2017.11.18

重なる響き

TrTrTnBの編成でジェンキンス、ブル、フェラボスコ、ミコ。すべての楽器の音程が合い、2つのトレブルが重なり合いながら透明な音を伸ばしていくときの気持ちの良さ。充実した4時間であった。

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2017.11.17

機械はそうそう間違えず

早朝の列車。17号車57番座席。7が2回続くので覚えやすい。席についてもう一眠りしていたら途中で検札が来て目が覚めた。昨日作った栗おこわで朝食を摂る。そのうちに列車はカーンに着いて車内の乗客が増えてきた。通路を挟んだ隣の紳士が、新たに来た乗客にそこは私の席よと指摘されて立ち上がった。

するとその立ち上がった紳士が今度はこちらに向かって、実はあなた、そこが自分の席なんだがという。おや変ですねえ、17号車57番座席、ほらそう書いてありますよとこちらの切符、といっても予約したものの印刷物を見せる。彼も持っている切符を見せてくれるがやはり17号車57番座席とある。二人で変だなあと言い合いながらも、後ろの座席が空いていたので彼はそちらに座った。もう後は終点まで停車しないので実害はない。

弁当を食べ終わって考えてみる。彼の切符は駅で発行されたもの。駅で二重発券をすることがあるのか。システムはそこまでお粗末なのか。さっきこちらの切符の検札に来た車掌に聞こうかと思ったが、待っているとなかなかやってこないもの。車内で格別やることはない。もう少し調べてみよう。こちらは往復の列車を予約している。そのプリントアウトを点検してみる。

そこでわかった。17号車57番座席は正しいが、それは復路の切符の指定であった。10日後のもの。道理でさっきの車掌がこちらの切符のバーコードを読取った後で一瞬読取機を見直していたわけだ。当方の間違い。後ろの紳士に失礼を詫びた。多くの誤りは人為的なもの。機械は言われたことは正しく実行する。人間のミスがよく話題になるが、それは他人事と思っていた。自分がそれをする一人であったとはね。まあ当たり前の話なのだが。

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チョキチョキ

七分丈のズボン下が少しくたびれてきた。別に足首までのものが手付かずである。何年も前に母が買ってくれてそのままになっている。ふと閃いた。これを七分丈にすれば良いではないか。どうして思いつかなかったのか。自分の丈に合わせてチョキチョキとやって裾上げをして完了。

新しいものを身に付け箪笥の肥やしも少し片付き一挙両得。何よりこのような思考回路がこの年齢でも少しずつ形成されていることに満足を覚える。

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2017.11.14

鈴木石見

「永夜茗談」は編者不明であるが、戦国から江戸初期の武将の逸話を集めたもので、そこには我々の祖先の気構えや倫理そして寛仁大度が写し取られていて心地よい。内容は実記であると見られているが、その文遣いは江戸中期には既に古体と感ぜられたという。

そこに記録されている一つの挿話を古体を残しつつ少し書きなおして以下に掲げる。この話は「名将言行録」であったかどこかで読んだ記憶があるが、この「永夜茗談」では能狂言に残る物言い、さらには平家物語などに遡る古い趣を残した表現で書かれている。読んでいるとそのような武者の声音が耳朶に響いてくるような気がする。

鈴木石見と云ふ者は権現様から水戸中納言殿へ御附けなされ候隠れ無き武辺の者である。或る時石見が水戸殿の刀を持ち、御城大広間の溜の間に在りしが、伊達正宗も其所に居られしかば、石見は目を放ちしかと正宗を見る。

それ故正宗も不審に思い石見に謂いて曰く、「其の方我等を目を放さず見られ候。いか様の事に左程見候や。其方は何者ぞ。」

問われて石見答へけるは、「我等が事は聞きも及ばれ候べし、水戸殿の内に鈴木石見とて隠れなき者にて候。御自分(正宗)の事、音には聞きしかど見る事は今が始めなり。然れば水戸は奥州の御先手にて候、奥州にて逆心をすべき者は、御自分より外になし。依て御自分の顔を能く見覚え置き、逆心あらば其方の御首を取る可き為に斯くの如く見申し候。水戸の内にて其方御頸を取るべき者は拙者ならではなし。」

正宗其の心入を感じ、「我等ならでは奥州にて逆心すべき者はなしと見られ候は、如何にもよき目利きにて候。しかじかの日に申し請くべし」とて則ち水戸殿へ其の断りを云て私宅に呼び寄せ、自身に給仕をして殊の外馳走し、終日顔を見せられしとなり。

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絞られる

クローディーのところでリヨンとデイヴィッドの2人と初顔合わせ。2本のフルートによるソナタばかりをやる。バッハ、ヘンデル、テレマン、クヴァンツ、エマヌエル・バッハ。リヨンとクローディーがフルート、デイヴィットと当方で通奏低音。

デイビッドはロイヤル・アカデミーで学び、ウィリアム・クリスティーのレザール・フロリサンのメンバーだったが、声帯を痛めて引退。そんな人物が近くにいたとは。彼はすべての声部を聞いている。誰かが落ちるとその声部を歌って救い上げるが、止めてはくれない。アンサンブルはレース用のエンジンに換装されたようなもの。

こちらも一つ指摘された。小節の終わりを引き継いだ次の小節冒頭の歌い方。このパターンでの弓使いはこちらも注意しているところであったので、うんそうだそうだ。有難う。

無駄口はない。ひたすら音楽をするのみ。始めたら彼の何かに火が付いたようで、3時から8時まで随分絞られた。久しぶりの刺激。

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2017.11.06

広がりと奥行き

人の関心は好奇心の赴くままにどこまでも広がっていく。知識だけの話ではない。旅行、蒐集、お付き合いなどでも同じこと。若いときにはその傾向が強い。幅広く知っている、多くの国を巡っている、多数のコレクションを持っている、広範囲に交際している。

そのようなことが好きであれば、間口を広げるのも良い。しかし広げすぎるとその一つ一つとの関わり方が表面的になる。体力もいるし、何より各自の持ち時間は限られている。さてどうしたら良いのか。

そこで思い切って幅を狭くしてみる。敢えて数を少なくする。その代わり手元に残ったものを大切にする。機会は少なくなるかもしれないが、その少ない機会に努力を傾注してみる。手に入れたものは丁寧に使う。数少ない友達を大切にする。

それを続けていると、物には愛着がわくようになり、お付き合いが深くなる。仕事なら満足できるものになる。それを奥行きと言ってもいい。二次元の広がりが三次元の奥行きとなり立体的になる。

ただ奥行きが生まれるには、もう一つ隠れた要素が必要になる。それが時間。ゆっくりと時間をかけ仕事をする、玉を少しずつ磨いてみる、その場所を何度も訪ねてみる、ある人とじっくり付き合ってみる。それによって気付くことは多い。認識が深くなり共感が生まれてくる。深い理解とは時間の賜物であった。

奥行きが生まれるのには時間が大切であるとすると、そこに達するのには一定の経験と年数を掛けねばならないということになる。始めたばかりの人や若い人に性急に奥行きを求めてはならない。多くの人はそれなりの奥行きをいずれは身に付けるのであるから。頑張れ。

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2017.10.31

反応の構造

反応を巡っては
(1) 何に反応するか
(2) どのように反応するか
(3) 何故反応する・反応しないのか
というような問題を設定することができる。

(1) の反応の対象を、事実と感情に区分してみる。
(2) は反応のし方であるが、
事実に関しては肯定から否定まで
感情に関しては共感から反発まで
幅があるとしてみよう。
(3) そのうえで何故反応するのかを考えてみる。

このような区分をして概念の構造を把握するのは、思考を組み上げるための部品を作るようなもの。最終的には「人は何故共感するのか」を考えてみたいのであるが、その途中でこのような区分を思いついた。とりあえず備忘録にしておく。

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2017.10.29

20人に1人は

Vの新居がほぼ完成。お祝いに西洋花梨の苗木を贈った。古代ギリシアから中世にかけては重要な果物であったが今はあまり一般的ではない。それでも季節になると朝市で売られている。素朴な味の古風な果実である。

数年したら実がなるよ。果実や樹木は今の人だけではなく後の人のためになる。私たちがいなくなっても後世の人がその果実を楽しむと思うと夢がある。そう言って渡した。

今彼女はちょっと困っている。20数軒の農家を回って検査用に牛乳サンプルを集めているが、そのうちの1軒が勤め先に彼女の担当替えを依頼した。彼女には一切説明がないという。しっかりした女性で問題を起こすような人物ではない。どうしたのかと。

ここは農業国。農民がデモでトラクターで首都に乗り込むこともこともあり、国を支えるのは自分たちであるという思いが強い。それが昂ずると自分たちがすべてということになる。田舎の農家の中には、広い世界を知らずに思い込みで判断する人もいる。彼女はそんな先に当たったのかもしれない。

人には相性がある。20人いれば1人くらいは、馬の合わない人が出てくるのは当然かもしれない。たまたま組み合わせがうまくなかっただけ。何故なのと悩むより、新しい先を割り当てて貰うなりして先に進んだ方がいいかもしれないね。

昔債券売りをしていて、にべもなく断られることがあった。そのようなときはその家の戸を閉めたらすぐに気持ちを切り替えて新しい先を探した。今の仕事の売り込みも同じ。マーケティングの本質はそんなものかもしれない。1つうまくいかなくてもそこに拘泥せず前に進むこと。

サバサバした気性の彼女は深く悩む方ではないが、それでも首筋や肩が凝ったようになっている。それを揉みほぐしながらそんな話をした。

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2017.10.28

変な案件

わかりました、この案件はなかったことにしましょう。どうも腑に落ちないと思って、何度もお尋ねしながらこちらの考えていることを順番にご説明したのですが、わかっていただけて何よりです。

一ついいですか。コーディネーターのお仕事は、そのまま案件を右から左に流すことではありません。お客さまの要求していることが妥当なのかご自分でチェックする必要があります。もし依頼の内容がはっきりしなければ、確かめねばなりません。

そしてこのような姿勢はどんなお仕事についても当てはまると思います。「お客さまがそう言っているから」というのは単なる言い訳で、自分で考えていないということを宣言しているようなものですよ。頭を使いましょう。

スコットランドで働いているフランス人の女性コーディネーターに。ちょっときつかったかな。

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2017.10.24

数多く撃つ

円滑な意思疎通には適切な表現が必要となる。ただ話し手が適切な表現をしたと思っても聞き手は別人である。話したことが意図したとおりに相手に理解されないこともある。

そこで話者は様々な表現を工夫する。比喩を使うことも、図表や写真を用いることもある。身振り手振りもある。饒舌であることも役に立つ。下手な鉄砲も数多く撃てば当たる。一つの表現だけでは分かってもらえないかもしれないが(それにその表現が正確でないこともある)、手を変え品を変えて話していればそのうちに理解される。

このような考えは言語を完璧なものと捉えないことから生まれてくる。言葉は動物の鳴き声などと同類かその延長と見て、人類が長い間に工夫してここまでになった意思疎通の一つの手段にすぎないとしてはどうか。

そうなると言葉はまだ生成途上にある、あるいは常に生成途上であり、時代につれ絶えず変化しているということになる。うまく伝わらないことがあっても当然。

言葉が不完全なものであると心得れば、話し手は多様な表現の引き出しを用意しておくことになる。その他の小道具を持参するといった知恵も出てくる。

話が通じないと悩む必要はない。そもそも違う個体。通じないのが普通で通じたら僥倖くらいに思っておく。そのうえで通ずる手立てを講ずるのである。

(以上は話し手の側の事情であるが、このような事情を聞き手も承知していれば、片言隻句に反応するのではなく全体で何を言っているのかを理解しようという態度になる)。

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2017.10.19

道具と他人

良い道具を求めるのは人情であるが、それに凝りすぎると何のために道具を使うのかを忘れてしまう。それ一つで何でもできるような気にもなる。それは一種の他力本願。その結果、思っていることがうまくできないと、道具が悪いと愚痴が出る。

しかしそれはちょっと違う。道具は自分が何かをするときの手助けにすぎない。

まずは自分が何をしたいのかを確かめる。目的を明らかにするのである。そのうえで、それを実現するには何が必要かを見極める。問題の切り分けといってもいい。そこではどこまで細かく事象を観察できるかが問われる。

わかった、問題はここにある。これさえ乗り越えられればうまくいく。そのために必要なのはあれだ。そうなって初めて道具の話が出てくる。つまり道具はあくまで手段であって、大切なのは使い手の意思であるということ。道具が何かをしてくれるわけではない。本来の目的を忘れて手段を自己目的化してはならない。

以上は道具編であるが、ここで道具を人と置き換えてみるとどうなるか。何かをしたいがうまくできない。そこで他の人に助言を求める。助太刀を頼む。しかしそれでも成功しなかったときにどうする。

何かを実現したいと考えているのはあなた自身である。そのための工程を分析し、何を誰にどのように頼むか考える。施主は自分であって、助力はあくまで助力にすぎない。

うまくいかなかったのは自らの指示が十分でなかったから。今回の失敗は甘受して次回を期すしかない。言い訳はしない。況してやあの時ああしてくれなかったからと他人のせいにしてはならない。それは道具についてこぼすのと同じこと。
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(集団行動ではやや状況が異なってくる。多数が共同歩調を取らねばならない。必要な支援がないときにどうするか。まずは自分のできる範囲で責務を果たす。他を責めても状況は変わらない。仮に支援がないままとなるのであれば、運命を受け入れるしかない。曾ての多くの将兵がそうであったように。)

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2017.10.17

茄子の花

「ほら、やんなさい」「もう、わかってるって」。どこの家庭にもあるやり取り。しかしこの子が本当にわかっているか。当人は分かったつもりになっているかもしれないが、実は右の耳から左の耳に抜けている。

ところがいつか、幼い頃に親に言われたことが耳朶に甦ってくる。なるほどそういうことか。確かに親の意見と茄子の花に無駄はなかった。

それは親の言葉だけではない。少年のときに接したギリシアの先哲の言葉や論語の章句も同じである。あるときから、ああそういう話なのかと腑に落ちるということが増えてくる。すると市井の人々の何気ない言葉にも真理があると気が付く。偉い人の話を引用するばかりが能ではない。

誰も同じ経過をたどる。ひとさまの言うことを本当に理解するには、それなりの経験が必要になる。子供とはかつての私。親とは将来のあなたのこと。現役のお父さんお母さんの先には老いた親がいる。

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2017.10.14

オランジュリー

大使館で証明書を発行してもらうためパリまで出かける。朝窓口に申請書を提出した後は夕方に証明書が交付されるまですることがない。ここに来るときはいつも日中が一種の自由時間となる。

これまで何回かは、サンラザール駅と大使館の中間点にあるジャックマール・アンドレ美術館の企画展を見ていたので、今回も何か展覧会がないかを確認したが常設展のみであった。さてどうする。

結局シャンゼリゼに出てオランジュリー美術館を目指すことにする。モネの睡蓮を見よう。それに加えて散歩と路上観察もすれば十分な刺激になる。

靴紐を締め直し歩き出す。横断歩道で信号の変わるのを待っていると、横に中東系の一家がいて、男の子が珍しそうにしてこちらを見上げる。「やあこんにちは」と彼と握手をしたら一緒にいた父親の顔が和んだ。

途中のグランパレではパリ・ビエンナーレ展をしているとある。VIP用入口があり、ビエンナーレのポスターを車体に貼り付けた黒塗りの大型ベンツが5台並び、入場料も法外な値段。覗くのはやめにする。通りの向かいのプチパレの展示も前に見ているので割愛し目的地に向かう。

プチパレの建物とシャンゼリゼ通りの間に、クレマンソー(1841-1929)を記念する小さな広場があり、その銅像が立っている。彼は2度首相となっているが、2度目の就任は第一次世界大戦終盤であり、断固とした戦争政策を強行したという。パリ講和会議では多額の賠償支払いを求める厳しい対独強硬論を主張した。

コンコルド広場を目指し広い通りを歩いていると、途中の緑地帯で作業員が清掃している。作業員はヨーロッパとアフリカ系の混成チームであるが、黒人の動きは緩慢で実際に掃除をしているのは白人の女性であった。その横では何かの行事のための観覧席の準備をしていたが、これも混成チーム。そこでも重機を動かし指示をするのは白人であった。

コンコルド広場の先のチュィレリー公園に着き、中国の団体さんが声高に話をしている横をすり抜け、オランジュリーに入る。やっと睡蓮の大装飾画を見ることができた。クロード・モネ(1840-1926)の最晩年の作である。

睡蓮の絵は2つの楕円形の展示室の壁面に4枚ずつ掲げられ、他には何もない。大画面を近くで見ると、さまざまな諧調の灰色を加え彩度を抑えた色を用いて、輪郭のはっきりしない面や線が描かれているだけである。それが部屋の中央に立つと水面の蓮の葉であったりそこに投影する空やしだれ柳として見えてくる。色が意外にくすんでいるのは、白内障の影響もあるのかしら。記憶で描いた所もあるといわれる。やや大きな第2室の方の絵は、色調がさらに抑えられている。

部屋を取り囲む絵をぐるりと見回すと、絵の中に朝晩があり四季があり、絵巻物の発想と通ずるものがある。浮世絵などのジャポニズムがモネの絵画に影響していることは指摘されているが、絵巻物の発想も日本の友人黒木三次などから得ていたのであろうか。

とはいえ、絵巻やバイヨータピストリーやこの睡蓮のように横長の絵になれば、日や季節の移ろいという時間的要素を取り込むのはごく自然なことかもしれない。近代の今村紫紅の熱国之巻や横山大観の生々流転なども思い出した。絵画の時間表現について専門家の意見を聞いてみたくなった。

晩年のモネは、視力が低下し手術を受けている。家族や友人の死去という不幸もある。そのような状況で友人クレマンソーの励ましを受け、この睡蓮の制作に没頭したという。そんなことを知ったうえで絵を眺めると、モネという画家の絵に対する思いの何ほどかがこちらに伝わるような感じであった(クレマンソーには先程銅像でお目に掛かっているので、ちょっと妙な気分がした)。

両方の展示室とも人が多く静謐の中で絵と向き合うというわけにはいかなかったが、まあ世界の人が観光に出かけるご時世であれば仕方ない。

・・・モネの晩年には、フォーヴィスム、キュビスムなどの新しい芸術潮流が生まれており、当時「睡蓮」を省みる人は少なかった。クレマンソーは1927年6月、「昨日オランジュリー美術館を訪れたが、誰一人いなかった」と書いている。しかし、1950年代になると、ジャクソン・ポロックなど抽象表現主義の画家・批評家がモネを引き合いに出すようになり、改めて注目を浴びるようになったという(以上ウィキペディアの引用する安井裕雄 『もっと知りたいモネ――生涯と作品』 から)。絵にも有為転変がある。

部屋の形と呼応する天井の楕円形の窓から降りそそぐ自然の光の中で絵に対していると、かつてブリジストン美術館で睡蓮の絵を見たこと、あるいはジヴェルニーにあるモネの家と庭園を訪ねたことなども甦る。賑やかにしていた修学旅行らしき東欧の高校生たちは何を感じ取ったであろうか。

オランジュリー美術館にあるのは、モネの「睡蓮」だけではなかった。下の階にはセザンヌ、シスレー、ルノワール、マティス、モディリアーニ、ピカソ、スーティン、マリー・ローランサンなども展示されている。

これらの絵画は、画商ポール・ギヨーム(1891-1934)のコレクションに由来する。彼は印象派から現代絵画、さらにアフリカのアートまで収集した画商であったが、これからというときに死去。未亡人となったその妻ドメニカが蒐集を条件付きで引き継いだ。その条件とは、コレクションの中身は変更して良いが最後には国に寄付するというのである。

ドメニカによりコレクションは変質する。彼女の趣味はポールほど大胆ではなく、ポールの集めた数多くの絵画は手放される。モジリアーニの手になる肖像画やジョルジョ・デ・キリコ、マティスの秀作やピカソのキュビスムの時代の作品など200点余がコレクションを離れる。アフリカのコレクションも売却された。

彼女は北アフリカの鉱山で財を成した建築家ジャン・ヴァルテルと再婚し、エリゼ宮に隣接する自らのアパートメントを好みのルノワール、セザンヌ、ゴーギャン、モネ、シスレーなどで飾った。そのコレクションが最終的にフランス国家のものとなったのは1977年である。

このヴァルテル=ギヨームのコレクションには、確かに前衛的なものや思考が揺さぶられるようなものはない。資産家の夫人の好みかもしれない。しかし人の好みは千差万別。それはそれで楽しめばよい。

ルノワールの絵が数多くあったが、そこに描かれている女性たちについては、かつて豊満な成熟した女性のように感じていた。それが今改めて眺めてみると、見知ったナデージュやオーレリーの顔がある。いずれも初々しくまだ少女のような表情であったのが驚きであった。

上の階のモネの睡蓮の大作、下のヴァルテル=ギヨームのコレクション、それぞれに興味深いものがある。歩き回って疲れたが、たまのことならお上りさんも悪くはない。

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2017.10.02

それぞれの持ち味

商家で小僧さんを採用するときに、シジミ汁を食べさせてみるという話を母から聞いたことがある。客商売では素早い対応が大切で、シジミの身をいちいち食べているようでは商家では勤まらないというのである。

しかし今になると、そのような人ばかりではなく、じっくり物事に取り組む人材も必要ではないかと思うようになった。商家でも大店になるとすべてが接客ばかりではあるまい。

そんなときに徳川吉宗の事績に接した。

吉宗公がまだ紀州にいたときのこと、御側に候する8歳の小児が二人いた。この二人の才知を試すため、吉宗は入浴後「湯殿で剃刀を遣ってそこに置き忘れた。両人で暗がりの中を取ってきてくれ」と仰せつけた。ただ探り回って取るのは誰もする。探らずに在り所を考え工夫して取って参れ。

両人は畏まって御湯殿へ行く途中で話す。どうやって探そう。一人は、まず下にいて心を静めて四方隅々を見れば剃刀の光が見える、それを見定めて取ろうと思う、と言う。もう一人は、そんな手間のかかることはしないと、御湯殿へ行くや否や足拍子を踏み鳴らし傍らでかたりと音がするのを、すかさず取って帰って差し上げる。

両人が考えの趣きを申し上げると、お側の面々はこの小児を誉めて大人も及ばない頓智かなと大いに感じた。

吉宗公はお聞きになって、最も頓意の働き感心である。時にはその働きにて大いに功を取ることも多いであろう。しかしその知恵は危うい。もしその剃刀が足元などにあれば、足拍子を踏むときにたちまちに怪我をするであろう。今一人の者の心気を静めて見ればその光が見えると言ったのは上智である。最も賞すべし。すべて上智は少し遅いがそのかわりに過つことがない。頓智はその功を得るが危うい。両方とも捨てがたい。両人が才智、ことに従って用いるところが替わる。そう仰せになった(明君享保録)。

吉宗は、お側の者が頓智の才を称揚したのに対し、慎重にことを進める態度を上智として、そのうえで尚それぞれに取り柄があることを指摘した。

人には各自に適した場所がどこかに必ずある。シジミの身を丹念に食べる(今はかなり多くの人が食べているという調査もある)小僧さんも、どこかで役に立つであろう。

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2017.09.22

そちらの方の修養

自分の書いたものを批判をされて落ち込んでいる人がいた。いつの時代にもあること。漱石が武者小路実篤に書いた手紙を思い出した。実篤が新聞に誹謗記事を書かれそれを訴えたときに、漱石が出した返事である。

お手紙を拝見致しました。私はたしかにあの文章を見ました。然し少しも気になりませんでした。それが自分のものでないからかも知れませんが、あゝいふ所に出るものは好加減な出鱈目に近い事が多いというのが大理由かと思ひます。しかし間違はだれしも嬉しくはありません、ことにあなたのやうな正直な人から見れば厭でせう。それを神経質だと云つて笑ふのは、そのうらにある正しい気性を理解し得ないスレツカラシの云ふ事です。私はあなたに同情します。

けれども私はあの記事を取り消させる丈の権力は持ちません。あれを書いたもの及び編集者はたとひそれが誤謬と知つても、わざわざ取り消すには余りに小さ過ぎると云ふ考で、ごたごたした他の雑事に頭を使ふ事だらうと思ひます。此際私のあなたの為に出来る事はあの手紙を社に送ってあなたの趣意を了解させた上、あとの處置はあちらの適宜に任せるといふ事丈のやうに思われます。私はあなたのためにそれ丈の手続きを尽します。私は是からあなたの手紙を社会部長の山本松之助君迄送つて、よろしく頼むと云つてやります。

私もあなたと同じ性格があるので、こんな事によく気を悩ませたり気を腐らせたりしてきました。然しこんな事はいつ迄経つても続々出て来て際限がないので、近頃は出来る丈これらに超越する工夫をして居ります。私は随分人から悪口やら誹謗を受けました。然し私は黙然としてゐました。猫を書いた時多くの人は翻案か、又は方々から盗んだものを並べたてたのだと解釈しました。そんな主意を発表したものさヘあります。

武者小路さん。気に入らない事、癪に障る事、憤慨すべき事は塵芥の如く沢山あります。それを清める事は人間の方で出来ません。それと戦ふよりもそれをゆるすことが人間として立派なものならば、出来る丈そちらの方の修養をお互にしたいと思ひますがどうでせう。

私は年に合せて気の若い方ですが、近来漸くそつちの方角に足を向け出しました。時勢は私よりも先に立つてゐます。あなたがそちらへ目をつけるやうになるのは今の私よりずつと若い時分の事だらうと信じます。以上

 6月15日

夏目金之助
武者小路実篤様

漱石がこれを書いたのは大正4年で48歳のとき、亡くなる1年前のことである。

(表記の漢字については漱石全集では旧字体を使っているが、ここでは新字体にしている。それ以外は漱石の旧仮名遣いをそのままに引き写した。漢字にするのか開くのか、送り仮名をどう付けるのかなど、表記に揺れがあることも興味深い。意外なところを開いていたりして自由闊達であることが心地よく感ぜられる。Sさん元気になりましたか。)

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2017.09.20

週末の彩り

海峡を隔て向かい合うシェルブールとプールは姉妹都市となって40周年となる。その記念行事の一環としてドーセットからコートリーミュージックの一行4人が来てアルスノヴァと合同で演奏会をした。

一行は金曜に到着し、土曜日に町なかのトリニティー教会で、翌日曜日はトゥルラビィルのお城で、中世・ルネサンスの音楽を一緒に演奏をする。持ち込んだ中世音楽のための楽器は夥しい。バンの車内はサックバット、クルムホルン、ショーム、カータル、ルネサンスガンバ、リコーダーなど、大小の楽器で一杯になっている。

彼らに会うのは5年ぶり。金曜日から月曜まで宿を提供する。金曜はEのところで到着の歓迎後、こちらで荷ほどき。一休みのあとコンソート。ヴィオローネを持たされたが第3弦がCではなくBになっている。わずか半音の違いであるが慣れるまでに手こずる。気が付いたら夜11時。

土曜日は朝から合同練習をした後、5時から市役所の隣の教会で本番。こちらはリコーダーに徹する。出番の多いルネサンスのアルトが教会でよく響く。終わって皆に来てもらい打ち上げ。総勢13人。食事後また歌と演奏で深更に及ぶ。

日曜日はトゥルラヴィルにある城での演奏会。このラヴァレの城では17世紀初頭に処刑された若いジュリアンとマルガリータの話が伝えられていて、演奏会でもそれにちなんだ曲を採り上げている。歌と楽器での演奏は、彼らの供養もあり、流れよわが涙、千々の悲しみで終える。その後近くのAとGのところで慰労会。

月曜日はのんびりとルネサンスガンバでのコンソート。魂柱が無いため音に輝きや響きはないが、静かなしっとりとした音を奏でることができる。MとAは共にチェロを学んだ音楽家で、彼らと一緒にギボンズを楽しんだ。数学的な抽象の先にある歌を感じとれる機会はそう多くない。息抜きにクルムホルンでスザートなど。

昼からはウォーキングから戻ったGたちが加わり、ヴェルデロットの7声のマドリガルやジェンキンスのベルパバーヌなど。フェリーの時間直前まで音楽三昧。

次回は海峡を渡ってといって彼らは去り、長くも精彩のある週末が終わった。

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2017.09.12

頬のぬくもり

プルートとジジを連れての朝の散歩。小字の入り口にバス停があり、6人の子供たちが集まっていた。ああ通学バスの時間か。おはよう。プルートも短い尻尾を振って向こうに御挨拶。

一番小さな女の子が親しそうにこちらにきて頬っぺたに御挨拶。別の女の子も挨拶してくれる。こちらは知らないが向こうは当方のことを知っているらしい。まあ子供たちが安心できる年齢になったということか。

後で思い出した。一番下の子はコリーヌの家の隣の子であろう。帆のついた笹船を作ってやったことがあった。少し冷えた朝の空気の中で彼女たちの頬が暖かかった。

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2017.09.03

よろしくの裏

9月となり空気が秋めいてきた。こちらの散歩の足音に警戒するのか川幅50センチに満たない流れで何度かごぼりと魚が水音を立てる。川を遡上する時期になってきているのかもしれない。

人は知人や友人に、或いは職場や親戚付き合いで、「よろしくお伝えください」と言伝をする。若いときには何故そのようなことを言うのかと思った。よろしくとは一体何なのか、そんな言葉などすぐに消えてしまう空疎なものではないかと感じていた。他の人に聞いても似たような感じであったようである。

しかし空疎であったのは当方の頭の中であった。若いときには語彙だけは増えるが実体験が足りない。言葉を単なる抽象的な表章と考えてその演算に終わっていたのである。それが次第に言葉には確とした実体の裏打ちがあることに気付くようになった(空中戦からの離脱)。経験とそれを補う想像力が豊かになるほどに言葉は重く密となっていく。

何故その人が「よろしく」と言ってきたのか。それは相手に対する敬意であり、ときには和解の象徴であり、さらには恩讐を超越したメッセージであるかもしれない。誰かに言葉を贈るとは、単に言葉を発しているだけではなくその人が行為しているともいえる。その一言は万感の思いを込めて発せられたものかもしれない。

発話が行為であるということは「よろしく」という表現だけに当てはまるのではない。それ以外の他者への語りかけの言葉でも同じこと。それを受ける側の心持ちによりそのメッセージはかけがえのない贈り物ともなる。

さらに言葉に確とした実体の裏打ちがあるということは、誰かを対象とした言葉だけではなく、記述の言葉などを含め、すべての言葉に当てはまる。そのようなことに気付けば、発する言葉に慎重になり、発せられた言葉は相手の心によく届くものになる。ただ人は遅かれ早かれいずれ言葉の重みに気付くようになる。明確に意識されていることもあるし無意識的なものであることもあるが、いつまでも中身のない言葉を連ねているわけにはいかなくなる。

発する人もそれを受け止める人も言葉を疎かにはできない。「よろしく」という言葉が、或いはその他のどのような言葉でも良いのであるが、それが何故発せられたのか。それを考えて見てはどうかしら。

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2017.08.29

怪しい療法士

月曜の朝マルティーヌが旦那と来る。左肩が痛くてよく寝られなかったという。それはお気の毒さま。ちょっと両手をこうしてずっと挙げてみて。やってもらうと確かに左腕は余り伸びず痛そうにしている。

前の日にしゃがんだ姿勢でじゃが芋掘りをしたことが原因かしら。そうかもね。それに半年ほど前に脚立で転んでお尻を打ったでしょう。それも影響しているかもしれないですね。彼女はかなりの体重がある。

上腕から少しずつさすり、肩のところを押さえると強張っている。特に左の肩甲骨の下は痛そうにする。彼女は着ている縞のTシャツを脱ぐ。濡れタオルで肩から背中をぬぐい、乾燥したタオルを当て、ベビーパウダーのタルクをつけて30分ほどマッサージ。

終わって、対症療法もさることながら自分で肩を回したりした方がいいかもしれない、そう伝える。ちょっと一緒にやってみよう。夜床に就く前にも同じことをしてみてね。お大事に。明日朝またマッサージをしましょう。

そして今日二人がまた来る。

どうでした。有難う、よく寝られたわ。それは良かった、多少はお役に立てて何より。腰骨から背中、肩、上腕に昨日と同じことを繰り返す。

調べてみると左の肩甲骨の下の痛みは内臓に関係していることもあるという。そこで帰りがけに、こうして肩を上げてぐっと落とすという動作をすることも役立つかもしれないと実演する。内臓の位置が整えられるという。早く良くなってね。ボンジョルネ。

何やら怪しい療法士になってきた。

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2017.08.21

静かな秩序

かつて通学バスを待っていた北口のロータリー。そこを見下ろす部屋から、並んでいる客待ちのタクシーを眺めていた。おや真っ直ぐに並んでいない。一台頭を出しているのが気に入らない。変な潔癖症が頭をもたげた。

タクシーは2か所に分かれて駅から出てきた客を待っている。まず改札を出てすぐの所に乗り場があり、そこに縦列で常時2台が待機している。客が乗って1台出ていくと後ろの車が前に出る。すると別にロータリーの中央にあるタクシー溜まりから1台が動いてきて、乗り場の後ろ(2台目)に着く。

そのタクシー溜まりではタクシー4台が横並びに順番を待っていて、駅で客を降ろしたり空で戻ってきたタクシーはさらにその後ろに並ぶようになっている。最初におやと思ったのは、このタクシー溜まりの4台の横並びが揃っていなかったことであった。

しかししばらく見ていてわかった。1台が40センチほど頭を出していたのには理由がある。乗り場のタクシーが客を乗せて出ていくと、その頭を出している車がすうと乗り場の後ろに着く。空いた所には後ろのタクシーが入る。タクシー溜まりの次の順位の車が少しだけ動いてまた頭を出す。

そうか、これは誰が先であるかをお互いに確認するための取り決めであったのか。なるほどね。

偶然泊まることとなったビジネスホテルの窓から眺めたのであるが、どのタクシーも整然とした秩序のもとに動いている。世界には先を争うような運転をする乱暴なドライバーや、折あらば客から法外な料金を取ろうというタクシーもいるが、ここはそれとは無縁である。あたかも玩具の町の自動車の運行を見ているようであった。

温暖な気候、穏やかでやや保守的な人々の気質。その温和な気風がこの小都市のタクシーの動きにも反映しているのかもしれない。外を見て改めて内を見る。そしてここに静かな文明があるのを発見したような気がした(それはかつての感動にもつながる。自からなる敬意)。

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