2017.07.09

広がる響き

アルスノヴァの演奏会。場所はバルフレールにほど近いレヴィルの教会。車を運転していると平野が広がりその先の東に海があり、イーストアングリアを思い出させる。海が遠くに見えるその教会での今シーズンの一連の演奏会の一つとしてアルスノヴァも招かれたもので、聴衆から入場料まで取って聞いていただく。

プログラムはプレトリウス、シャスティリオンを中心とし、それにジャヌカンやセルミジを加えている。シャスティリオンはノルマンディーの作曲家でプレトリウスと同時代人である。演奏は器楽と合唱にナレーションを加えたいつもの形。シャスティリオンの歌謡の歌詞を使い、いくつもの曲を物語風につないでいく。

新たにテナーとアルトの歌い手が加わり総勢10人となり、皆ルネサンス風の衣装に着替える。こちらはアニークの拵えてくれたサムライ衣装なるものを着用する(燈台下暗し)。

ここでの担当はリコーダー。曲によりソプラノからバスまで4つの笛を持ち替えるのであるが、同じ曲でも繰り返すときには楽器を持ち替えるとか、途中で演奏する声部をセカンドからトップに移すとか色々ややこしい。一つに固定すれば楽なのであるが、音色の変化を求め色々注文がくる。楽譜に指示を書き込み、声部の移動、転調など印をつけておくもののうっかりが怖い。

(ことは音楽に限らず一事が万事である。インテリア、服飾、建築なども含め、ここの人々は変化を好み、物事を単純にするのではなく複雑に装飾や変奏を加えていく。それが人々の傾向というか特性ではないのか、余計なものを削ぎ落とし純化するという方向性とは対蹠的である、そう思うようになった。それぞれにお国ぶりがある。)

シャスティリオンは自然に湧き出る歌をそのまま書きとめているかのようで、小節内の拍数が4拍のときもあれば5拍になったり3拍になるなど一定していない。和声にも特徴的なものがあり、いくつか聞いていると彼の音楽の雰囲気が見えてくる。5人の楽師がフィドル、テナーとバスのガンバ、リコーダーでそれに合わせる。

プレトリウスの曲はテレプシコーレの曲集から、なじみのブランル、ガボットやバレなどの器楽曲を選んである。それを歌と歌をつなぐ間奏曲として使っている。

バレではジェラールが先ずはフィドルで旋律を始め、転調するところでダニエレが喇叭でそれを受け継ぎ、もう一度転調するところで当方が第2声から第1声に移りアルトで音を細かくしていく。最初は真っ直ぐなルネサンスリコーダーの響きが教会の奥まで広がる。それが次第に糸がほどけていくようにして展開して行く。受け渡される細かな刻みのときにわずかにためを作ることで旋律が柔軟になる。

アンコールには歌い手が前に出て舞曲を踊る。終わって教会横の元の牧師館で主催者や聴衆、演奏者が一緒に林檎酒とビスケットで歓談。茶菓の提供と同じ。やれ、ひとまずお役目終了。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

大切なもの

昨年はるばる来てくださりまたお会いできると楽しみにしていた方の訃報に接する。まだ色々に活躍できる年齢でその先が絶たれた。あっという間に消え失せた。その表情、声、しぐさ、好きなこと、ご家族のこと、やり取りをし、共有した経験。もうこれ以上に積み重ねることはできず記憶にとどまるだけとなる。

何が大切かは言うまでもない。その他の多くのことは些事である。人はこのような報に接し改めて自らを省みて生命を考える。

あるミサ曲を聞いていてその曲の意味が突然に変わり平静に聞くことができなくなってしまった。御霊安かれ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.07.05

元気

学校は夏休み前の最後の週となっている。そんな時期にマリーエレーヌに頼まれ彼女の娘さんの通っているブリックボスクの小学校で授業をすることになった。ブリックベックでの音楽授業に続いて今年2回目の学校訪問。

今日行くのは児童数75人の小さな村の学校。そこの6歳と7歳、8歳と9歳という2つのクラスで日本の文化と言葉を紹介するというもの。持ち時間は各45分。

前日に彼女と打ち合わせて、日本の位置、簡単な挨拶、数と文字の紹介をすることにした。子供たちの興味を惹きつけるには工夫がいる。対話をしながら、子供たちに声を出させ、ついでに手も動かしてもらうようにする。

一人一人の名前を書いたカードを用意した。上部にファーストネームをアルファベットで書き、その横に片仮名も小さく書き入れておく。子供たちはそれを見ながらカードに片仮名を大きく書き写すというわけである。

子供の名前を読み上げながらカードを各自に配る。ああこの子がマテウスね、この子がフローラか。50音図を説明するとマリーエレーヌがそのコピーを配ってくれる。

前に立ちマリーエレーヌと組んで説明をしたり、子供たちが文字を書くのを手伝ったりしていると、それぞれの違いがよくわかる。利発な子供はすぐ指を立て、答えたくてしかたないというように身をよじっているが、できるだけ多くの子供に当てて話をさせる。

短い文章の朗読や日本の歌の紹介もあり、持ち時間はあっという間に過ぎる。いくつか質問に答えてから、最後に「さようなら」というお別れの挨拶を教えて、はいお仕舞い。

次のクラスと交替してこれをもう1回繰り返す。子供たちと触れ合うのはなかなか楽しく、何よりも元気をもらう。

授業が終わってその小さな校舎を出ると、さらりとした空気を通して日の光があふれていた。学校の退けどきで子供たちも出てきて親に迎えられている。手を引かれながら子供たちがこちらに手を振る。そこで「はい、さようなら」と声をかければ、向こうからも覚えたばかりの「さようなら」が返ってくる。

10年前のケテフーの子供たちを思い出した(幼なじみ)。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.07.03

物差の後先

過去と未来の比重は個人の中で年齢とともに変わってくる。子供には有り余るほどの未来があるが過去の蓄積は殆どない。それに対して老いた人には長い過去があるものの未来はわずかしか残されていない。0から100までの目盛のついた物差で、現在の位置を示す赤い玉が動いていくようなもの。

その赤い玉がどこにあるのかで人の発想は変わってくるし、その人への周囲の対応も変わってくる。子供には将来何になりたいかを聞き、年配者には曾ての話を語ってもらうことになる。その逆にはならない。

(年配者の話を老いの繰り言というなかれ。それは当然のこと。それに生きていることを感ずるには歩んできた道をふり返ることが大切になる。過去無くして現在の自分は存在しない。)

ただこれは生を一人に限ったときのことである。それを大きな生命体として捉えたらどうなるか。個をそれだけで完結している存在と見るのではなく、群体としての生物の一部とするのである。

(1)すると過去とは自分の過去ばかりではなく、その人の生まれる前から続いている長い時間を合算した総体ということになる。子供の物差にも実は長い過去が付いている。

子供に自分の両親や祖父母のことから始めて先祖のことに思いを致すことを教えていれば、やがて先祖の祭りとなり歴史の意識が育まれる。そのようなしきたりが連続する生命の意識を生む。

(2)未来についても同じ。老いにつれその個体にとっての未来は限られてくれるが、その子や孫のことを考えれば、新たな未来の視点が生まれる。血がつながらずとも、自らの属する共同体の未来を考えると発想が変わってくる。

生きるには前を向かねばならないが、個を超える大きな生命体に夢や思いを託すことも前を見ることである。

こう考えてくると、個人にとっての過去や未来とは、物差の赤い玉の前後の比率として見るような短いものではなくなる。もっと長い時間の中で捉える必要がある。個別の生は、遥かな過去から紡ぎ出された長い糸の一部であり、その糸はその後にも長く伸びていく。しかも糸は無数に流れ、過去にも現在にも様々に絡み合っている。

個の物差を超えると頭の中の世界が俄かに広がってくる。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

インノミネ

ニューナムから泊りがけで来てくれた二人を含めいいガンバ奏者が揃い、ジェンキンス、バード、ローズ、ロック、パーセルなどに浸った3日間。さまざまな思い出のあるギボンズの5声のインノミネの第1番。久しぶりに第1声を弾く。何という世界。ヒンギストンとクランフォードが収穫。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.06.28

サンライズ・ミサ

週末に近くのトラップ修道院で行われた友人の合唱団の演奏会に出かけた。団体は結成して30年。前半がジャヌカンとブクステフーデ。後半はオラ・イェイロのサンライズ・ミサ。チャペルには結構な人数が入っている。コーラスに友人が2人、チェロのローランが弦に入り、観客にも友人知人が結構いる。身近な音楽会のいいところ。

後半に演奏されたサンライズ・ミサが素晴らしかった。作曲したオラ・イェイロは、1978年ノルウェー生まれで現在39歳。アメリカ・マンハッタンに在住し作曲家でピアニストという。初めてその名前を聞き、サンライズ・ミサに接するのも初めて。彼がこれを作ったのはわずか30歳のとき。

曲は4つの楽章からなり、The Spheres (Kyrie)、Sunrise (Gloria)、The City (Credo)、Identity & The Ground (Sanctus / Benedictus & Agnus Dei)という英語の副題がついていて、それは人の一生の象徴であり、心の旅でもある。ミサ曲であり歌はラテン語である。

曲は純粋であるとともに深い響きがある。アルヴォ・ペルトのようでもあるし、カール・ジェンキンスのアディエマスを感じさせるところもある。それと同時にこのような旋律や和声は日本のどこか抒情性を含むものとは何かが違い、やはり西洋のものかもしれないとも感じた(まあそれを言えば、アジアの音楽、アラブ、ラテン、アフリカのもの、それぞれに独自なのであるが)。

いずれにしてもこの曲はこちらの心をしっかり捉えた。それからというもの今週はずっとこの人の曲を聴いている。色々ある中でやはりこのサンライズ・ミサがまず第一と思う。演奏としてはラトヴィアの団体のものが最も気に入った(こちら)。いくらでも聞き続けられる不思議な力のある曲。

終わって修道院の本館でレセプション。修道士のジャン・ルック師はここに46年いて、散歩のとき当方の家の前を通ることもあるという。平服なので気が付かなかった。今度はどうぞお立ち寄りください。そう申し上げる。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.06.23

自然の掟

朝の散歩。プルートがぐっと前に出る。その向こうにカラスより二回りほど小さい黒い鳥がいる。クロウタドリか。羽ばたいて逃げるかと思ったが、よたよたして捕まってしまった。仕方ない。こういうこともある。

すると樹上から鋭い鳴き声が聞こえてきた。そうか上に親鳥がいるのか。慌ててプルートを鳥から引き離す。幼鳥は繁みに消えた。

今は巣立ちの時期、樹上の巣から落ちたのであろう。かわいそうだが巣から落ちた雛鳥が生き伸びるのは難しい。他の動物に捕まることもある。犬が飛びかかるのも本能。それが自然の掟。前にもそのようなことがあった(生命)。

ふと思う。人間も動物の一種。そこにこの自然の掟はどこまで適用されるのかと。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.06.22

真実

会議は平行線をたどり長引いた。話し合いの最後に一方が改めてその主張を述べた。それに対して他方が自分の側の返答を繰り返した。さてこれはどのような会議として報告されるのか。

一方は「当方の主張を述べて会議は終わった。先方が何か最後っ屁のようなことを言ったが、それは負け惜しみであった。」そう報告するかもしれない。他方は「一番最後にこちらの主張を述べて会議は終わった。当方の言い分が全体で受け入れられたと感じた。」そのように復命するかもしれない。

同じ会議でも出席者により受け止め方が異なる場合がある。論争の当事者だけではなく中立的な立場で出席していた者も様々な印象を持ち帰る可能性があるという話。

この会議の様子が文書になっていたとする。両者が対等の主体であればそれぞれに報告書を作成しているかもしれない。ただ作成された両方の文書を読んでその会議の内容を再現してみると、それぞれの文書で方向性が大きく異なることもあり得る。

文書は片方で作られるだけのことも多い。お役所と民間の交渉では、民間の側が詳細な記録を作成し今後に備えるというのが常である。強い側は記録をあまり残さない。すると実際のところがどのようなものであったのかは曖昧になりかねない。

また公式記録というものは公式であるが故に真実というわけではなく、その点についても読むときに注意を要する。関係者の利害や体面を調整したうえでの文書であることも多いのである。混乱の最中に作成されることもある。戦闘詳報を読むときも同じ。

議事録全文を手にする人は限られていて、多くの人は報道でその概要を知ることが多い。しかしそれが報道されるときには要所だけが紹介され全部ではない。そこで報道すべき事項の選択には主観が伴わざるを得ず、ときには恣意が入り込む可能性がある。冒頭の会議の事例であれば、前者の主張のところだけを抜き出し「最後に前者はこう主張した」とするのと、後者の言い分まで含めて報道するのでは、人々に与える印象は随分異なる。

報道を読む者は、一部の記述だけに飛びつかず全体を捉えて理解するよう心すべきであろう。先ずは全文を読んでみる。またそのような会議の経験があればやり取りの雰囲気を想像することもできる。しかしそれがなくとも、人間の行動様式や心理も合わせて読めば一面的にならずに済む。さらに大きな図柄を承知していれば、おかしなことに気付くこともある。

要は、戦場があり、大本営発表があり、それを伝える新聞があり、それを読む読者がいるという構図を意識し、自分の都合に合わせた解釈を排すということ。現場からの距離が離れるほど、中間の媒体の思い込みや操作を取り除き、否定できない真実を求めるという姿勢を強めていかねばならない。

さてそのようにして真実に迫る努力をしたうえで改めて問うてみる。真実は奈辺にありやと。調べてみれば最初の印象とは様相が異なってくるのは確かである。けれどもそれは本当に真実なのか。

結局のところ真実は十人十色で、それぞれが自分なりに世界を切り取ったものを以て真実としている可能性がある。世間というか世界は各自の信ずる真実で日々動いているのであろうか。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.06.17

おつきあい七分

フェイスブックで申請をいただいてつながった人がいる。数回お会いしたご縁によるのであるが、その後で何かやり取りがあったわけではなく、その方自身もあまり発信はしていない。しばらく前にその人の誕生日が来たことをフェイスブックのお節介機能で知った。さあどうしよう。

多少でもやり取りをした人に対しては、お誕生日を祝う言葉を贈ることが多い。書くのに何ほどの手間もかからない。それなのにこの人にメッセージを送るのには何かためらわれる気持ちがある。それは一体何なのか。

こういうことかもしれない。

(1)おつきあいには濃淡の差がある。一色ではない。それはこのようなコミュニティーでも実際の職場や地域でも同じ。よくしゃべる人もいれば寡黙な人もいる。先方も当方も皆が違う存在である。各自の個体差があり、その組み合わせにより親疎の差が生まれてくる。

(2)おつきあいは広げようと思えばいくらでも広げられる。しかし誰にも時間や資源の制約がある。それを無視して交際を拡大するのは、大海を一つのインク瓶で青く染め上げるようなもの。つながっている全員にメッセージを送らねばと思うのもそれと同じ。

(3)おつきあいは自らの選択である。それは学校で先生がクラスの皆を同じように扱うのとは異なる。或いは行政手続で差別的な取扱をしてはならず、規則に決められている通りに進めなければならない、というのとも違う。

(4)おつきあいは何らかの共通するものを基礎として相互に刺激を与えることである。共通基盤がなく接触がなければ、交際にならない(そこを一押しすることで新たな展開が開けることもあるが、そうなるかは個別の状況による)。

心のどこかに引っかかるものがあったのは、個別の事情を無視してある原則を画一的に当てはめようとしていたのを、何者かが「ちょっと待て」と命じていたからかもしれない。

交際はひと色ではなく状況は千差万別。7割できればそれでよし。限られている時間は付き合いを広げることではなく深めることに使おう。今回の天の声はすべてを同じように律する硬直した考えへの警告であった。

結局お誕生日のメッセージは失礼することにした(自分の誕生日についても公開していない)。

振り返ってみればこれは既に母が教え給ひしことの応用問題であった(旅の荷物)。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.06.16

取り換え

バスガンバの響きが落ちてきた。そろそろ低音弦の取り換えの時期かもしれない。

低音弦は巻線になっていて、裸のガットのようにささくれが起きるわけでもない。そのためつい長期間そのままにしてしまう。しかし見かけに変化はないものの、長く使っていると芯のガットと外側の銀の巻線との間にゆるみが出てくる。びびりが出るほどではないが、振動が吸収されるようになる。

AとDの弦を思い切って替える。次いでに上の2本も早めに替える。違いは明らか。音に輝きが出て楽器の鳴りが格段に良くなった。緩くなったフレットも気になるのでしっかり巻き直す。

銀の巻線でいい値段。プロなら弦の出費も馬鹿にならないと同情する。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.06.13

どう読むのか

日本記者クラブでは内外の人との記者会見を音声アーカイブとして順次公表している。1986年5月26日には作家の井上ひさしさんが「新聞文章、放送ことば、日本語」という演題でお話をしている。それを聞いて考えるところがあった(お話はこちら)。

お話では様々なことに触れられているが、関心を持ったのは戦時中の新聞報道にかかわることである。まずは井上さんのお話を紹介しておく。

井上さんは、新聞は戦争中、軍部大本営の発表を鵜呑みにして嘘ばかり書いていたと批判されているが、克明に読めば決してそうではないというのである。彼は当時のことを書くため昭和11年頃から昭和25年頃までの新聞を全部集めて読んでいる(それは「きらめく星座」のためであったろう)。

・・・
確かに発行停止を避けるため、新聞社では一面には建前を書かざるを得ない。そこは信用できない。しかし投書欄などでは正しいことを伝えている。投書を選ぶ記者の感覚は確かである。

昭和20年の4月、5月頃の各新聞を見ていると、ドイツが負け日本も追い込まれ、いずれ同じような状態になるであろうが、その時にどうしたらいいかということを実にうまく書いている。

軍部と組んだ特攻隊の出撃のルポも、よく読むと特攻隊、人間爆弾という、そういう馬鹿な武器を使って、この戦争を続けていいのかということが炙り出されるように書かれている。

明日特攻隊員として飛び立つ若い飛行士たちが、その前の晩に何をしているのか。ある人は一晩中寝ないで鉛筆を50本も削ってしまう。「絶対ヘンだな」と思わせるように書いてある。

皆半分気違いになっているというのがよく分かる。明日死ぬというときに変にならない訳がない。

大きな記事ほど眉につばをつけた方がいい。三面記事のトップとか、第一面に出てくる記事は、記者の肩入れがあり、はやりの題材でもあるためか、文章が非常に浮いている、
・・・

戦争中新聞は嘘ばかり書いていた、と言っている人々は見出ししか読んでいない。記事を丹念に読むと、そこに記者として言うべきことはしっかり入っている。そう井上さんは語っている。

さらに、これは戦時中の話ではなく講演当時の新聞のことらしいが、各紙ともベタ記事に素晴らしいものが多くある、と語っているのも上の話と通うものがあろう。

さてこれをどう考えるか。井上さんの話を時代により大きく振れるメディアの擁護と捉える人がいるかもしれないが、ここで考えるのはメディアの側の話ではない。何をどのように読むのか、という受け手の在り様を問題にしたいのである。

(1)見出ししか読まなければ、同時代人はそれを信じてしまう。後に過去を振り返ろうとする人が後知恵と見出しを短絡させれば、「戦争中新聞は嘘ばかり書いていた」と思い込むことになる。今現在のこととして読む者も過去のこととして読む者も、見出しだけで判断するなら真実を捉えられないという点では共通している。

大きな見出しはときに空虚の代名詞という可能性もある。

(2)表現をする者に様々な制約が課されるのは、戦時中に限ったことではない。今でも組織に身を置いて何かを書くとすれば、その意向を体する記事にならざるを得ない。外部の影響も働くであろう。様々なしがらみがあるのは、自由とも見える文筆家であっても同じであると思う。しかし人はそれでも本音を語ろうとする。

(3)そのような書く側の制約を知ったうえで、読む者は見出しだけではなく、内容を一つずつ確認していく必要がある。一つの記事だけではなく、その日の紙面を丹念に読んでみる。ベタ記事には大見出しがない。そこでは具体的な話を通して本音が吐露されているかもしれない。広告も大切な情報である。

(4)さらに、それまでに自分が蓄積している知識や事実と照らし合わせて、想像力を働かせて読んでいけば、本当は何を言いたいのかがかなり正確に見えてくる。

考えてみれば、我々が中国共産党の人民日報を読むときには同じようなことをしている。メディアの報道への接し方次第で多くのことが読み取れる。そしてそのような接し方は自国の報道についても当てはまる。いや、これはそれに止まらず事物への接し方一般にも当てはまるであろう。

井上さんは自らの作品の準備の過程で、新聞が戦争中に軍部大本営の発表を鵜呑みにして嘘ばかり書いていたわけではないことに気付き、そのことを伝えてくれたのであるが、それだけではなく報道に接する受け手の姿勢についても大切なことを教えてくれていると思う。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.06.09

平明に言う

難しい言葉を使う必要はない。普段の言葉で十分。平らな言葉によっていくらでも深くできるし、やさしい言葉を使っていくらでも高く羽ばたくことができる。難しいことを難しい言葉で言おうとすると判ってもらえないし、その前にまず自分でわからなくなる。平明に言ってみて初めてすんなりと腑に落とすことができる。

ではどのようにしたら平明なもの言いができるのか。それは言おうとすることの見極めにかかっている。しかしその見極めとはどのようなことか。恐らく次のようなことかもしれない。

先ずは切り分け。よく見てどこで一まとめにできるかを考える。じっくり見ていれば区切りがわかる。

切り分けたらあれこれ目移りさせず、一つのことに心を傾ける。沢山あるものを一度にやろうとしない。話のごたごたしている人は、一度に多くのことを語ろうとする。ちょっとちょっとH君、そこの話だけにしたらどうかな(部内の他班にいた彼がよく相談に来て、頭の中のすべてを店開きしていたことを思い出す)。

その次はあとさき左右のつながりを考える。筋道を明らかにするということ。きちんとつなぎ言葉が入れられれば一先ずは筋が通っているということになる。

そのうえで枝葉に惑わされることなく幹を捉える。何が大切なのか。この話はどこに行こうとするものなのかを考える。つまりは目先のことをきちんとやりつつも、大枠を目の端に入れておくということ。

平明とは言葉を正しく確かな形で使うこと。頭にあるものごとにぴたりと合う言葉を選ぶことである。言葉と考えは巡っているのであるが、正しい言葉を選ぶことで言いたいことや考えがさらにはっきりしてくる。

平明な言葉遣いで、どれだけ生きていることの奥深くにあるものに迫れるか、どれだけ丈を高くすることができるのか。それは言葉を巡るものごとの見極めと切り分けにかかっている。

井上ひさしさんが「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」と語られていたのを思い出した。はじめのところが上に述べたことであるが、後の方の面白く楽しくというのはその先で取り組むことで、さらに心のゆとりが要る。

(以上「平明」を除いてすべてやまと言葉で書いてみた。)


| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.06.08

パンク

夕方隣のクリストフが戸を叩く。こちらの車の左後輪のタイヤの空気が抜けているというのである。やあ気が付かず危ないところだった、有難う。

すると彼は、スペアタイヤはどこかな、ちょっと見ようという。スペアは車体の下に吊り下げられているが、なかなか取り外せない。クリストフはそのまま車体の下に潜り込む。服や手の汚れるのも厭わず素手であれこれして漸くのことでタイヤを取り出す。

そのあとジャッキで車輪を浮かせてパンクしているタイヤをスペアと交換する。こっちがするというより殆ど彼がやってくれた。他人のことにここまで懸命にしてくれることに、今まで気付かなかった彼の一面を見た。なかなかできない。さて自分はここまでできるか。そう振り返る。

翌日ボトル2本を持ってお礼。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.06.06

さあやろう

目の前にものが山積みとなっている。それは仕事かもしれない、洗濯物かもしれない、生きていくしがらみのあれこれかもしれない。返事をしなければならない便りも気がかりだ。さあどうする。

苦手意識があるとつい後回しになる。一段落してからにしよう。場合によっては楽なこと、好きなことに逃避する。気が付くと結構な時間を過ごしてしまった。しかしその間にも山は少しずつ高くなる。そのうちに山崩れが起きるかもしれない。時間が経過すれば気持ちの上でも負担が大きくなってくる。

料理に使う包丁に譬えれば、毎日使っていれば切れが悪くなる。ああ研がなければ。でも今は忙しい。もう少し先にしよう。しかしそれを使うしかないので日ごとに刃先は鈍くなる。そのうちに怪我をすることにもなる。

さあどうしたらいいのか。そう、そのときは包丁を研ぐしかない。今すぐに。歯を食いしばっても。

しかし歯を食いしばらなくともいい方法がある。とても簡単。

山になっているものの中で、手近なもの、手を付けられそうな簡単なものを採り上げる。最小単位で齧ってみる。それだけなら咀嚼できる。内容もそれほど難しくない。手紙に返事をするならとりあえず封筒の宛先だけ書いてみる。

案ずるより産むが易し。そこだけはできた。やっていれば興も生まれる。何か発見があるかもしれない。ではその隣に手をつけてみようか。そうやって気が付くと山はかなり小さくなっている。

小さなことをすぐに片付けることが習慣になると、山ができない。歯を食いしばるようなこともいつの間にかなくなる。しかもここに登場するのは自分だけ。他者は一切出てこない。自分だけで完結できる。

やらなければ終わらない。でもやればそのうち終わりがくる。さあやろう。

(もう一つ、ことを省くというのがあるが、これはまた別の機会に。)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

何を語り何に応ずるか

(1)人は自ら関心のあることを語る。その内容から語り手の世界が見えてくる。
(2)人は外界の刺激に応ずる。どのような刺激に反応するのか、どの程度に反応するかを見れば、その人の他とのかかわり方が浮かび上がる。

前者からはその人の思考が、後者からはその人柄が明らかになると言おうか。語ることからはその人の内側が、反応のし方からはその人と外側との関係が見える。それぞれについて、さらにどう区分するか。
もう少し例を集めて考えてみることにする。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.05.31

雑用

雑事や些事というなかれ。仕事は雑用のかたまり。毎日も雑用のかたまり。雑用こそが仕事であり生きるということ。

「志を得て天下国家を事とするのも道を行うのであるが、平生顔を洗ったり髪を梳ったりするのも道を行うのである」という熊沢蕃山の言葉を鷗外は『カズイスチカ』で紹介していた。

生きることが些事を疎かにしないことであるとすると、疎かにしないだけではなくそれに精通することが日々をより良く生きることになる。

孔子様や福沢さんはそれを鄙事多能といった。伝教大師の一隅を照らすというのにも通ずる。いや古典を引くまでもない。誰もが親から「ちゃんとしなさい」と言われ、学校でも職場でも耳にしたことがあるはず。

ただそれを右から左に流さず、ああそうなのかと合点するには時間がかかる。それを実践するにはさらに意志の力を要す。道は遠い。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.05.30

耳と腹と

月曜の午後久しぶりにターフェルムジークの4重奏TWV43:D1。随分前にヘーゼル、セーラ、ローズマリー、レックスとでハムステッドの月例会にかけたことを思い出した。そのときリコーダーを懸命に浚った書き込みが楽譜に残っている。

今回はフランシスがクラビノーバを出してくれた。それにセルジュのファゴットが加わる。音楽性豊かな彼のおかげで演奏は格段に引き締まる。娘さんはプロのオーケストラのフルート吹きで、彼の資質は確実に伝わっている。こちらはトラベルソ1に回る。テレマンのこの曲はどのパートで演奏しても楽しい。

そのほかいくつか合わせているとあっという間に時間は過ぎていく。終わって皆で食事。メインに鴨の胸肉のローストを出す。肉を林檎果汁の中に漬け込んで柔らかにしてからゆっくり火を通す。スライスをやや薄めにし、それに和風を加味したソース。ワインもうまく合った。

音楽と料理とどちらも満足してもらったようで皆が引き揚げたのは夜更けであった。プルートとジジも残り物のお相伴。口腹の楽しみならぬ、耳と口、そして心の愉悦。長い文書を訳すという仕事があるが、まあこのような時間も大切。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.05.28

防水隔壁

組織と個人の問題について色々考えていたことがある。かつてこんなことがあった。今もある。今後も出てくるであろう。ではどうするのか。彼が1年で呼び戻されたのも気になる。いずれわかる。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.05.26

古今和歌集のよみ人しらず

古今和歌集は平安前期の最初の勅撰和歌集である。撰者は紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑の4人で、延喜5年(905年)に奏上された(仮名序によると4月18日、真名序では4月15日)。

全20巻1,111首(流布している定家本による)は第1巻から第6巻が四季、そのあとに賀の第7巻、離別の第8巻、羈旅の第9巻、物名の第10巻が続き、第11巻から第15巻が恋歌、第16巻の哀傷、第17巻と第18巻の雑、第19巻の雑躰、そして第20巻の大歌所御歌に類別される。その整然とした体裁は後の勅撰集に踏襲されることとなった。

歌の作者を見ると撰者4人のものが2割以上を占め(紀友則46、紀貫之102、凡河内躬恒60、壬生忠岑36、計244首)、撰者より少し前の時代の六歌仙に数えられた在原業平30、僧正遍昭18、小野小町17を加えれば300首を超える。そこからは編纂をした当時の現代人の歌が重きをなしていたことがわかる。

しかし古今集に採録された歌のうち4割ほどはよみ人しらずの歌である。よみ人しらずとは和歌集において歌の作者が不明であったり匿名であるときの表現であるが、本当に不明のこともあれば、千載和歌集の「さざなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな」の歌のように作者がわかっていても事情があって明らかにしないこともある(平忠度がこの歌を師の藤原俊成に託した心根はまことにあわれである)。

さて、古今集によみ人しらずの歌が多いことにおやと思ったのが大岡信さんである。それは本当によみ人しらずなのか。そこには撰者による創作が混じていたのではないか、大岡さんはそう考えた (「贈答と機智と奇想」)。これを発表したとき大岡さんは42歳、大学卒業後10年勤めた読売新聞社を退職し明治大学で教えていらしたときのこと。この話を含めた古典詩歌に関する一連の論考は『うたげと孤心』にまとめられている。

(大岡さんは先月86歳で逝去されました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。)

では大岡さんは何故古今集にあるよみ人しらずの歌が撰者による創作と考えるのか。

(1)まずそれは古今集の整然とした構成に関係する。古今集では四季の歌であれ恋の歌であれ、念入りに時の推移を追う形で配列されている。そこでは全体の構成が重視され歌の個性は無視されることになる。作者も作歌動機も制作の時も場所も捨象されて、歌が全体の流れに適うように配列されていくのである。

(2)このために撰者は歌に手を入れる。平安前期の私撰集である『古今和歌六帖』にとられているのと同じ歌が、古今集では優美、婉曲、間接、朧化のため改作されていると推定される。六帖の歌の方が概ね自然かつ直接的な詠みぶりであるのに対し、古今集の同じ歌はひねりやなめしがかけられている、というのである。

(3)そもそも撰者たちは、遊び、機知と架空の歌を競作しているような人々であった。そのこともよみ人しらずに撰者による創作が混じていたと考える心証になっている。

創作を組み入れるのは、少し後の平安中期にもある。曾禰好忠と源順が実に複雑な言葉遊びを創作している。古今集の撰者が同じことをしても不思議はない。

このような強烈な編集意識を持つ撰者は、歌の流れを完璧なものにするため、好材料の不足している部分には、自ら「よみ人しらず」の名を借りて歌を編入したこともあるのではないか、それが大岡さんの仮説である。そこで実際に歌を並べての検討してみるとどうなるか。

720 よみ人しらす
たえす行/あすかの川の/よとみなは/心あるとや/人の思はん
721 よみ人しらす
淀川の/よとむと人は/見るらめと/なかれてふかき/心ある物を
722 素性法師
そこひなき/淵やはさはく/山川の/浅き瀬にこそ/あた波はたて
723 よみ人しらす
紅の/はつ花そめの/色ふかく/思ひし心/われ忘れめや
724 かはらの左大臣
陸奥の/忍ふもちすり/誰ゆへに/乱れむと思/我ならなくに

ここでは歌の中のある語句が、次の歌の中にそれと対比的な語句や類推連想される語句を導き出している。精妙な連鎖である。そうではあるが精妙すぎる。それが誂えたように並んでいる。

作者のわかっている歌とよみ人しらずがうまく配置されすぎていて、しかもはめ込まれたよみ人しらずの歌は、それだけで見たときには少しばかり影が薄いとも大岡さんは感じている。優れた歌の体臭が感じられずそつなくまとめあげたとすれば、「よみ人しらず」という文字が何かしらうさん臭いものに見えてくる、というのである。

なるほど、指摘されていることを順番に追っていけば頷けるが、普通はなかなか気付かない。撰者の微妙な感覚による編集の匙加減を読みとれるのは、実作をする詩人であるからこそであろう。実に興味深いお話である。

しかし「贈答と機智と奇想」という論考は、特に古今和歌集のよみ人しらずに絞って論じたものではない。よみ人しらずについての仮説は幾重にもなっているこの論考の構造の中の一つの話にすぎない。論考は重層的で、まず歌そのものの鑑賞があり、作者・撰者の考察があり、詞華集としての古今和歌集について考え、そのうえで全体を「贈答と機知と奇想」という表題にまとめている。

それだけに読む方も本を開くたびに違った読み方ができる。「古今和歌集のよみ人しらず」という一文を草したのも、そのような数ある刺激の一つに触発されたからにほかならない。その一つの刺激に絞り、大岡さんの論考を解きほぐして、自分のわかりやすいように書き改めてみたのである。

多様な話題が含まれているゆえに、この章の最後の曾禰好忠と源順との話も、それだけで別の独立した論題になる。漢文学にも優れた学究でありながら官位の上では従五位上どまりであった源順の家集『源順集』を読み解き、遊びの向こうにある源順の心境を想像し、現代に通ずる人間を浮かび上がらせる。

***

『うたげと孤心』という本は、「贈答と機智と奇想」の章だけではなくいずれの章においても、個別の問題に意識に集中して論ずるというより、その表題となっている「うたげと弧心」という大きな問題意識で、様々な事例を挙げていくようにして書かれている。

ではその「うたげ」とは何か、「弧心」とは何か。

日本の詩歌を含む文芸全般さらに諸芸道では、一方に「合す」原理があり、それがうたげである。他方に「孤心に還る」意志が働いている。どちらか一方ではなくその両者に緊張関係があるときに作品は稀有の輝きを発したというのである。

そのような観点でこの本は古典詩歌を見ていく。その後の「公子と浮かれ女」の章では藤原公任と和泉式部の歌の贈答を分析する。その犀利な読みの背後に、大岡氏の実作の詩人としての感性があると思う。

同章の最後の「錯綜する意味のもつれ糸を解きほぐしながら、一人の作者が、彼以外の何ものでもない姿をあらわしはじめるまで解きほぐしつづけることほど深い喜びはない。千年前の詩人が、隣人として語りはじめるのを感じるとき、私は「本」というものの世界が無限であることを、驚きをもって何度でもくりかえし信じるのだ。」との彼の言葉にこちらも胸が熱くなる。

後半の3つの章は、後白河法皇における梁塵秘抄の持つ意味を梁塵秘抄口伝集から読み解いていく。法皇がこの歌謡に情熱を傾けたさまに改めて感嘆することとなった。

大岡さんは「もとよりこれは学問的な研究書ではない」と謙遜され「大方はゆくえ定めぬ古典世界の彷徨である」と述べられているが、実に多くの古今の歌集や歌論書、資料を使い例証されている。多くのことを教えられた。

・手習い歌には「いろは歌」よりまえに「あめつちの歌」「たゐに」などの手習歌があったというお話などその一例である。

・歌が一首だけの孤独な詠嘆ではない、つまり近代になっての自己の確立と裏腹をなす生真面目な自己表現のものだけではないとの指摘に成程と頷く。子規や赤彦とは違う世界があったのである。

この本は出て間もなく読んだが、今思うとその当時は猫に小判であったかもしれない。読み直してみると、こちらの理解も多少進んだのか、千年前の人々についての手触りを得たというか、内容の深さと広がりを楽しむことができて良い読書体験となった。評論としても読むほどに刺激的な言説が見つかる。再読もまたよし。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.05.21

コンポスト

長く使っていた堆肥の箱が壊れたのでフェンスの金網で作り直す。差し渡し1メートル弱の円筒を2つ作り、新しく出た堆肥の素材を入れるものと熟成したもの保管するものとを切り替えるのである。カルワースのキッチンガーデンでしていたのと同じ方式。

できた円筒に中身を移す。堆肥の切り返しにもなりちょうど良い機会。中はそれなりの温度になっている。土になりかけの所ではミミズがたくさん動いて仕事をしてくれている。元は刈り取った芝草や庭の草花、台所の野菜くず、馬糞や海藻など。砕いた貝殻や木質もある。栄養満点。秋には黒々とした堆肥ができる。

それが終わりまた画面に戻る。原油から最終製品まで様々な市場を分析する長いレポート。もう少し。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

«出前