ぎ見る先輩や上司がいるし、付いてくる後輩もできた。自分なりの見方も少しずつできるようになっている。家族に対する責任もある。ピラミッドの中ほどをよじ登っているというところかもしれませんね。

お便りから伝わるのは、仲間が少なくなっていくある種の孤独感でしょうか。もう若手といっていられない年齢でしょう。人は誰も時間が経てばこのピラミッドの上に押し上げられていきます。努力をしていればなおさらです。それと共に各自のすることは代替の利かない独自のものになって行きます。

上になるほどピラミッドの中では余地が少なくなります。話す相手もいない。そのときどうしたら良いのか。

あれこれ思うときには外を見たらどうかな。外を見ると実はピラミッドは一つではないことに気付く。見晴らしの利く所から眺めれば、貴方と同じような立場の人が外にいるのが見えます。これまでずっとお話を聞いていますが、貴方には人並み以上の何かが与えられていると感じられます。中でしっかり仕事をしているのは当然でしょうが、そこにただ身を屈するのではなく、外に優れた友人や師を探してみるのもいいかもしれません。

ある程度のところに達して、そのピラミッドの中で同類を探すのには限界が出てきたということを別の言い方にすれば、貴方は孤独であることを恐れず個である覚悟を固めるときに達したということかもしれません。夏目漱石に「私の個人主義」という講演録があるので、行ヒテ余力有ラバですが、ご覧になることをお勧めします。自己本位という言葉で自分を確立するまでの苦闘の記録です。「自分の鶴嘴をがちりと鉱脈に掘り当てた」という表現に漱石の感動が表れています。そのとき彼は34歳でした。

群れる必要はありません。いや高みを目指すなら群れてはいけないということかもしれません。それはどの世界も同じでしょう。並み居る人々から頭抜ける人は、実業家も作家も芸術家も、ある時点でそのような自覚に達したように思います。

どうか頑張ってください。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

«皆同じ