2012.01.22

カラヤンのレクイエム

久々にモーツァルトのレクイエムに接した。1986年カラヤン指揮ウィーンフィルとウィーン楽友協会合唱団の演奏を映像化したもの。もう四半世紀前のものとなる。この頃、モーツァルトのレクイエムを色々な機会に聞くことがあった。少し音楽に親しみを感じている人はこの楽譜を眺めた経験があった筈である。

カラヤンの演奏するレクイエムは大編成で壮麗。男性は黒の蝶ネクタイ、女性はたっぷりしたドレープのスカーフで身を包みギリシア神話の女神たちを思わせる。指揮も合唱も暗譜。カラヤンは偉大な神のように指揮をする。演出も整然としている。映像作りのために、彼は重なって映し出される楽器の角度にまでこだわったと聞いた覚えがある。

カラヤンには独自の美学があり、その美学の故に当時もカラヤンよりベームのものを好むという人が多かった。今改めてこの演奏に接してみるとその評も尤もと思う。統率がとれ神々しく、その場にいれば感動することは間違いない。素晴らしい演奏であり、演奏それ自体で評価すれば良いのかもしれない。しかし音楽の中に身を置いて至福の時間を味わうというのではなく、距離を置こうという気持ちが生ずることを否定できないのである。それは一体何故なのか。

仮に演奏を、音楽それ自体とその表現との2つに別けてみるとどうなるか(実際には両者は不可分であるが)。音楽の中に没しきれないのは、モーツァルトの音楽自体ではなく、カラヤンの表現にあるのである。

表現とは楽譜に書かれた音符を実際の音にすることであるが、それは自分が達成したい美や効果を考えて、テンポ、強弱、音色、その他の要素を決め、演奏者を統御する過程とも言える。その統御の部分にカラヤンの考え方が反映される。音楽を他の外界の事象と結びつける必要はないかもしれないが、彼の美意識に貫かれた整然とした統御の仕方は、歴史上の記憶として残るある時代の人々の行動に通ずるものがあるように思う。このようなやり方でワーグナーを演奏したらどうなるか。

モーツァルトのレクイエムはそれ自体で素晴らしい音楽である。表現された音楽は、そのままで人の心の中に深く訴えかける。自然でいいのである。それを意図的に強めるような演出は不要。カラヤンの演奏が持つ崇高な雰囲気には、人間の感動を操作するというような作為がやや感ぜられる。そのために、これは人の理性を麻痺させ、原理主義の宗教や一定の政治的教義に結びつくのではないかと疑念を抱かせるのである。彼にその意図が全くなかったとしても。

距離をとるような感じの由来を良く考えてみると、このようなところであろうか。

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2012.01.18

家族の写真

かつて父方の親族で上京した者が折々に集まっていた。会食をしたりピクニックに行くこともあった。そして故郷の話やうからやからの話をするのである。宴が果て最後にはお国自慢の県歌を歌う。学校のコンパに近いところもあるが、郷土に愛着を持つ親族が相親しみ結束する場であった。

しかし同郷人の結束は、時として異なる要素を排除する傾向を持つことにもなる。一人他郷で育ったが故に、そして何より動物的な匂いが違ったからであろうが、自分はその集まりではやや異分子であった。県歌をよく知らず肩身の狭い思いをしたことがある。まあそのうちに歌詞の一番位は歌えるようになったが。

昔学んだ大学の法学部の教授の多くは、そこを卒業するとそのまま助手となりそこの助教授から教授となっていた。今も余り状況は変わっていないようであるが、まあ純粋培養である。就職した組織でも状況は似たようなもので、役員の履歴を見るとその多くが同じ大学の同じ学部の出身者であった。

このような中で生まれ育つと、純粋なものが良いという観念が無意識のうちに形成される。しかし世界はそうできているのであろうか。本当にそれで良いのかしら。

年末にケベックのベルナールからクリスマスカードが来て、しばらく近況についてやり取りをした。話をしていたら、彼の昨年の大きな行事は、再婚した奥さんの子供・孫たちとベルナール自身の子供・孫たちとが、夏に一同に会したことであるという。肩を組み満足そうな表情をした人々の写真が送られてきた。それを見ながら、自らの生まれ育った環境と引き比べて、「ああ、これは随分違う」そう感じた。

(この話は、「日本人が純血主義であり、欧米人が異質なものに寛容である」という一般論を述べるものではない。多少その傾向があるとしても、それですべてを説明できるものではない。国や文化の違いと言うだけでは、説明にならないであろう。国や文化が違うという説明は、言葉を変えた循環論法に過ぎないから。たまたま自分の生まれ育った環境と、ベルナールの家族を巡る環境が違うということにすぎない。どこにでも同じ血族で一致団結し内外を峻別する人々もいるし、境界という枠組みを超えて相対的にものを見ることができる人もいるのである。)

では「ああ、これは随分違う」と感じたその感覚をもう少し仔細に点検してみるとどのようなことになるのか。彼らは自分とどこが違うのか、そのような違いは何故生ずるのか。それを考えていくと、人間の持つ傾向の一端が見えるかもしれない。

まずは、どこが違うのか。

違うという直感的な印象を言葉にするとすれば、「ベルナールのところでは、身内とする境界をかなり広げて考えている」ということになるであろうか。それが自分の生まれ育ちと違うところである。彼らは直接に血が繋がっていなくとも、実は大きなところで何かしらの連帯を感じているのかもしれない。人間は誰しも身内とそれ以外とを区別するが、拡大家族会を開いたベルナールたちは、その身内の概念を広くとっているような気がする。

ベルナールたちに境界がないわけではなかろう。どのような社会にもある。かつて柳田國男などの民俗学の影響で、ウチとソトの区分は日本固有のものと思っていたが、そのようなことはない。古今東西を問わずどのような社会でも、その構成員を他から区別しているのである。けれども、その区別の境界線が彼のところではかなり外側に広がっているように感じられる。

では、境界を広げるというのは、どのようなことなのか。

境界というものは、いくつもの同心円の重なりのようになっているのかもしれない。境界を広げるとは、その同心円の内側から外側に向かい、遠心的に外延を広げることである。それにより多様な要素を包摂することになる。ただこのときには、単に境界の縄張りを少し伸ばすというのではなく、質的に異なる操作が行われているような気がする。つまり境界を設けるための基準の次元を変え、異なる要素を包摂する概念を考え出しているのではないか。より高い価値を基準とすることで、初めて境界が広がるのである。

身内についてこの考えを適用すれば、血族ではなく同居しているかを基準にする、或いは同居の有無にかかわらず同じ価値を分かち合えるかを基準にする、というような思考を導入するということになる。さらに愛犬だって身内だよ、というようにより多くを包みこむ概念を作ることもできる。「たとえ○○であっても、観点を変えて○○とすれば、いいではないか」という論法も、境界を広げる操作である。ベルナールたちは、無意識のうちにもこのような考え方をしているのではないか。

逆に境界を縮めていくとどのようになるのか。

境界の縮小とは、均質化ということができるかもしれない。同じ国の人で揃える、同じ地域や職場や学校の出身者で組織を固める、同族会社にするというような行動であろうか。

しかし人間社会で真の均質化があるのか。背の高さ位は揃えられるかもしれないが、ものの考え方や行動様式はそれぞれに異なる。人間は様々な基準によって切り分けられるのである。Ein Volk, ein Reich, ein Führerという標語がナチスドイツにあったが、その北方人種を優越人種とする説は破綻していた。どのような集団にも色々な要素が入っている。兄弟姉妹の間でも気質や行動様式は違う。人間を含め生き物はすべて多様であって、工業製品ではないのである。

仮に均質な集団があったとすれば、そのような集団では思考が画一的になる。社会が安定していればそれでも機能するかもしれないが、世の中はそれほど安定したものではない。社会の変化に合わせて集団は常に考え方や動き方を変えて対応していかねばならないのである。そのような対応は、均質な集団より多様な構成員を持つ集団の方が、発想に広がりがあるため、うまいのである。

境界を広げることと、境界を狭くしていくことと、どちらを選択するのか。それは各自の判断である。

同じ仲間と連帯感を示すときに、その仲間の定義を吟味する必要がある。一方では「あいつも俺と同じムラの出身だ」というように限定することがある。しかしそれではまずかろう。それがどうしたのか、と問われたら何と答えるのか。そうではなく、上位の概念で統合して共通するものを見つけていけば、仲間の概念が広がる。皆が同じ人間として仲間なのである。

では違いは何に起因するのか。違いとは2つ以上の比較により気付くことであるから、これを言い換えれば、一方で境界を広げる動きはどのような環境で生ずるのか、他方で境界を狭くしようとする動きはどのような環境で生まれるのか、その理由を対比的に説明するということである。これは、それぞれの集団の気質とそれを取り巻く環境の合成物であるので、簡単には説明できない。今の段階では、ベルナールたちの日常が接している人々や世界が多様であり、我が父祖の世界は同じムラ(とは村であり、出身校であり、職場であり、住んでいる共同体であるが)の中で完結しているから、としておこう。もっと考えねばならない。

ただ、この違いは決して固定しているものではない。純血主義と見えた大学ですら、明治初期にはお雇い外国人たちが招聘されて教えていたのである。純血主義は必ずしも牢固とした伝統ではない。閉ざされたように見える共同体でも、代替わりで意識は変わってくるし、隣近所に新しい人が来れば、それだけで意外に簡単に変わるのである。その意味では人間の柔軟さについて、自分は楽観的である。或いは身も蓋もない言い方をすれば、人間は個別でも集団としても必死になれば変わらざるを得ないのである。

ベルナールの家族の写真は、このような頭の体操をする良いきっかけであった。

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2011.12.13

古い人々の記憶 1

父が転倒して骨折をしたため実家に来ている。大腿骨頚部骨折という診断で、多くの老人の転倒による骨折がこれによるとのこと。いずれと思っていたが来るのが早くなった。人は生まれ落ちた時に世話をされ、いつか世話をする番になり、また最後に人の世話になる。それぞれは巡り合わせ、そして順番である。

入院中はまだ良いが、父が退院すればこちらが面倒を見ることになる。それが長期となるのは覚悟のこと。昨年の母の看護の時にここでも仕事ができるようにしてあり、それをそのまま残してあるのはこのためであった。母の部屋で仕事をし、そこに床を延べて起居することになる。家にいるのは自分だけ。仕事場となった母の部屋に入ると、何度となく「お母さん」と声に出す。

部屋の人形などを飾ってあるケースの中に、母が和紙に包んだものを見つける。中には手紙と戒名を書きつけたものが入っている。

便箋を折って作った母の手製の戒名札がある。これはすべて母の字で

常香院敢徳恒心諦観居士
常香院敢徳恒心諦観居士

と二回書き、裏には「三井恒男 かぞえ五十八才/没五六年四月四日」とある。母の兄である。

それとは別に、茶色に変色した一枚紙の戒名の書きつけがある。

昭和十七年
空 玉峰貞潤大師
七月廿四日

と書かれ、峰の字を中心に朱印があり、上部に天蓋、下部に蓮の実の黒の印が押されている。一枚紙であるのは、年忌供養のために作られたからかもしれない。その左下隅に「三井恒夫、年の生母の戒名/昭和二〇年頃祖母トヨより一二母がもらう」と母の手で書いてある。

そのお札はこれまた茶色になった一回り大きな厚紙に貼られている。お札のすぐ左下に「昭和五六・八・十六漆戸より持って来て供養する」とある。もらった一枚紙を母か一二かが厚紙に貼り、それを位牌代わりに仏壇の中に納めていたのではないか。変色は線香に燻されたためであろうが、元の一枚紙よりは黄ばみが少ないのは、紙質の違いとともに作られた年代そして燻された年数の違いであろう。それを母は兄を看取ったときに実家から持ってきたのである。

お札の左下の角のすぐ隣になる厚紙の所には「私が死んだらこれをお盆の時にでももやし去って下さい。(年)」と母の字で書いてある。


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2011.11.23

言葉の力

ダン・ギルモアというコラムニストが、ガーディアンで言葉について書いている(Occupy language: the struggle over meaning)。これはウォールストリート占拠デモで始まった、既成体制への抗議行動に関連して書かれたもので、表題も、抗議運動のOccupy Wall Streetというスローガンに掛けてある。

彼の主張は、権力と富を独占する体制に対して抗議をするばかりではなく、ジャーナリズムにも抗議すべきであるというものである。ジャーナリズムに何を抗議するのか。それは、ジャーナリズムが体制の使う言葉をそのまま用いることでその支配に加担しているという事実に対してである。

例えばearnという言葉である。この言葉には金銭に関わりなく報われるのに値するという意味があるが、それをウォールストリートや金融で莫大な利益を挙げた者の報酬にまで使うのはおかしいと指摘する。或いはworthという言葉。これも同じで、濡れ手に粟の経営者に使うべきではないと主張する。事実を曖昧に糊塗するような用語ではなく正確で中立的な言葉を使うべきであるというのである。

言い換えはこのほかに「賭け事」を「ゲーム」とし、「拷問」と書かず「高度の取調べ技術」と書くなど、様々にある。グアンタナモの「被収容者」は有り体に言えば「囚人」なのである。国が「無償」交付するというが、それは自分たちの税金の分配に過ぎない。そのような言葉は、端的な事実を隠蔽している。

当事者がそのような言葉を用い事実の隠蔽をしているときに、報道する者までがそのような言葉を使うことは、隠蔽に加担することになる。人々はこのような報道の姿勢に対しても抗議をすべきであるというのが、ダン・ギルモアの主張である。彼の言うことは道理に適っている。

このような報道機関の迎合はどこの国にもある。日本にもある。負け戦のときの「転進」とは詰まるところ「退却」なのである。朝三暮四は単に順番を変えた目くらましであるが、これらの言い換えは欺罔である。

そして彼の主張に頷けば、次には自分が日々使う言葉を顧みることになる。己がそのような言動をしていないか、端的な用語で平易な表現をしているのかと。

虚飾を排した平易な表現は、事物の本質を明らかにし正しい認識に密接に関わっている。知性における言葉の役割は極めて大きいと言えよう。開かれた社会は、平易な言葉で事実を確認することから始まる。

しかし飾らない平易な表現をすることに勇気を必要とする場合がある。核心を突いた表現であるが故に、為政者や既得権益を守りたい者にとっては規制をしたいであろう。さあ、その時に声を挙げることができるか。ボスのような政治家から恐ろしい顔で、お前はどこの社の者で、名前は何と言うと訊かれてそれに怖じずに質問を続けられるか。代表会議で、意見を言った者が屈強の男に順番に連れ去られる(その後の行方は知れない)のを見て、尚声を挙げることができるか。剃刀の刃や銃弾が送られてきたらどうするか。

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2011.11.08

自立する

Nさん

お便りを有難う御座いました。仕事をしていこうという意欲があること、何よりです。しかし拝見していて気掛かりなことがあります。そのことについて、今日は書いておきます。

まず「お話をしてさすが○○卒で頭がいい方だと思いました」とお書きになっているのを読んで、おやと思いました。申し訳ありませんが、これはNさんが学歴に縛られているということを自ら表明しているようなものです。大学にいる期間はわずか数年のことです。どのような教育を受けたかには全く関係なく優れた人が世の中にはたくさんいます。

学歴だけではなく、「○○であるから○○である」とする思考は、物の見方を枠の中に押し込め、自分がその外に出られなくなります。現実の世界では、人間社会も、自然科学でも、「○○であっても○○でない」、「○○であるのに○○である」ことの方がずっと多いのです。それぞれが個性ある独自の存在です。大学で出会った同級生をそれぞれ思い出してごらんになると、それぞれがユニークであったのではありませんか。

貴女はこれを褒め言葉としてお使いになったと思います。ひょっとすると、同世代や自分より若い人に対しては言っても良いかもしれません。励ましになるかもしれません(それでも私は使いませんが)。しかし年長者に対しては、このような発言をなさるのはお控えになった方がいいでしょう。良いことは何もありません。

学歴に対する言及は(それだけではなく家系や出自に対する言及も含めて)、相手に対してもそのように慎重に扱う事柄ですが、自分に関してはさらに慎む必要があります。事実は事実ですが、決して自慢することではありません。それは自ずと知れることです。ある教育を受けられたのはご自分の力ではなく、ご両親のお陰であり、大きく見ればたまたまそのような環境に生まれ落ちたに過ぎません。

まあ確かに日本やアジア諸国では学歴をそれだけで崇拝する傾向があり、Nさんが名刺に出身大学を書いておくのも、日本では効果があるかもしれません。しかしこれは所詮営業のためです。Nさんがどのような人であるかは、貴女に会ってくれる人が自ずと感じ取ってくれるものです。それだけの人間的な魅力や実力を磨くことの方が大切です。

次にマーケティング。「私は私でお客さん集めはしますが」とお書きになっているのでまだ救いがあります。

しかし「得意分野だと思うので、お力をかして頂けたら有難いですが、例えばビジネスマンで英語が必要な方を一人紹介していただくことはできないでしょうか。中小企業で勤務の方で。謝礼は出させて頂きますがいくらぐらいでしたら可能でしょうか。」の所は、思い違いをなさっています。

中小企業で英語を必要とするビジネスマンなど、今時いくらでも探せます。人に頼むような事項ではありません。お父様から○○にいる方々を紹介してもらって今お仕事をなさっている、そのパターンで今後もやっていこうとお考えのようですが、それが間違っているのです。30歳になったらすべて自分で開拓しなければいけません。お目にかかったときに、自分の仕事に友人知人を関係させてはいけない、ということを申し上げたはずです。誰かに紹介してもらって仕事をするのではなく、貴女自身が見知らぬ人や会社の戸口に立ってノックする必要があります。履歴書を毎日10通欠かさず1ヶ月送ってごらんなさい。甘えてはいけませんよ。

前回、自分で「考える」ことが大切であると申し上げました。繰り返しになりますが、どこを対象にするのか、その情報をどう集めるのか、具体的にどのようなアプローチをするのか、そのためにはどのような資料の準備をすべきなのか、自分で全部できないときにどのような人と協力したら良いのかなど、考えることはたくさんあります。そのような課題を一つずつ「自分」でクリアしなければいけません。

この人は駄目であると思えば無視する、或いは忙しいので放っておくというのが世間です。前便で「努力は必ず報われ、その経験によりNさんはお勤めの人よりも強く深い人になれるでしょう」と書きました。何故そう書いたのか。それは、申し訳ないことですが貴女がまだそうでないから、しかしそのような人になれる可能性があると期待するからです。そしてそれであるから今もこうしてお返事を書いているのです。お会いしたときお話したこと、前回と今回こちらが書いたことを、よく反芻してください。

「困ったときはお話の相手になりましょう」と申し上げたのは、具体的なクライアントの紹介(これは全くの枝葉です)ではなく、ものの考え方でお力になりますという趣旨なのです。いずれ仕事でも生きていく上でも大きな選択をするときが必ず来ます。その時にこちらの経験なり考えが役立つことを願っているのです。

一つ宿題を差し上げます。もしそのお気持ちがあればですが、3ヵ月後に近況をお知らせください。その時に、それまでにご自身でどのような努力をし、どのような成果があり、どのようなことに悩んでいるかを伺いたく思います。

どうぞ日々を真剣に充実させて生きてくださいますよう。

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2011.10.23

結論から言うべきか

シリアルのおまけに、スペインのサッカー選手のカードが入っていました。そのカードには説明がついているのですが、日本では知られていない選手なので、外国語から日本語に誰かが訳したのでしょう。変な日本語ではないかと、つい翻訳をする者の目で点検してしまいました。

さてこの状況を次のように説明することもできるでしょう。

おまけのサッカーカードの日本語を同業者の目で眺めてしまいました。その選手については日本では知られていないのだから、きっと誰かが翻訳したのだと思うのです。

要は説明の順番です。一番言いたかったのは、休日の朝のんびりしているときにも、つい仕事の意識が出てしまった、そんな自分に苦笑したということです。これを最初に言ってしまうか、状況を説明してから最後の結論で、それを出すのか。

このような私たちの無意識に持っている順番の感覚が、翻訳と密接に関係しているような気がします。英文和訳で原文の意識の流れに沿って頭から訳していくことがかなりあります。しかし昔は返り点ではありませんが、お尻からひっくり返った訳をすることをよくしていました。何故そうしていたのでしょうか。訳者も読者もそれがわかりやすかったからです。

前提条件や背景の説明をしてから結論を言う、そのような順番が私たちの思考法に深く根付いているとすれば、何でも「頭から訳す」のは少し注意すべきで、ひっくり返すやり方にも理があるのではないかとも思えるのです。つまり思考の順番が原語の文化と訳語の文化で同じなら頭から訳して構わないのですが、思考の順番が違っているなら矢張り順番を入れ替えて訳す必要があるのではないか、ということなのです。

これは和文英訳でも言えます。Even thoughとか、Becauseで始める英語を書いておいて、あれこれは英語を母国語にする人にはわかりにくいかなと、最後に持っていくことがあります。つい日本人の意識で、前提条件や留保条件や理由付けを先にして、その後で結論を述べてしまうのです。そこで思考の順番を入れ替えることになります。

皆さんにお尋ねしたいのは、日本語と外国語とで思考の順番に差があるか、もしあるときには、翻訳でどのような工夫が必要なのか、ということです。私自身は、思考の順番には差がある、従って「頭から訳す」方式を機械的に適用してはいけない、と考えています。ご意見を伺えれば幸いです。

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2011.10.21

共同体

ボンヌは90歳になるが、ずっと生まれ育った家に暮らしている。お母さんは近所のシャトーという名のある農家から嫁してきたという。母親の血を受け継いだものなのかはわからないが、慈愛の中に、ときとしてかつての毅然とした聡明な女性の姿が浮かび上がってくる。ボンヌは婿に入った最愛のアレクサンドルを3年前に亡くしてからも、そこに一人でいる。

昔からの家の一部は姪の娘の一家が使っているが、大分前にボンヌの農地についての話が、その旦那との間でうまくいかなかったとかで彼らとは没交渉である。どの家にも必ず何かがあるが、それが当たり前。唯一その姪の娘の、その娘のフレデリークが何かにつけ顔を出している。ボンヌの所には、小さなフローラという2歳になる白い犬、それに2匹の猫がいる。

そのボンヌの写真をフレデリークが送ってきた。犬の写真が添付されている。おや、フローラではない。黒い幼犬である。メールを読んでみると、フローラは気の毒なことに死んだという。囲いのところに首輪が引っ掛かかったのであるという。ボンヌが気付き、フレデリークの母にも助けを求めたが手遅れであった。寂しくなったボンヌのために、フレデリークが新しい犬を探してきた。そのような顛末が書いてある。

ボンヌに電話をして慰める。彼女は大丈夫と返事をする。人は歳を重ねるに従い悲しみを経験することが多くなる。それを内に秘めて日々を生きていくしかない。

ボンヌが没交渉であったフレデリークの母に助けを求めたという便りの中の記述に、ふと考えさせられた。人は一人だけでは生きられない。人は人として共同体の中で生きていかざるを得ない。そのようなことを気付かせてくれる話であった。

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2011.10.12

英雄と従僕

政治学の講義を聴講した年は、専任の先生が欠員で升味先生が来られてお話をされた。先生はすぐ後に『政治学講義』として出版される内容を既に固められていた様で、「升味さんはどうやらゲラ刷りを読んでいるようだ」という他の学生の声が聞こえてきた。それなら筆記せずあとで出る本を読めば良いか、などと横着な考えが頭を掠めた。

升味先生のお話の中には、政治の基礎となる人間についての興味深い事例や発言がいくつもあった。ポアンカレの発見における啓示の話、蛇が自分のシッポをくわえて回転を始めた夢を見てベンゼン環を思いつくケクレの話など、今も覚えている。

そのとき先生が語られた言葉に、「従僕の目に英雄なし」というのがあった。ヘーゲルはこの言葉に「それは英雄が英雄でないからではなく、従僕が従僕だからだ」と補足したという。従僕には英雄の英雄たる部分が見えない。樺山紘一氏はエロイカの世紀と表現していたが、19世紀はまだ英雄がいた時代であったのかもしれない。

英雄とはどのような人なのか。辞書には「文武の才の特に優れた人物、実力があり非凡な事業を成し遂げる人」とあるが、英雄という言葉からはどうしてもギリシアの神々やアレキサンダー大王やハンニバル、そのほか古今東西の武人を想起してしまう。けれども、この言葉で想像するような英雄が、現在世界のどこかに本当にいるのかしら。それが今日の話である。

英雄はいるのかと考えていて、20代半ばの体験を思い出した。英雄ではなくて、名の知れた人に会ったときの話である。

地方から出てきた若者は都会育ちと違い、著名人を本や新聞雑誌を通して知るだけであった。テレビやラジオに出てくる人たちは雲の上の存在である。しかしそのような人の話を聞く機会を次第に得るようになると、見方が変わってくる。直接お話をさせてもらうと、彼らも雲上人ではなく、自分とそれほどに変わらないと気付く。

それまで物を知らなかったので、活字を通して知るだけで実際に会ったことのない評論家を、知の巨人にしていたのである。百聞は一見に如かず、実際に会わないで伝聞や書かれたものだけでは判断を誤る(とはいえ、文は人なりも事実であるが)。つまり活字にはその著者を実物以上に見せる作用があり、それを脱するには経験が必要ということ。

人物を実際よりも大きく見せる作用は、図像にもある。馬上豊かなヨーロッパの王の肖像画は実物以上に偉大に見える。女性の場合にはより美しく。王侯貴族の花嫁候補の肖像画は、実物とかなりの落差があったはず。今は偉大な君主と美しい女性の肖像画のみ残り、落差を検証する術はない。

しかし人を知る手段が、絵画から写真に、静止画から動画に、そして動画もマスメディアからより個人的なものに移行することで、擬似的とはいえかなり実際に会ってみるのに近い感覚が得られるようになる。

写真ではまだ対象人物が立派に見えるところがある。共産圏のような写真操作もあり得る。それが動画になると、より実物を想像しやすくなる。特にテレビでは作為が入りにくくなりそのままの姿が見られる。映画なら写されている人物をより良く見せる工夫があり、俳優が常人とは違う人種であると思いやすいが、テレビに出るタレントはより身近に感ずる。昔のような大政治家がいなくなったと感ずるのも、これと関連しているかもしれない。

昨今は世界中の人が動画サイトに自分たちの飾らない姿を投稿している。見ていると、何だ、やっていることは自分と同じではないか、そのような親しみが沸いてくる。あるいはスカイプでの相手の姿を見ながらの会話は、たとえ向こうが北米の人、インドの人であっても、10分も話していると実際に会ったような感じになる。

昔から広い世界を経験をした人には、このようなことは明らかであったのかもしれない。それが現在では、たやすく旅ができ、機械の力を借りて擬似的であるにせよ多数の人を知ることができるようになり、普通の人でもそのようなことに気付くようになった。他所の人の普段の姿を知れば、何かが変わる。それはとてつもない空想が消え、人を等身大で見られるようになるということである。

さて、以上を知った上で改めて考えてみる。本当に「従僕の目に英雄なし」なのであろうか。従僕の目は決して節穴でなかったのではないか。

実は英雄も従僕も同じ人間であり、それほどの差はない。昔は接する人の数が限られ、知らない世界の人を巨大化して仰ぎ見ていたのではないか。現代になって英雄が消え失せたわけではない。世界を知る機会の限られていた時代に、人々は英雄という幻を作っていたのである。南米に胸に目を持つ人間を想像したのと同様のこと。

勿論この議論は定義の仕方で変わる、というところがある。さらに、実力があり非凡な事業を成し遂げるのが英雄であるという定義に同意したとしても、何を実力とし、何を非凡な事業とするかはそれぞれの価値観により変わってくる。つまり定義と価値観次第では、今も英雄はいると言うことができるかもしれない。先週亡くなったスティーブ・ジョブズなどは、非凡な事業を成し遂げたヒーローかもしれない。

しかし別の定義もあり得る。日々の務めを倦まず弛まず続ける人も、やはり英雄といっても良いかもしれない。人は人として皆同じであり、人はそれぞれに英雄なのである、そうもいえるのではないかな。

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2011.10.03

順法か臨機応変か

発端は「安定ヨウ素剤」に関する報道であった。この薬剤は原子力災害の時に配られ、若い世代の甲状腺がんを防ぐために服用するもの。事故に備えて福島県や市町村に備蓄されていたが、3月の福島原発事故では国の指示がなかったためほとんど投与されていなかった。

自治体の職員は配布の準備をしていたが、国からの指示が一切なかったと言う。服用させる時期を失しわずかながら体内被曝をさせてしまった子を持つ母親は、薬を配布されたものの、市から指示があるまで服用するなと言われ、それに従ったと語る。報道も、指示が適切になされなかったという点を強調する。

このニュースを聞いて、おやと思った。何故母親は自らの判断で子供に飲ませなかったのか。何故自治体の職員は緊急の事態にすぐに配布しなかったのか。国は様々な対応に追われ、連絡網も混乱していたため指示が遅れたと言う。人々は自ら情報を収集しそれを基に考えて行動できなかったのであろうか。報道は何故そのような問題提起ができなかったのか。

自治体の職員がすぐに配布しなかったのは、指示を待てとの規則に従ったからかもしれない。規定があれば職員はそれに従わなくてはならない。

こんな事例も思い出した。非番の救急隊員が人命にかかわる事態に遭遇し、医療的な手当てをした。医師の指示によらない医療行為は、たとえそれが緊急であったとしても違法である。手当てをした非番の救急隊員は処罰された(処罰には合理的な理由があるかもしれない。適切な器具を備えその任務に当たっているとき以外であれば、手当てを受けた者から訴えられるかもしれない)。

幼い頃から罰則と表彰の両方により規範順守の考え方を刷り込まれ、このような事例を積み重ねると、国の指示を待てと定めがあれば、それに従うようになる(そして、それ以上のこともしない)。お気の毒なお母さん、行動しなかった自治体職員ばかりでなく、指示なしとしか問題を捉えられないジャーナリストも、このような考えを当然としているのである。

社会の規範に従うことは大切である。それが世の中を秩序あるものにし、制度を整然と動かす基盤になるから。東日本大震災で日本人が世界に示した通りである。

しかし順法精神を発揮しすぎると、今回のような事態が発生する。一長一短がある。非常時には規則の背後にある制定趣旨に照らして行動しなければならないが、これは結構難しいかもしれない。

順法精神の対極は臨機応変。それが身についている人は、非常時にも状況に合わせた行動ができる。自らの判断で行動できるということである。左右を見て車が来なければ信号が赤でも渡るイギリス人と、青になるのを待つ日本人の違いか。

しかし行き過ぎれば、ハリケーン・カトリーナのときの人々のように、略奪行為も発生する。それに臨機応変の人は、平時にもそれを発揮して、秩序を乱す傾向があるのではないか。こちらにも一長一短がある。

人々は生まれ育った環境の思考法や行動様式を刷り込まれ、順法か臨機応変かの傾向を帯びる。どちらもできる人は少ない。それは順法と臨機応変の両者に共通する、根本の目的がなかなか意識に上らないから。

しかし少なくとも、秩序重視の人のプラスとマイナス、臨機応変の人のプラスとマイナスを頭に入れておくことは、何かの役に立つかもしれない。片方の枠だけにいては窒息しかねない。そしていつか、両者を高次に統合できるかもしれないのである。

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2011.09.29

鉢の木

イギリスで最初に制作され、アメリカでも同じ形で放送されて高い視聴率を得たシリーズ番組があるのを知った。色々な会社の社長が身分を隠し、見習いとして自分の会社の現場で働いてみるのである(Undercover Boss)。

社長は厳しい環境に働く従業員と同じことをする。やってみると作業は大変で、へまもする。同僚に怒鳴られたり、場合によってはマネージャーから、お前は首だと言われる。彼等の仕事の厳しさや悩みを知り、その家庭を垣間見ることもある。

番組では最後に、社長が従業員を本社に呼んで身分を明かし、支援に感謝し必要な措置をとる。経営の問題点が明らかになり、変革を試みる経営者も出てくる。アメリカの廃棄物取扱会社(Waste Management)の社長は、従業員集会で改革を発表している。

番組は見る者の共感を得て、高い視聴率を得た。

貴人が身元を隠し各地を訪ね、自ら苦境を経験する中で人々の本当の姿を知るという話は各地にある。最後にその貴人が身元を明かし、助けてくれた人に報い、不正を糺すことも同じ。これに近いのは、北条時頼の廻国伝説「鉢の木」であろうか。

番組は毎回同じ形で作られる。本当のように見えても予め台本として作り込まれている可能性もある。そこでは冷徹な経営者も、実は血の通った人間であるという側面を強調することになるかもしれない。どの会社も自社のコミュニケーション活性化の手段として番組を利用する面もあったであろう。とすれば眉に唾して批判的に見る必要もある。

しかし番組からは、会社の価値とは何かという問いかけも読み取れないわけではない。利益を上げ株主へ配当することだけではない、現場の従業員の考える会社の価値が仄見えるのである。たとえそれが普通の人々の願望に過ぎないとしても。まあ水戸黄門のシリーズと同じで、最後にほっとできる定型の娯楽番組として見れば良いのかもしれない。

一つ気になったことがある。廃棄物取扱会社の社長は、放映後数ヶ月して会社を去っていたのである。それは何故なのか。彼は社長(プレジデント)とCEOの兼務であったが、CEOに専念したいから、というのが表向きの説明であるが、残ってもそれは可能であったはず。その後の消息についてはあまり知られていない。自分の野心のためか、それとも現場の体験により思うところがあったのか、はたまた放送の反響の大きさの故か。人の行動というものは興味深い。

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2011.09.27

敬体と常体

各種社内規定を訳すときに、ですます調の敬体にするのか、である調の常体にするのか、というご質問がありました。これに対する私の考えは以下の通りです。

(1)先ずはお客様次第です。何せ神様なのですから。それぞれの社風もあるでしょう。

(2)もしそのような指定がなければ敬体で訳します。これは現代の事務文書の一般的傾向であるように感じられるからです。人々の意識は、上意下達式のものから平明で読み手を尊重するものに少しずつ変化しているような気がしています。

(3)英語の文書を敬体と常体と二通りに訳してみると、単に文末の違いだけに留まらない、様々な違いが出てきます。原文の内容を訳文に移すときには、原文にない訳語を補ったり、原文にあっても訳文では削るという作業が必要になりますが、その加減が異なりますし、文章構造においても全く異なるものとなる場合があるのです。

1)単語での違いでは、例えばYouの処理です。英語では読み手の個人に話しかけるような文書が一般的で、読み手がYouとして登場します。しかし旧来の日本の事務文書は公布文のように読み手が文章に出てこない表現が用いられます(といっても日本語でも主語なり目的語なりは意識されていて、それが常に表現されていないだけなのですが)。

敬体では「あなた」を使うことにそれほどの違和感はありません。ところが常体になるとかなり違和感がはっきりしてきます。訳文にも主語として「あなた」に相当するものを表現しなければならない場合には、文脈に合わせ原文にない言葉(たとえば就業規則であれば「従業員」など)を使うという工夫が必要になります。また旧来の日本の文書の表現を使い「あなた」を回避することもあり、それによって文章構造が変わる場合があります。

2)文章構造の違いの例では、Please を含む文の処理があります。「If you have any questions, please discuss them with your immediate Supervisor or Human Resources.」という丁寧なお願いを、常体の従来の表現の中に埋め込むと、違和感が目立ってきます。そこで「疑問がある場合、従業員は直属上司または人事部と話し合うものとする。」というように、その意味を汲み取った旧来の日本語の事務文書の表現に大幅に変える必要があります。

3)さらに言えば、英語の文書と日本語の文書とでは、単語や文章構造だけではなく、そもそもの文書作成の発想法が大きく異なり、それが叙述の順番の違いに出てきます。英語の文書では結論を言ってから次第に背景説明を述べる傾向がありますが、日本の文書はまず大枠を示してその後具体的な論述になります。「小から大へ」と「大から小へ」の違いといったら良いでしょうか。また時間軸でも、日本式なら古いものから新しいものへと並べますが、西洋では今を先にしてそこから昔に遡るような叙述がしばしば現われます。

とはいえ、この叙述の順番なり背後にある契約の考え方まで日本のものに直すと、翻訳という領域を超えてしまいますので、どこかで折り合いをつける必要があります。

(4)翻訳をするときには、実は敬体の方が原文の用語法や文章構造を大幅に変えることが少ないので、楽に進みます。そして原文と大きな乖離が少ないということで、翻訳を良く知らない(というか伝統的なかっちりした日本の実務文書をを良く知らない)クライアントの若い世代の人にとっても、わかりやすいように思われます。

(5)しかし大枠として決めたことが、個別に見ていくと必ずしも当てはまらない、むしろ不自然になるということが、色々な場合にあります。それですから本プロジェクトでも、敬体を中心にしても、必要があれば(例えばプレゼンテーション文書での体言止めなど)で常体も併用するという柔軟な対応で進めた方が良いように思います。

以上、お役に立てば幸いです。

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2011.09.25

地獄谷の貴族

久し振りで映画館に行った。見たのは「ライフ-いのちをつなぐ物語-」という記録映画。BBCのチームがNHK開発の機材を使い長年にわたり撮影したもの。自然の生き物を扱っていることに加え、最新の撮影を映像技術を駆使した大画面で楽しんでみたいという気持ちもあり、大雨の予報であったが街中に出かけた。

これと同じような番組が少し前にプラネット・アースとして放映されたことがある。そこでは野生生物の撮影で名高いデイビッド・アッテンボロのナレーションが付けられていた。自然界に生きるものの営みを捉えた映像に彼の短い説明が付くが、彼のナレーションは個別の生命を超えすべてを俯瞰する神の声のように聞こえた。

今回のナレーションは松本幸四郎と松たか子親子で、アッテンボロの語りとは別の感覚がある。撮影された映像をどのように解釈して観客に提示するかは制作者次第で、元の英語版と日本語版でも異なっているかもしれないが、ともあれ日本語版でのメッセージは「生きるというのは生命をつなぐこと」「人間も動物も植物もすべてが生命であることについては同じ」ということであった。人間も、生きるという本源的な部分では他の動物と同じ。他の動物の行動を見ることが人間の本質を理解する助けになる。見ていて、これは、と考えさせるところが多々ある。

その中で、あれ、と感じたことがあった。

映画が始まってすぐに、長野県の地獄谷野猿公苑のニホンザルが紹介される。冬に温泉に入るという習慣を身に付けたこのサルの集団は世界的にもかなり知られているが、すべてのサルが入浴できるのではないというのである。強い一族のサルは温泉を楽しめるが、弱い一族は風呂の周りで見ているしかないと説明がある。何と、サルの世界も階級社会であるのか。たとえ子猿であっても強い一族の子であれば親と一緒に温泉に浸かっていられるが、そうでないサルもいると、雪の中で震えているサルの映像が映される。

思いは当然のことながら人間の社会に及ぶ。地獄谷のサルには階級がある。人間の世界にも貧富の差がある。一方に豊かな人々がいて他方に貧窮に喘ぐ人々がいることは、サルの世界の延長であり最初から備わっている動物的本能の発露かもしれないのである。それは最初から決まっている、階級のない社会などありえない、ということなのか。とすれば、この現実を受け容れるしかない、そう運命論者になるのは性急かもしれないが、やはり考えさせる、見方によっては恐ろしい知見である。宮地伝三郎氏の『アユの話』なども思い出される。

しかし、本当に露天風呂に入れない一族がいるのであろうか。実態を知ろうと野猿公苑のウェブサイトを訪ねてみた。そこのブログには、普通、温泉に入るのはメスや子供であるというような記述があるものの、階級社会であることを窺わせるようなことは書いていない。映画の解説とは少し雰囲気が違う。おや。http://www.jigokudani-yaenkoen.co.jp/

一番いいのはそこのサルを良く知っている人に直接尋ねてみること。野猿公苑に電話をしてみた。電話を取った女性が、窓口の切符を売りながら、色々教えてくださった。

判明したのは、強い一族のサルは温泉を楽しめるが、弱い一族は風呂の周りで見ているしかない、との事実はないということ。夏など露天風呂にサルを誘導するために餌を播くことがあり、そのときには序列の高いサルが湯船に入り弱いサルは遠慮するが、遠慮するのは餌を摂る順番の故であり、弱い一族が露天風呂に入れないというわけではないという。BBCの撮影ということで信頼していたのですが、とやや困惑している様子であった。

そもそもは、子ザルがある旅館の露天風呂で手足を湯に浸けるのが初めであったという。そのうちに身体を湯船に沈めるようになり、やがて温泉に浸かることが若いサルやメスのサルに伝播していった。オスの年寄りはなかなか真似ようとしない由(その保守性は予想通りである)。やがて、人間様の入る湯船でおサルに粗相をされても困るということで、彼ら専用の露天風呂が作られたとのこと。

文化の伝播という点では、幸島の芋を洗うサルたちのことを思い出した。若いメスザルが海水での芋洗いを覚え(このメスザルはそれ故に「イモ」という名前を貰う)、次第に若いサルやメスにその風習が広がる。野猿公苑の事例と全く同じ。風習を受け容れるのが最後になったのが年寄りのオスであるというのも同じである。

いずれにしても露天風呂には、入りたいサルが入れるようである。序列はあるが、貴族階級が成立しているわけではなさそうである。何やら安堵した。

ちょっと危なかった。BBCの野生番組専門チームという肩書を信用してしまえば、その説明を基に誤った推論をするところであった。事実を確認しておかなければ、サルの社会にも階級制があるという誤った事実認識を基礎にして、それ故に人間社会でも階級社会が牢固たるものなのであると説明していたかもしれない。私たちの世界の機会均等に対する希望は、辛うじて繋がった。

間違った情報が流布しないようおたくのサイトでも事実をもっと発信したら、などとおせっかいを言いつつ、丁寧に答えて下さったその女性にお礼を言ったが、実際を知る人のお話を聞いて良い勉強になった(尚、野猿公苑のニホンザルの入浴の習慣の形成には、人間が一部で手を貸している。サルの社会の特異な行動、例えば子殺しなどに人間の餌付けが影響しているとの仮説もあることは注意しておくべきかもしれない)。

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2011.09.19

集団への回帰

4声のコンソート。先週の6声よりはそれぞれの声部が聞き取りやすい。まあ人数が少なくなれば当然であるのだが。前半にリチャード・ミコをするが、この作曲家を見直した。そのファンタジーはどれもなかなかいい。各声部が徐に同じ主題を奏でて登場し、次第に複雑に入り組み、ときに印象的な3音の繰り返しや付点を交えたリズムを色々な声部で繰返しながら、広い川となり終結の海に到達する。

典型的な英国のコンソート曲で格別に難しいわけではない。オックスフォードのメアリーの所でも定期的にやっていた。あの時はいつもレディ・マーガレット・ホールの彼女の研究室で夕方2時間、ルポやジェンキンスなどの曲と共に弾いていたのであるが、ミコは一応弾いたという印象しか残らないように感じていた。けれども、コンソートを知っている人達でミコを演奏すると目の覚めるような音楽となる。出来るメンバーが揃っているうちにもう少し試してみることにしよう。

メンバーのSさんとはご一緒するようになり17年になる。今は70代半ば。週末はガンバコンソートのほかに、いくつもの古楽のコーラスがあり、それに最近はチェロも始めて忙しくしている。

そのSさんが、終わって一杯の席で、音楽でのような友人は得難い、友人はもう音楽関係だけであるとお話される。仕事の付き合いは仕事だけのもの。幼い頃からの同級会も、近況と孫と健康の話に終始しその先に及ばないという。音楽の集まりでは、年齢や出身を問わず一緒に良い音楽を作り上げるために各自が色々な話をして、それが尽きないのだと。

このことは音楽だけではなく、趣味の集まりすべてに当てはまる真実かもしれない。ラベンダーを束ねておくと、いずれ穂先は思い思いの方向に傾いていく。人も同じ。若い頃の友人とも、それぞれの仕事の違いや気質の違いが明らかになれば、次第に会わなくなる。家族のこともあるであろう。最後に残るのは趣味を同じくする人達の集まりであるというのは、その昔に祖父のこととして母から聞いていた話でもある。

お話を聞いていると、彼の古楽の声楽アンサンブルは恵まれているのかもしれないと感ずる。コーラスをする人の中でも特に聞き合うことのできる少数の人が、主にラテン語、それにドイツ語や英語などの歌詞の付いた曲を、殆どアカペラで初見で歌えるのである。誰かが突出するというのではない。専門の学問分野で業績を挙げた先生たちもメンバーになっているらしいが、音楽にとりわけ熱心で温厚なSさんのお人柄と合わせて、グループの雰囲気が想像される。

アンサンブルを聴きたくなりました、次の演奏会はいつですか、そう問うと、いや演奏会はしないのですよ、と言われる。皆が集まってその場でアンサンブルを楽しむ、発表はしない、このガンバコンソートと同じなのですと仰る。そうか、そうなのか。一期の茶会と同じ。

お話に触発され、人間の集団への回帰についてお話した。若いうちは自分の個性を主張するが、ある年齢になったらその個性を脱ぎ捨てて皆の中に入っていく必要があるとは、いつの頃か気付いたことである。音楽にもそれは言えるかもしれない。つまり、ある時には華々しい独奏を志向するが、それがすべてではなく、コンソートやアンサンブルにも惹かれていく。年齢が上がるにつれて個性を脱ぎ捨て集団の中の一員になるということと、一脈通ずるものがあるかもしれない。そんな話をした。

別れ際に、チェロに打ち込みすぎてガンバを忘れないでくださいね、とお願いする。いや、これを楽しみにしているから、そんなことはないよ、そう言ってSさんは改札に向かわれた。

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2011.09.17

世界村で起きること

色々な組織に保管されている個人情報は膨大な量になる。国や自治体の税金や社会保険の記録から始まり、銀行や医療機関、買い物や各種のサービスの会社など蓄えられた情報に、自ら提出したり質問に答えたりしたもの、監視カメラに捉えられた個人の映像などもある。さらにインターネットで知らずに自分の情報を公開するようなこともある。中には自分がまったく覚えていない大昔の情報も、律儀に保管されていることもあろう。

集積された情報を分析すれば自ずと当人の人物像が浮かびあがる。当然のことながら情報は厳重に保管しなければならないが、不幸にして流出することもある。時々パソコンやCDに入った大量のデータを紛失してしまったとニュースになる。集められた情報が誤っていて、困った事態が生ずることもある。情報の悪用も当然出てくる。

そのような状況に危機感を持ち、自分が現代の情報の網の目から逃れられるかを試したのが英国人のデイビッド・ボンドで、Erasing David (デイビッドを追え)というドキュメンタリーを作っている。彼は家族から離れ身を隠し、二人の私立探偵に自分を追跡させる。ドキュメンタリーはその一部始終を撮影しているのである。膨大な情報が蓄積されることによる問題と、身を隠している人間を捕まえるという行為とがどのような関連を持つのかは、ドキュメンタリーからは明瞭に見えてこないが、情報社会の危うさ、恐ろしさを訴えようというのである。

さて技術進歩で、個人情報を巡る状況に今までになかった新たな危険が生まれているのであろうか。

デイビッドは英国から大陸に渡り、また国内に戻り、山中に隠れたりする。私立探偵は、デイビッドの姓名しか与えられていないが、簡単に本人を同定し、次いでそこから得られた各種情報を得る。夥しい情報を先ずはネットで、さらに実査により集め、デイビッドが大陸でドイツにいるというような動静も把握する。程なくして彼は捕捉される。妊娠中の妻が定期検診をしている病院で妻と落ち合った所で、その日時を病院から聞き出していた私立探偵に捕まり、鬼ごっこは終わるのである。

さてこれは、高度の情報化社会が人々に新たな危険性もたらす、ということを証するものとなるのであろうか。この実験では最新の技術も使われているが、私立探偵の手法は意外に地道である。実査をし、聞き込みをし、デイビッドの奥さんの出した家庭ごみから書類を探し出し、病院に電話を掛け、といったごく普通の捜査の手続を踏んでいる。

これを見ていると、高度の情報化社会になったからといって、個人情報に新たな危険が生じたわけではないと思われてくる。勿論最新技術により影響の及ぶ範囲は格段に広がっているのであるが、個人情報はその性質からして昔から重要なのである。誰にも秘匿しておきたいことはある。その事情は時代が変わっても場所が違っても同じ。しかしなかなか秘匿できないのも古今東西同じこと。

むしろ、その中でどう振舞うか、そちらに注意を向けることの方が大切であろう。先ずは、その時々の状況に応じて細心の注意を払うこと。不用意な開示をしてはならない。しかしそれぞれの時代に要求されることにはある程度従わざるを得ない。どこかの機関が、本人同定のために生年月日やその他の個人情報を聞いてくるのは、今のご時勢では仕方がないのである。そして世の中は理屈通りには行かない。人間のすることに間違いは多々あるし、善人ばかりではない。とすれば次には、状況にこちらを合わせつつ、ある程度は我慢するしかないということになる。

ある程度我慢の処世法は昔と変わらない。

ここで思考実験をしてみる。限られた小さな共同体の中で暮らしていた人々は、どのように対応していたのかと。構成員が限られているので、皆が互いに知っていた。その人だけではなく、その親兄弟やご先祖のことも知っていた。「ああ、あの家系は昔からそうであった」といって、老人が昔話を始める。パスカル・ジョーダンがけちであるのは、人々から耳に入ってくるその親父の事跡と突き合わせてみれば、なるほどと納得する。一度握ったものは絶対手放さない彼の性格は、父から受け継がれた形質であったのである。これでは彼に気前の良さを期待しても無理と、あきらめるしかない。

そうやって小さな共同体では個人情報を皆が共有していた。隠すことは難しい。さて、そのような個人の属性がわかるところでは、こちらはどうするのか。各人を知った上で、お互いに我慢して暮らさざるを得なかった。うちの姉ちゃんの性格は変わらないからね、とぼやきながら受け容れるのと同じ。

翻ってみると、現代の高度の情報化社会はそれと同じなのではないか。情報化社会になって、世界がまた大昔の狭い共同体と同じになってしまった。意外に窮屈なのである。

かつてヨーロッパの中世のことを習ったときのこと、恩師が「都市は人を自由にする」という言葉を教えてくださった。人々は狭い共同体の束縛から逃れたくて都市に出た。そこでは個人情報が秘匿できたのである。しかし技術の進歩でそれができなくなり、また狭い共同体の行動規範が戻ってきてしまった。

オーウェルのビッグブラザーもそうであるが、グローバル・ヴィレジという言葉に、確かマクルーハンはそのような意味合いを籠めていた。その当時、高度情報化社会が具体的にどのようなものになるかは良く解っていなかったかもしれないが、その本質としての影を捉えるという点で大変な先見の明があったと思う。

さあ、デイビッド君はどうすべきか。今の状況にある程度は我慢し、今いる所で踏ん張るしかない。我慢できなければ、どうしたら良いのであろうか。そう、その時は火星に逃げるしかないのである。

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2011.09.16

逆さにした遠眼鏡

駅前に、段ボールやわずかな手回り品を台車に載せ毎日行き来している年配者がいる。どこか雨風を防げる場所か公園に寝泊りしているのであろう。景気次第で人数に多少の増減はあるが、このような人はどこにでもいる。集まりすぎれば排除され河川敷に移動し、そこでも退去を求められる。随分昔のことになるが、何やら理解できないことを話しながら、ある駅の改札前の人ごみの中を周回している若い人がいたことも覚えている。今はどうしているかしら。

子供のときのこと、家々を回る女性がいたのも思い出した。蓬髪で肌は赤黒く光り、着ているものは裂けて黒ずんでいた。時々自分の家を抜け出し鍋を持って物乞いをするのであるが、今思えば中年にもならない女性であったろう。子供たちは残酷なもので、婆あが来たと囃しながらその後を追いかけた。母は、そのようなことを言ってはいけないと窘め、台所から何がしかのものをその鍋に入れてやっていた。それに対して彼女は「お優しいねえ」と礼を言いたびたび来ていたが、あるときからふつりと絶えた。その家の人が何かの手立てを講じたのであろうか。

そのような人がどこにもいる。昔からいた。社会には一定割合で出てくる。生まれ落ちたときからのものか、その後の世の中の情勢によるものかなど、各人の状況は様々であろうが、自分の意思とは無関係にそのような境遇となることがある。そう、他人事ではない。そのような境遇になるかならないかは、ただ偶然の結果に過ぎないのではないのかな。能力の有無ではない。

私たちは百年に満たない時間、今ここにあることを許された存在に過ぎない。その間にどのような軌跡を描くのか。それぞれの強い意志と才能に応じて、というのは己を過信した見方ではないのか。運命というものがあるかはわからないが、遠眼鏡を逆さにして見れば私たちの存在は似たり寄ったり、どのようになるのかは偶然の所産かもしれない。

台車を押しながら彼は、駅に向かう通勤の人々の横を通り、こちらとすれ違って行った。想像上のカメラを地上から次第に高く上げてその様子を撮影し、さらに上空に視点を移し駅舎から周囲の街を俯瞰してみる。行き来する私たちの動きは画面にどのように映じているのであろうか。

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2011.09.12

少しずつ変わる

人は、日々の出来事を頭の中の然るべき位置に整理して保存している。日常生活では多くのことが綺麗に定位置に納まってくれる。ところがうまく納まらない事態が生じてくると、それまでの状況と対比しつつ、両者を統一的に説明できる新たな枠組みを作らなければならなくなる。その中に新事態を納めることが出来たときに漸く安心が得られる。

新たな枠組みを作るとはものの見方を変えることであり、それが理解を深めるという意味である。それは個人にとどまらない。ある社会集団の思考様式についても同様のことが言える。ではどのようなことを契機に新たな思考枠組みが作られるのか。それはある事件が触発するものなのか、それ以外の要素もあるものなのか。そして新たな思考はどちらに向かっているのか。

集団の記憶となるような大きな出来事に遭遇すると、人々は立ち止まりその出来事を検証し、思考の枠組みを見直すべきか考えてみる。例えば事件発生から10年となるアメリカの同時多発テロ。あの日を境に世界が変わったと言われた。しかし大事件だけで思考の枠組みが変わるものなのであろうか。あの同時多発テロは本当に人々の思考の枠組みを変えたのか。

事件から10年してその意味を検証する議論が行われているが、年月を経た検証は流石に冷静で、この出来事だけで世界が変わり歴史が転換した訳ではないことを説いている。サダム・フセインの支配するイラクへの侵攻は、同時多発テロの有無に関わらず行われたであろうことは、色々な識者が指摘するところである。チャタムハウスのロビン・ニブレットや、フランシス・フクヤマもそのような論者の例。

確かに人々の考えに影響を与える大きな事件は存在する。しかし世界は日々少しずつ変わり、人々の考え方もそれに影響され漸進的に変化していくと考えた方が良さそうに思われる。今年になってのエジプトやリビアの人々の動きなどは、そのような結果生じたことと見られる。技術が進展し、人の交流が盛んになり、情報を統制しようとしてもそれが不可能になり、要は世界が一つになったことで、人々の意識が次第に変わりつつある結果生じたことなのである。事件は契機に過ぎない。

では具体的に、少しずつしかし確実に変わっていく思考枠組みとは何であるのか、そしてどちらに向かっているのか。切り口は色々にあるが、国という思考の枠の果たす役割が小さくなっていることは、指摘できるのではないか。20世紀半ばまでの主流であった国民国家の概念が徐々に退場し、地域統合の考えが現実味を増している。欧州諸国の人や物の動きはその好例。言葉が違い異なる旅券を持っていても結局は同じ人間と考えれば、国境の検問は次第に緩やかとならざるを得ない。今の欧州に住む人々が欧州全体に抱く意識はかつての国に対する意識と同じようなものであり、国に対する意識はかつて地方に抱いていた意識と同じようなものになっているところがある。

さて、そのような意識の変化は他の地域でも生ずるものなのであろうか。東南アジア、日本とその周辺諸国ではどうか。残暑の厳しい日曜日、漫然と色々な人の話を読みながら考えたことである。

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2011.07.29

当たり前について

Mさん

お便りを有難う御座いました。そう、「原音楽」というエントリーはKさんとのやり取りの中で、日本とヨーロッパの音楽の違いについて考えたことです。それは音楽の違いとともに、その背後にある思考の違いを考える機会となりました。そしてこのことは、演奏の仕方について日本で「当たり前でしょう」と言われてMさんが緊張してしまうこととつながっています。それについて、もう少し考えてみたいと思います。

人が生まれ育った環境と違うところに身を置くと、比較の視座が与えられます。異なるものを比べることによってそれぞれの特徴が明らかになり、「当たり前」と思っていたことが、様々にある選択肢の一つではないかと思い至るのです。

さて問題はその先です。違いに気付いたときにどのように対応するのか。選択肢は2つ、違う方をとるか、自分の方をとるかです(中間形態はさらに議論を進めるときに大切になりますが、話を簡単にするため取り敢えずは割愛します)。

違う方を取るには、精神の柔軟性が必要です。それ故に物事を柔らかに吸収できる子供のときや若いときの教育が大切になります。自分を変えるのは、学び始めの頃であれば比較的簡単にできます。音楽についてもそうではありませんか。

ところがある程度自分のやり方が確立すると、それを変えるのが難しくなります。特にその確立したものが、自分の住んでいる世界では標準になっていれば尚更です。そのやり方が「当たり前」になり、違いに遭遇しても自分のやり方を変えないことが多くなります。

自分のやり方を良しとする態度にも、色々な程度があります。まず、自分の考え方なり行動様式を正しいものとして変えないという段階があります。しかしそれに留まっているうちはまだ無害です。一歩先に進めると他者に合わせてもらうという段階があります。さらに進めば他者に自分のやり方を強要する、もっと極端になれば意見の違う者は許せないという危険な思想につながります。

あるやり方が「当たり前」という態度に接してMさんが「あれ」と思われた背景には、そのような危うい因子を敏感に感じ取られたことがあるのではないでしょうか。

あるやり方を「当たり前」とするのは日本人に多いのですが、日本人に限りません。その構成員が均質であるような社会(そして組織)では、どこでも起きることでしょう。そこでは自分たちから見て異質なものを同化させようという力が働きます。

それは、若き内田光子さんがウィーンで感じていたことでもあります。内田さんがウィーンを離れることになった理由は、ウィーン流が正しいとする考え方に対する違和感でした。「どうしてウィーンの人たちがモーツァルトの弾き方を知っているっていうの。今でもわからないの。毎日自問しているわ。シューベルトもベートーベンもそう。自分たちは知っているって。それが伝統だからって。様々な伝統があるのに。」

この「様々な伝統」というところに彼女らしさが出ているように思います。伝統は一つではない、多様な価値観があるという意識が、彼女を多くの人から際立たせているところです。もともとそのような感覚に優れた人がいるのです。

色々考え合わせると、このような同質化の圧力を敏感に感知する人は、違いを受け入れ他者に寛容になれる人でもあるような気がします。表裏一体なのです。しかしそうなるには、上に述べた精神の柔軟性と、ときによっては現実的かつ物理的に新しい環境に自分を適合させる実力が要るように思っています。

このような対話の機会をいただき、本当に有り難く思っています。音楽と考えることについてのMさんのご意見も伺えれば幸いです。そして「どうか内田さんのようになってください」と申し上げるとその亜流になるのを奨励するようでいけませんから、「どうか内田さんのような人の考えの根底にあるものを自分のものとし、Mさんとして大成してください」と、応援のメッセージをお送りします。

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2011.07.24

原音楽

Kさん

お便り有難う御座いました。Mさんとの合わせについてのコメントを大変興味深く拝見しました。それはお二人の感じ方が大きく違っていた、Mさんの背後にフランス的なものを感じ、それによりご自分に日本化したバロック音楽の受容があるのかもしれないと気付いた、ということですね。

まず人にはそれぞれの個性があります。Mさんとお話をしていて、彼女は輪郭のはっきりした、とても良く考えている人であると感じました(初対面であったのですが、お昼を挟んで随分長い間、楽しい時間を過ごしました)。ご自分の意見があります。ヨーロッパに長く暮らしていたからかもしれませんが、生まれ育った日本の環境とヨーロッパの比較をして、ものごとを自分なりに整理なさっています。

それは音楽についても言えることで、彼女のバッハの演奏を聞いていると、その向こうに思索を強く感ずるのです。Mさんご自身があのCDのすべての音符について、それが何故そのように演奏されるのか説明できる、と仰っていました。

とすれば、今回のフランドルの曲を中心にした演奏会でも、ご自分の主張をきちんとお話したことでしょう。演奏会を聞くことはできませんでしたが、クープランのうぐいすの曲など、クラブサンの原曲の解釈からすれば、右手を移したリコーダーのパートはどのように演奏されるべきか、彼女の意見をきちんと言ったかもしれない、などと想像してしまいます。

感じ方は最終的には個人の違いに帰すとはいえ、それでも国により一定の傾向があることは確かです。

敢えて概括すれば、各人の感じ方に大きな開きがあり、自己主張のぶつかり合いがあり、それをダイナミックに統合して行くのがフランス、というかヨーロッパなのかもしれません(イギリスはそれよりもお行儀が良いのですが、それでも日本とは大分違います)。主張に違いがあるのが当然で、日常的に対立があるため、意見の違いがしこりになりにくいように思います。まあ単に弱肉強食かもしれませんが。ガンバコンソートをしていても、日本で演奏するときと、こちらでするときとでは大きく異なります。そのことはKさんご自身も色々な機会に経験なさっていることでしょう。

それに対して日本では、音楽の理想についてかなり共通の認識がなされているかもしれません。大きな違いが生じないのです。それに日本人は細部まで配慮しています。完璧な調律で、楽器同士の音程はぴたりと合い、付点のリズムの感じ方も完全に揃えているのです。さらに古楽の演奏会に来る聴衆はかなり音楽を知っています。そのような環境で演奏を続けていると、ある種の型が形成されるかもしれません。それは均質に過ぎて野性味に欠けるということかもしれないのです。近江楽堂などでの居心地の良い、或いは良すぎる演奏会がその典型かもしれません。

さらにそれぞれの国に日常流れている音楽が、演奏者や聴衆に影響しています。古楽とは無縁のようでいても、歌謡曲や演歌は実は無意識に私たちのバロック音楽の受容においてもその基礎になっているのではないでしょうか。あるいはNHKの「昼のいこい」の音楽、かつての「新日本紀行」のテーマ音楽。いずれも日本人の心の中に深く根付いています。クラシックでも同じで、至る所で耳にするポピュラーなクラシックは、私がものごころついたとき流れていたものと大差ないように思います。耳に馴染んだショパンのピアノ曲が、今もFMで流れます。

そのような音楽環境で私たちの感性が形成されるとしたら、再生産される現代の日本の音楽にもその音楽環境が影響してきます。先鋭的な現代音楽は別として、一般に受容される音楽には、若い世代のヒット曲も含め、そのような日本人の音楽的感性が裏打ちされているように思います。使用する楽器が西洋のものであっても、たとえば久石譲の音楽や森山直太朗さんの歌う「さくら」には、多くの人に訴えかける叙情性があります。

リコーダー演奏者であるKさんにも、外皮を取り除いて行くと、そのような原音楽があるのではありませんか。

あの時には、外から戻り久し振りにKさんの演奏会を聞いて、極上の一時を過ごしました。しかしその極上の時間の中に居続けると、それ以外の世界があることを忘れてしまいがちです。すべてが整然と協調的に進行するのは日本の美質ですが、それが時に弱みともなります。時々外に出て違う要素を滋養にする必要があるかもしれませんね。そのようなことなら尚のことこちらに来ていただく必要があるかもしれません。そのときにはここにご自由にお泊まりください。

暑い日々ご苦労様です。どうぞご自愛ください。

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散歩三態 有為転変

コタンタンの先では6月には抜けるような青空の広がる日が多いが、7月も後半になると時折曇りや雨の日がやってくる。少し気温が低くなったそんな曇天の朝の散歩のこと。

散歩する道はクララの家の前から真っ直ぐに次第に上り坂になって続く。その上の方に牛の群れが歩いている。農家が別の牧草地に移動させているのかもしれない。牛を驚かせてはいけないので、プルートを呼んで首に綱をつける。ところが200メートルほど先の10頭ほどの牛はのんきなもので、草を食みながらゆっくり五差路を越えて行く。周囲に人や犬はいない。状況からすれば結論は明らか。牛たちは囲いを破って集団脱走したのである。

躊躇してはならない。近くの農家に知らせに行く。彼のところは歳になって数年前に農業をやめたので、牛の持ち主ではないのはわかっているが、逃げ出した牛が誰の持ち主かは知っているはず。シェパードが3頭いるので、プルートは入り口に繋いでおく。ノックをすると中では一家が朝食の最中であったが、事情を話すと親父はすぐに息子と車で隣の集落に走った。あとはうまくやってくれる筈。こちらは散歩を続ける。

クララの家はひっそりとしている。両親が別れたと聞いたのは昨年のこと。父親のユベールは立派な口ひげを蓄え、秘かにムシュー・バイキングと呼んでいたが、今年はひげを落としている。ひげはどうしたと聞くと、どこかに飛んで行ったという。心境の変化があった筈。生後4ヶ月の子犬が加わったのもその影響があるかもしれない。

クララはすでに13歳、以前はよく物珍しげにこちらのところに顔を出していたが、そのような魔法のかかっている年齢は去った。前の道を通ってもこんにちはというだけであとは知らない振りをしている。感受性の豊かな思春期、まして親のことがあれば色々と詮索されたくないと思うのも無理はない。こちらもそっとしておく。

路上には生き物が色々落ちている。かえるやいもり、昆虫の類は勿論、もぐらに、鼠に、鳥のひな。それらはいつしか平たくなったり、自然の清掃人たちの手により取り片付けられ、土に返っていく。

道端にアナグマが横たわっていたのは大分前のこと。さてこれはどうなるのかと思いつつ、そこを通るたびに見ているが、片付けられるわけでもなくそのままになっている。一時は匂ったが次第に平らになって、農業用のトラクターにでも一部を踏まれたのか、今では殆ど原形をとどめていない。

一見すると静かな村にも、動物も人間も含め、さまざまな事件が起きていて、野次馬が退屈することはない。当事者にとっては一大事。しかしそれは、いつもどこかで起きていることと同じともいえる。

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2011.07.21

古いしぐさ

朝からバルフレールに行く。ここは1066年にノルマンディー公ウィリアムのイギリス出征船団が集結した港町。このノルマンコンケストの様子はバイユーの長大なタピストリーに残されているが、そんな由緒を持つ港町は今は観光地となっている。今年はそこで特別な行事が行われた。

9世紀頃から始まったバイキングの移動・侵入に長年悩まされてきた西フランク王シャルル3世は、バイキングであるノルマン人に土地を与えて他のバイキングの侵入を防がせることに決め、その一部族の首領であったロロと条約を結んだ。ロロは臣下として王に忠誠を誓い、北西の沿岸部の土地を与えられ公爵として封じられた。ノルマンディー公の誕生である。それが911年のこと。バルフレールでは、その1100年前の条約を記念した行事を7月半ばの週末にすることにしたのである。

それでこの日は町の至る所で中世の衣装の人々を目にする次第となった。港の駐車場にはバイキングの船の山車があり、野外劇を上演し、昔ながらのゲームで子供たちを楽しませている。鷹匠たちもいる。

町を2本角の兜を被ったバイキングや、十字軍の兵士が歩いている。緋色の立派な衣装と帽子をまとった、昔の参事会の偉いさんのような人がいる。商店やレストランの人々も当時の衣装を着ている。町としてこれらの衣装を借り上げて支給したという。今回は中世もルネサンスも入り混じっていたが、毎年この行事を続けていれば次第に充実した観光資産となるのは間違いない。

中心部のセント・カトリンのコートと呼ばれる一画は中庭を取り囲んで家が並び、集落が形成され始めた頃の面影を残している。そこに中世のいでたちをした人々が、ワイン、パン、菓子、野菜、蜂蜜、家具、古めかしい箱や細工ものなどを並べている。子供たちも粗いジュートの衣服を来て物売りの手伝いをしている。眺めていると、その時代に飛び込んだような気持ちになる。

アルスノバも中世の音楽を演奏するために招かれたので、その一員としてセント・カトリンのコートで演奏した。中世の単旋律を楽器を変え、時に5度音程を付け、或いは歌を交えて奏でる。それだけであるが、昔の衣装であるので人々が立ち止まって聞いてくれる。昼食を皆で摂ったレストランでも演奏し、さらに夕方教会でもう一回演奏した。

レストランの入口で一休みしているときのこと、頭に白い布を被り中世風の質素な長い衣装を身にまとった女性が入って来て、こちらにちょっと会釈をした。片足を少し後ろに引いて小さく膝を屈め、そっと腰を落とすそのしぐさは実に自然で、フェルメールの絵の中にいるような思いを抱いた。

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