2016.09.27

普遍となるもの

用事があり久し振りにパリに出る。列車で3時間。街中では意外に歩く。いつもの作業靴の紐を締め直し、オフィスに向かう勤め人と共に歩く。姿勢を見ればどこまで神経が行き届いているか自ずと見えてしまう。背筋を伸ばして歩く。

用事は大使館で書類を発行してもらうこと。書類ができるのを待つ間にお上りさんよろしく凱旋門まで歩く。世界中のお上りさんが集まっている。シャンゼリゼには名だたるブランドや高級自動車を並べた店が櫛比していて、そこに連なる店や集まる人を見れば今の時勢がわかるというもの。どの店にも黒い背広の屈強な男が立っている。以前はそのようなことはなかったというが、それもご時勢。

有名な店に陳列されているのはいずれも高価なものばかりであるが、自分には単なる物に過ぎない。とはいえ余りこのような気持ちが強くなれば浮世を離れすぎてしまう。世間を知っておこうというのが趣旨なので、もう少し歩くことにする。

しかし目はブランドとは別の方に向く。シャネルの店の前にヒジャブというのか頭に被り物をした女性がいた。彼女は石で畳んだ路上に座し物乞いをしている。そのうちに座ったまま手を前に出して伏せってしまった。それは空腹の故か、絶望の故か。人々はその傍らを何事もないかのように歩いている。

昼食後ジャックマール・アンドレ美術館でレンブラントの展観を見る。展示の最初にルーブル所蔵の彼の自画像があり、その後にも世界各地の美術館の優品が展示され、それを通じて彼の生涯が辿れるように構成されている。

いずれの作品も至近の距離にあり、ときにはガラスもなく、筆の感触や絵の具を細い軸で掻き取った跡まではっきり観察でき、展観の題が「レンブラント・アンティーム(親密)」と題されているのも頷ける。それに加えて、展示は若い頃の油絵や聖書に題を求めたエッチングやデッサンまで幅広く目配りをして、極めて充実したものであった。

一室に彼の最盛期の大きな作品が集められていた。エルミタージュのフローラに扮したサスキアは40年前に見ている。そのあとエルミタージュで再会し今回が3回目。部屋の正面の壁にはニューヨークのオリエンタル衣裳の男の肖像が掛かり、カナダのナショナルギャラリーの化粧室の若い女性の絵が左側にある。

暗い背景の前に立つ男性には金色の光が当たり、豪華な衣裳や宝飾品が煌めく。微かに青い影を差したサスキアのうなじやふっくらとした指は透き通るように美しい。28歳のレンブラントは彼女のために心を込め自らの持つ技を存分に振るい描いたのであろう。

当館所蔵のアマリア・ファン・ソルムス王妃の肖像でも、黒い背景の前にいる彼女の横顔に明るい光が当たっている。その肌の色や繊細なレースの白さが際立つばかりではなく、この落ち着いた女性の性格までが描き込まれているように感ぜられる。

見終えて庭で一休み。来館者は次々に来て途切れない。なぜレンブラントの絵は人々を惹き付けるのか。彼の絵の技法が卓越していることは、一つ一つの絵を仔細に見るほど明らかになるが、それが人を魅了する主たる理由ではあるまい。

レンブラントは1606年にライデンに生まれ、若くして才能を発揮して、アムステルダムに移り住む。資産家の娘と結婚し弟子が増え大きな屋敷に住む。

しかし妻サスキアとの間に生まれた3人の子供は幼くして亡くなり、サスキア自身も幼い息子ティトスを残し30歳で亡くなる。彼の芸術性と依頼主の好みの違いもあり、仕事が次第に減っていく。さらに仕事の糧としての蒐集品の購入も浪費に近くなり、50歳にして債権者により財産を処分され貧民街に移り住まざるを得なくなる。

20歳年下で2度目の妻となるヘンドリッキェは、彼が58歳のときに亡くなる。唯一成人した息子ティトゥス(彼を描いた絵も展示されていた)にも、62歳のときに先立たれてしまう。生涯の後半は幸の薄いものとなった。

彼は1669年に63歳で一生を終える。

レンブラントの絵には格別の社会性が込められているわけではない。その点でゴヤの絵やピカソのゲルニカとは異なる。しかしその絵に相対していると、時代や社会を超越した深いものが伝わってくる。

注文で描いたであろう肖像がであっても、彼は作為を排し心を無にして対象の人物に向き合い、その対象の人物に自然に語らせていると感ぜられる。総じて彼の絵にはいずれも自らの人生が何ほどか投影されているのであるが、とりわけ自画像ではそれが明らかになる。それを年齢に従って見ていくと、見る者の心の裡に何かが喚起される。

少年の面影を残す若いレンブラント。今回展示されていた黒のベルベットの衣服を着て肩から胸に金のチェーンをかけた27歳の自画像。財産を失ってなお威厳をとどめる自画像、そして最晩年の自画像

そこには自己を探求し謙虚に人生を受け入れていく一人の人間の歩みが写し取られている。レンブラントはその一作一作で自らに問うようにして己の姿を描いているように見える。人生とは何か、人間とは何かと。その問いはレンブラントという個人を超えた、静かで透徹した普遍的な問いかけである。普遍とはすべての人に当てはまるということ。人々が惹き付けられる大きな理由は、ここにあるのではないか。外の庭で考えたのはそのようなことであった。

以前ラジオでレンブラントについてアーティストのマギー・ハンブリングが語っていたときにも、同じようなことを言っていたのを思い出した(Great Lives)。

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2016.09.20

純化と混合

純化とは夾雑物を取り除き混じり気のないものにすること。混合とは性質の異なるものを混ぜ合わせることである。

お茶も色々ある。例えば玉露を見てみると、宇治では新芽が出ると強い日差しを防ぐため覆い掛けをし、収穫後もお茶にするまでに多くの人手が掛けられる。精妙な玉露を楽しむための最後のお湯の温度に至るまで、それぞれの工程は徹底して管理されている。これは純化の一例で、日々の暮らし方や伝統技術からハイテク産業まで、このようなことが日本では数限りなく行われている。工業製品になれば工程管理はナノレベルに達するものもあろう。

その一方でソムリエ出身の外国人がお茶に果実の皮などを加えたものを売り出している。古い世代には抵抗があるかもしれないが、混合が効果を上げることもある。高級なお茶は敷居が高いと感ずる若い世代や外国人に人気であるという。インドのカレースパイスは七味ならぬ二十余の香辛料を混合するという。

一方で精製して純度を上げていくと性質が飛躍的に変わることがある。しかしそこまで純度を高めるには耐えざる努力が必要になる。精選した材料の本来の持ち味を生かそうとする料理も同じ。バター、クリーム、ハーブなどで覆い隠せないのであれば、材料の吟味が非常に大切になる。

他方で様々なものを混ぜると新たな可能性が出てくる。混合による効果はわかりやすく、多くの人に受け入れられる。雑味のあるもの同士でも、組み合わせれば新たな魅力になる(本当は要素が多いとどのような組み合わせで新たな可能性が生じたかを明らかにするのが難しくなるのであるが)。

純化と混合それぞれに一長一短があるが、これまで日本ではどちらかといえば純化に心を砕いてきたのではないか。それが物性の究明やもの作りに留まるのであれば、大きな成果を挙げることにつながることが多い。秩序のある社会が維持されているのも、人々のこのような気質に負うところが大であろう。

ただ純化を重んずる態度が、無意識のうちに生物や人間や社会に一律に適用されることもある。そのときはよく考えねばならない。様々なフレーバーティーが出てきたときに、それは下手物と言いたくなる衝動を抑えて、状況をよく見て冷静に対処するしかあるまい。それが好きな人も世の中には大勢いるし世に裨益することもある(求心と遠心)。

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2016.09.14

団栗

野には秋の気配が漂い始めた。ブラックベリーやエルダーベリーが濃い紫の実をつける。木々の梢にも様々な実がつき始めている。団栗の実がまだ青いままに落ちている。

「これはなんでしょう」と美禰子が問うと看護婦が「これは椎」と答え、二人は三四郎の傍らを通り過ぎていく。あけて六つになる寅彦のお嬢さんのみつ坊が、若くして亡くなった母と同じように無心にどんぐりを拾う。

散歩をしていて、ふとそのような本の情景を思い出した。

しかし追想に耽るのは一時のこと。

雨がちの日が前より増えキノコがあちこちに現れる。栗もそろそろ、ヘーゼルナッツも一部色づき始めている。自然の恵んでくれるものをそのままにするわけにもいくまい。

収穫の時期、しばらくプルートとの散歩のルートを変更する。拾い集めたものを入れる袋をポケットに忍ばせておくことにしよう。

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2016.09.07

副業

三人のお客様を駅にお送りして家に戻ると男女二人が待っていた。一人は見覚えがある。村のお食事会で肩もみをした女性。話を聞くと肩と腰が痛いという。どうぞお入りください。

触れてみると彼女の肩甲骨の下の筋肉が凝っている。腰にも痛みがある。マッサージをしながら話を聞くと、以前脚立で転んだことがあるという。彼女のこの大きなお尻で転べば色々なところに無理がくるのも頷ける。強く押さずに筋肉をほぐし血行を良くする程度にする。

肩を叩き揉みほぐしていると心も次第に楽になって、問わずとも自ずと語り始める。先週マダム・カシェールが当方のところに来て同じように肩と腰を揉んでもらったことも知っている。村の情報網はあちこちつながっている。

しばらく彼女の首筋、肩、二の腕、背中、腰を順番に何度か揉んだり押したり叩いたり。一通り終わってから一緒に、両手を大きく伸ばし背中をストレッチする。椅子を支えにして腰を回転させる運動や、呼吸法もやってみせる。

一緒にいた旦那が、自分も食事会のときあんたにやってもらったと言う。そうか彼の顔は忘れていた。そのあと良く寝られるようになったという。じゃあまたやりましょう。楽にして。揉みながら話をしていたら彼は64歳だという。彼にも奥さんと同じようなメニューを施してから、肩回しを一緒にする。やあ5歳は若く感じられる。それなら今日から59歳ね。

終えるとお金を払おうとする。いや、持ちつ持たれつ。それにそれで生計を立てているプロもいる。そう言ったが彼らは気が済まず、じゃあ鶏とウサギをつぶして持ってくる、じゃが芋はあるかい。明日の午後持って来る。そう言って帰っていった。

肩叩き、それに村人の包丁研ぎ(あと7本残っている)、何となく副業になってきた。物々交換と言おうか。実利はともあれ、人とのつながりを作る手立ては言葉以外にも色々ある。

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2016.08.29

二つの自己

お便りを有難う御座いました。拝見していてお考えが深くなって、ご自分を見つめるまなざしが次第に明瞭になってこられているような印象を持ちました。自己を見つめるとは自分を客観的に見るということ。それがどのようなことなのか、それにより自分がどう変わるか、私の考えをご説明してお返事とします。

考えてみれば色々な人が自分を客観的に見ることの大切さを繰り返し説いています。デルフィの汝自身を知れもそうですし、世阿弥の離見の見も同じ趣旨ですね。自分を客観的に見るときには「見ている自分」と「見られている自分」という二つの自分がいます。両者は分離しているのです。「考える自分」と「行動する自分」というような区分もできます。思うようにできないというのは、その分離を認識していないからです。

(見られている自分)
さて二つの自己を意識しそこから「見られている自分」というものを取り出せば、他者と同じように扱うことができます。客観的に見れば自分もたくさんいる人の中の一人に過ぎないのですからそれは当然かもしれません。人間関係は、自分と他者の関係だけではなく、自分と自分の関係をも含むもの、として捉えることも可能です。このような意識で自分に接すると、新たな世界が開けてくるのではないでしょうか。

総じて真面目な人は自己を厳しく律する傾向があります。そして自己を律することが行き過ぎると苦しくなります。そこで「見ている自分」と「見られている自分」とを分けて、見られている自分は他人と同じと考えてみます。他人と同じなら、自分の思い通りにならなくともまあ仕方ないと許すことができます。前に、自分に優しくしていいという言い方をしたのもこれに関係してきます。

(見ている自分)
今度は「見ている自分」を考えてみましょう。それは「考えている自分」でもあります。そのうえで自分を律している自分の基準は正しいものなのかを問うてみます。私の考えは不変でしょうか。その基準は思い込みであったり、狭い分野にしか当てはまらないものかもしれません。時間の経過、身体の変化とともに変わってくることもあります。

変化している状況に合わない基準を厳しく課していると不都合が生じてきます。そこに気付けば、ある段階になったところで厳しい制約を課されている「見られている自分」「行動する自分」「昔の自分」を解放してあげてもいいように感じました。

(多様な自己)
制約を解くことは、自分の内を他者に見せることでもあります。ではそれをどうやって見せるのか。それはコミュニケーションの技術とも関係してくるのですが、一つの言い方でおしまいにするのではなく様々に言ってみるというのも、やり方かも知れません。あることを伝えたいときに一つの言い方だけでは先方にうまく伝わらないことがあります。繰り返しても切り口上に聞こえるかも知れません。そこで別の説明をしてみたり言葉を添えたりするのです。

これは単に意思をうまく伝達するというだけではなく、自分の内側を多様に表現してみる気付きの訓練でもあるように思います。それによって心の広がりに気が付くし、自分の内を他人に開放することになります。こちらの事情を理解した相手が、それならこれはどうかなと言ってくれるかもしれません。制約を解いて自分の内を開放するというのは、心の風通しを良くして、たくさんある自分の可能性の虫干しをするようなものですね。

自分の中に二つの自己がいると考えると何かがすっきりするように思います。

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2016.08.27

単純な答があるか

問題はいつも複雑である。分野を問わない。人間社会も自然科学の世界も同じ。それは時代も問わない。昔も今も同じように複雑である。

人々は枕詞のように世の中が複雑になってきたと言う。しかしそうではあるまい。表面的な違いを取り除いてそのありようを凝視すれば、昔から世の中は複雑であった。昔が単純に見えたのは、かつての自分が未熟であったから。過ぎ去った彼方の世界を一面的に把握することしかできなかったのである。その世界に身を置いて見るという想像力が欠如していたからである。

そのような複雑な事態を理解しようとすれば、一つ一つの事象を切り分けねばならない。フェルマーの最終定理は簡単な公式であるが、アンドリュー・ワイルズがそれを証明するためには様々な理論や予想を組み合わせる必要があった。それと同じようなことが私たちのごく身近な世界にもある。

問題はいつも複雑。その答えも入り組んでいる。安易に割り切れば本当の解決にならない。捷径に走らず目前にあるものを片付けていくしかあるまい。

(なお単純・複雑という対比の軸と、明快・難解という対比の軸は少し違う。単純に見えることを明快に説明するのがとても難しいこともある。フェルマーの最終定理もその一例。)

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2016.08.23

平明な実力

接着についての調べものをしていたときに「だれでもできる重防蝕」というホームページに辿りついた。被覆防蝕を専門とする株式会社ソテック(設立1981年、資本金2,000万円)のものである。創業の社長がご自分で作ったホームページらしく、写真や図が少しあるがテキスト中心で、申し訳ないが今出来のもののような見栄えはない。

ところがここに書かれていることやものの考え方は、まったく古くなっていない。実に傾聴に値するお話である。淡々とした記述や写真からこの会社(社長)が大変な力を持っていることが伝わってくる。

ホームページはライニング、下地、接着、コンクリート、防水、床、生物、各種条件などに分けられ、そこに大量の情報が開示されている。その説明は化学や物理の原理を十分に理解しつつ、それを難しい公式などを使わず自分の言葉でするもので、平明でありながら深い。

しかも具体的な施工の例を見ていると、単一の手法に固執せず様々な状況に臨機応変に対応する会社の姿勢が浮かび上がってくる。それゆえに大手企業からも肝要となる仕事で重用されていることが伺えるが、ことさらにそれを自慢することもない。いやその必要はないということであろう。実績がすべてを語る。

以下、印象に残った発言を一部引用させていただく(社長の松森建次様にご了承をいただいています)。その言葉は率直で歯切れよい。社長はまだ現役で頑張っていらっしゃる由。

(ホームページ)
[筆者は]何でもすぐマニュアル化して何も考えずに形式的にやる風潮には反感を持っているので、ホームページには原理と方法論を載せました(最終的にどうすべきかは自分で考えなさいませ、という不親切な構成です。悪しからず)。当ホームページは、リンクも、引用も、パクリも、こきおろしも、全部歓迎です。ご遠慮なく、自由にジャンジャンやって下さい。

(会社の方針)
会社の方針は、基本的に同業者がやらない仕事や、やれない仕事をやるという姿勢ですから、新設より修理に力を入れています。好き嫌いで仕事をしているわけではありませんが、ややこしい仕事、むずかしい仕事は(出来る出来ないはともかく)嫌いでは無いです。意固地と言われるかもしれませんが(コンサルタントや設計事務所等によって)仕様が指定されている工事は、(結果に対する責任の所在が曖昧なので)やりません。

(状況適合性)
一つとして同じ現場は無いので、良い仕事をしたいなら施工業者は、各現場の腐蝕の程度や配管の部分構造や材質や使用条件や施工条件等の細かい差異に応じて、やりかたやライニング材料を適宜調整する必要があります(そういった事はどの業者でも出来るわけではありません)。

修理は常に臨機応変にやる必要があります。それに加え、現実の修理ではしばしば、例えば表面平滑性、耐摩耗性、潤滑性、防滑性、補強、着色等、その現場特有の様々な機能も合わせて求められます。つまり、実際の修理現場の状況と、そこで求められる事は際限なく多様です。それらに対応するには、材料と施工法の多様性が必要です。

(○○工法)
余談ですが「お宅の工法名と特徴と材料を教えて下さい、その資料も下さい」というお問合せを何度か頂きましたが、私達は上記のように、状況に合わせて常にやり方を変えますので、全体を表現する工法名はありません。材料もその都度変ります(強いて言えばジネン流カメレオン工法ですが、怒りだす人も居そうなので言わないことにしています)。

さらに無遠慮に露骨に言えば公共工事では、同一の仕事にゼネコンが群がって、仕事の奪い合いをしています(彼らは大抵、防蝕に関しては素人同然ですが)。・・営業マンは客に、自社しか出来ない高度な防蝕技術です・・・という形で売り込みたいため・・・そして現実問題として多様な施工技術は持っていないため、「○○工法」(^^)というネーミングで長所だけを振回します。

工法の諸々の短所は考慮されず、「状況の差異に対処する」という考え方は有りません。これは謂わば診察する前に或いは診察せずに、薬の処方や手術法を決めておくやり方ですから、特に改修工事のように状況が千差万別な現場では、トラブルが続出します。「馬鹿の一つ覚え工法」の方が適切な呼称かもしれません・・ゼネコンさん怒らないでね(^^)不合理なので私達はやりません。

総じてこのホームページから感得できるのは、技術そのものについての合理的な思考と、技術を扱う人間に対する洞察である。そこからは腕に自信のある職人の小気味よい啖呵のようなものが聞こえ、真っ直ぐな倫理感が伝わってくる。ブランド信仰や権威への依拠とは対極にある。自由で開かれた精神と実証性。それこそが実力なのであろう。

実力はゆとりとなりユーモアを醸す。他の人の力も認められる。「恐るべし、プロの技!」は、防蝕の話ではないが長く仕事をしている間に経験した達人たちのエピソードで、その5、その7などになると人間力そのものである。その7は、どおくまんの花の応援団を彷彿とさせる。

もう一つこのサイトから教えられるのは、施設や構造物の劣化の早さである。これらのものは、使用されることにより、あるいは風雨や日の光などの自然環境に曝されることにより、完成のときからすぐに劣化が始まる。確かに家もそのうちにあちこち傷んでくる。石に刻んだ文字すら年月とともに判読できなくなる。

一般に規模が大きくなるほど複雑になるほどに不具合が起きる可能性は高まるわけであるが、その構成部材の一つ一つで劣化が生ずることを考えると、そのままにしていては初期の状態はたちまちに維持できなくなる。

そこで実用に供する時間を延ばすためには常に手入れが必要になる。総務や営繕の仕事である。とかく人はプロジェクトの完成までは意識しやすいが、その後のことは忘れがちになる。もの作りのその先の世界、庶務のおじさんの世界の奥深さに漸く気が付いたわけで、目先の華々しさに捉われていた若いときの自分の不明を恥じることとなった。

施設や構造物を維持管理するには、強い継続の意思を持ちそれを制度化する必要がある。それができる人が大人であり、それを実現している社会が成熟した社会である。


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2016.08.20

マジシャン

アフリカの少数言語を採取している人のお話をラジオで聞いたことがある。彼は村人の訴えごとを聞くほどにその言語に通じているのであるが、そこに至る第一歩はその言葉を話す人々のいる村に入ってのフィールド調査から始まる。

初めて村に入ると人々が集まってくる。特に子供は好奇心が旺盛で真っ先に近寄ってくる。取り囲んで人々があれこれ言っている中で、彼がザックから野帳を取り出す。子供達は「○○」とささやく。次に鉛筆を取り出すと「××」という言葉が聞こえる。鉛筆だ、と言っているのであろう。それを書き留めていると「△△」と言っている。やあ何か書いてる、というわけである。

ひとしきりそうやってから、彼は鉛筆を徐に皆に見せて大声で「××」と叫ぶ。皆が一時にどよめき手を叩く。

半世紀近く前に聞いたこの話が蘇ってきたのは、村の人々の集まりでのこと。こちらは新参者。言葉での意思疎通は十分できない。しかしコミュニケーションは言語だけでするものではない。様々な手立てがある。

田舎の集まりは都会のお洒落なパーティーとは違う。ゆっくりと食事をして、そのあとは日中なら皆で散歩をし一日がかりの行事となる(夜の集まりはお開きになるのがそろそろ夜が明ける頃)。そこにはカップルだけではなく、乳幼児や子供からかなりの高齢者まで家族が総出でやってくる。

意思疎通の手始めは自分の方から行動すること。待っていては道は開かれない。将を射んと欲すればまず馬を射よ、パーティーに飽きて飛び回っている子供達を手招きする。そして一言「マジック」と言う。彼らが寄ってくる。

そこで親指切りの手品をしてみせ、痛そうに声をあげる。そして親指を触らせる。子供騙しとはよく言ったもの。不思議そうに、もう一回とせがんでくる。こうなれば彼らはこちらに吸い寄せられたようになる。輪ゴムを使った手品もいくつかやってみせる。そのあとは一晩中、彼らが「マジシャン」と言って追いかけてくる。

大人は寄ってこないが、この様子をちゃんと見ている。

異文化に接することは、最終的には自分も他者も含めた人間というものの理解を深める手段である。その点では自分の育った社会でする人間理解と異なるものはない。しかし異文化の社会で人々と接するときには、野生動物を観察するときと通うものがあるように思う。フィールドワークで使っている手法が役に立つこともある。子供の助けを借りるのも一つ手立てであろう。

まあ左様な打算はさておいて、手品師になって子供達に接するのはそれだけで楽しい経験となる。

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2016.08.19

庭師のピンセット

草を刈り雑草を抜き落ち葉や枯れ枝を拾い集める。大変そうに思えるが一つずつやっていればいつの間にか終わる。拾い集めたら手元の箕に入れる。入れる回数が多くなれば相当な手間になるので数センチでも近くに置く。

最初こそ大道具が必要になるかもしれないが、ある程度の形ができたときには小さな道具で十分。機械を動かしていると仕事をしているようであるが、小さな庭ではそれに振り回されていることが多い。芝刈り機など回転する刃の部分が実際の仕事をするわけであるが、その接する面積は以外に小さい。それにもかかわらず機械を正常に運転させるには整備に時間がかかる。

道具は簡単な方が準備も片づけも含め万事が楽になる。

一つずつ草や葉や枝を拾い集めるのは気が遠くなるような作業と思うかもしれない。しかし堆くなった草木の葉も、その気になってやりだすと意外に早く片付けられる。

かつて京都の庭師の仕事ぶりを紹介する番組を見ていたときに、その庭師が竹製のピンセットを持っているのに気が付いた。なるほど達人はそうしているのか。そのピンセットの両端はぴたりと合うように調整されているであろう。何かを教えられた気がした。細部を疎かにしない。動線を分析して身体の動きを最小限にする。外部のものに依存せず自分の手を動かす。それを継続する。どの仕事をするときも同じ。

(ただし大局を見た判断も必要。もっこを担いで飛行場を作るような愚を犯してはならない。)

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2016.08.08

釣り

カルロスに釣りに行こうと誘われた。舅のエミールがボートを持っていてディエレットの港に係留している。それに乗り3人で沖に出る。操船はカルロスがする。

岸から1キロほど出たであろうか。北に遠くアーグが張り出し、振り返るとフラマンヴィルが見える。ガーンジーに戻る大型ヨットが船尾に英国の旗を翻して出て行く。魚群探知機で見ていると水深は17mから20mある。天気は高曇りでときどき日が差す。風はないが小さな船は波で結構揺れている。ここが今日の釣りの場所。

竿を出して仕掛けを付ける。40センチ間隔で5本の擬餌針がありその先に錘が付いている。投げ入れて沈めると程なく鯖が食い付いてくる。餌もないのによくかかるもの。釣り上げたばかりの鯖は体表の模様がやや緑を帯びているが、バケツに入れてしばらくすると動かなくなり色が次第に青くなる。

そのうちまったく釣れなくなった。潮で船が流されるし、お魚の方でも移動しているためか。エンジンをかけて場所を変えるとまた当たりが戻ってきた。一時に仕掛けに4匹かかることもある。沖には同じようなボートが幾つか出ている。セーリングのヨットもいる。近くで練習をしていたヨットが沈をした。念のため船を傍に寄せて大丈夫かと尋ねる。

船に乗っている間は遠くの水平線を見るようにしていたが、それでも1時間余波に揺られていると少し船酔い加減になってくる。うまい具合にエミールがもう良かろうと帰り支度を始め、鋏で鯖の尾の片方を切っていく。釣った証とのこと。わずかの間に30センチほどの鯖が32匹釣れていた。

波の上にいたのは1時間半ほどであったか、幸い気分が悪くなる前に港に戻れた。やれやれ。カルロスも初めはよく船酔いをしたという。ボートは同じような小型船舶の並ぶ桟橋に静かに入る。エミールがカルロスに接岸時の操船がうまくなったと声を掛ける。

帰りにエミールの家で自家製の林檎酒をご馳走になる。娘のステファニーもラファエルと来ていた。エミールが釣れた鯖を持って行けと勧めるので少し頂戴した。

戻ってすぐに捌いたが釣って1時間弱の魚の身はまだ硬直している。開きにしてその半分は隣のクリストフの一家におすそ分け。残りの一部を夕食に供す。人とのつながりが日々を豊かにしてくれる。


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2016.08.06

分類を変える

これは別にしておこう。それが分類の始まりである。そのうちに「これも同じ」と思って一まとめにしておく箱ができる。さらに全体を二つに分け三つに分けしているうちに箱が増え、次第に分類の体系が整ってくる。

ではどのように分類するか。器を分類するときには大きさで分けることもあるし、用途で分類することもある。食器棚に収納するときには大きさや形状でまとめるが、色々な形のお茶の道具を別にするのはその用途による分類である。

分類の仕方はその対象をどのように見るかにより異なってくる。茶器を分類するのに、茶人と世界各地の喫茶の違いを調べている文化人類学者では違う基準を使うであろう。一般家庭なら収納場所との相談で分類するし、芸術家ならその色に着目して分類するかもしれない。つまり分類は目的との関係で決まる。たくさんの切り分け軸のどれを使うかは人それぞれ。

分類は人により変わるだけではない。時間の経過によっても変わる。調査研究が進んで、それまで同じと考えられていたものを細分化する必要が出てくるかもしれない。逆にそれまできれいに分けられていたものが一まとめにガラクタ箱に放り込まれるかもしれない。分類の対象は、それが抽象的な思考でない限り、陳腐化を免れない。自分の持ち物はその例。本でさえ図書館では定期的に入れ替えているのである。

分類には分類者の目的意識が反映しているし、その時代が映し出されている。別の人、別の時代には別の分類が成り立つ。昔習った分類を金科玉条にしてはならないということである。

分類が変わるという事実を知れば、積極的に分類を変えて活用するという考えも生まれてくる。変わるのではなく変えるのである。組み変えてみれば新たな発見があるかもしれない。要は分類とは、ある目的を達成するために人間が意図して設けた手段に過ぎないということ。それがわかれば今の自分の目的意識に応じてあれこれ試して、自らの仮説を最もうまく説明できる分類を採用するという態度も許容される。分類とはものの整理であるとともに思考の整理である(何のための分類か)。

さらにある目的を達したらそれを元の状態に戻すことも必要。すべてを土に戻す。私たちも同じ。

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2016.07.31

話し手の言葉と聞き手の言葉

チボーのところでの夕食に招かれたとき英語の話になった。集まったのは英仏蘭独日で総勢6人、いずれも様々な国に住んだり長期に滞在したりした経験がある。そのうちの4人は再処理や原子力利用の規制に関わっていて多少理科系優位の集まりであったが、あれこれの話の中で、おかしな英語表現から発展して共通語としての英語についての議論になったのである。

現在の英語は、中世の知識人が意思疎通をするのにラテン語を用いたように、あるいは近代ヨーロッパの貴族や外交官にとってフランス語が必須であったように、世界中の人が意思疎通を図る共通の言葉となっている。その広がりからすれば、かつてのラテン語やフランス語より大きな影響力を持っているであろう。チボーのところでの会話も英語が主体であった(そこにフランス語が混じるが)。

話題は共通語である英語を皆がどのように捉えているかであるが、英語を母国語とする者が、文法的な誤りを直してからでないと話の内容が頭の中に入りにくいと言った。これはなかなか面白い発言である。その言語をよく知っている者からすれば、的確な表現でないと正しく理解できないというのである。言葉を大事にすることが足枷になっているといってもいいかもしれない。

これに対して英語を母国語としない者からは、英語はコミュニケーションの手段であるとして、実用目的で英語を捉える発言があった。オランダのヴィレムは原子力発電に携わりその後はその規制の世界で長く仕事をしているが、各国の関係者との交渉も当然英語である。英語は仕事で意思疎通をする手段ということが強調されるのは自然なこと(オランダの人々は一般に英語をよく解す)。

聞いていて感じたのは、ヨーロッパの大陸側の人には陸続きで普段から色々な言語に触れる機会があり、それが彼らの言語観に影響しているのではないかということである。彼らは同じことを各国言語で少しずつ違って表記したり発音したりするということを日常的に経験している。英語のウィリアムは、ヨーロッパ各国語に直すとギヨーム、ヴィルヘルム、グリエルモ、ギリュルモ、ヴィレムとなり、ラテン語ならグリエルムスである。

そのような環境では、外国語(共通語としての英語)におかしな表記や文法の違いを見つけても、それをすぐに誤りとせず、「ああそれはドイツ語で育った彼のドイツ語流の英語ね」くらいに思って、話者の言わんとすることを汲み取って先に進むという態度が醸成されるのではないか。食卓でいろいろな言葉が飛び交うところで育ち鍛えられると、言語原理主義に対して距離を置いた相対感覚を身に付け、異なる表現の先にある本質を把握する力がつくのかもしれない、そう思ったのである。

(ただしこれはある程度外の世界を経験した人達の間でのことかもしれない。地元の人とのやり取りはそこの言語に限定される。郷に入っては郷に従えも真実である。)

チボーのところでの会話に刺激されてそのように感じたのであるが、その後あれこれと考えていて話し手と聞き手という区別も必要なのではないかと思うようになった。発信と受信のときの態度を区別するのである。

これに母国語と外国語という区別を組み合わせるとどうなるか。
(1)母国語で発信するものを、その言葉を母国語とする者が受信する。
(2)母国語で発信するものを、その言葉を外国語とする者が受信する。
(3)外国語で発信するものを、その言葉を母国語とする者が受信する。
(4)外国語で発信するものを、その言葉を外国語とする者が受信する。

(1)は国内でのコミュニケーションである。(2)は外国人がネイティブスピーカーの話を聞いたり文書を読んだりする状況。翻訳も多くはこれに当てはまる。(4)は世界各国の人が国際会議において英語を使い意思疎通を図るような場合である。

問題は(3)である。チボーのところに集まったとき英国人が提起したのはこのような状況での、英語を母国語とする者の受信の仕方であった。英語を母国語とする者には、不正確な用語法や文法が雑音となり、正しい理解の妨げになっていたのである。自分がよく知っている言葉であるほど誤った表現は混乱を招きやすい。また言葉に敏感な者ほどその傾向が強いであろう。

しかし英語を母国語をする者も、英語の純粋性を守るだけではなく、様々な英語を受容する度量が必要かもしれない。外国人が慣れない言葉で懸命に発信しているときには、間違いに寛容になり相手の言わんとする実質的な内容を理解しようと努め、議論を進めていこうという姿勢が大切なのではないか(逆にその言葉を母国語としない者も、間違いを恐れずに発信する勇気が必要であろうが)。

比較的狭い地域(たとえば島国のようなところ)で言語が完結しているのであれば(1)だけで済むが、外に向かうようになると(2)が必要になる。さらに外から人が流入するようになると(3)が大切になる。このような状況は日本語でも起きている。そして様々な国の出身者が英語を共通語とする(4)のような状況では、いずれ新しい表現も生まれてくるであろう。それが言語の強さかもしれない。

自己を厳しく律しつつも他者には寛容であれとは言葉についても当てはまる。話し手の言葉と聞き手の言葉は違う。

まず話し手は自らの母国語の能力を磨くことが大切。母国語で発信するときには明確かつできることなら美しい言葉を使う。

それと同時に、外国人が新たな所で慣れない言葉で発信してくれたときには、その言葉を母国語とする者は外国の人の努力を多として受信する態度が求められるであろう。聞き手はその言葉がおかしいと感じても言葉尻を捉えずその言わんとする心を汲み取るのである。(おかしな日本語)。

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2016.06.30

少なくすると

人は好きなもの関心のあるものを集める。しかしその一つ一つを十分に理解しているか。使いこなしているか。ただ集めるだけではものに使われる。それの整理に費やす時間が多くなる。玩物喪志と古人は言った。

ものを持つならそれを十分理解して活かし切る必要がある。それは身の回りの品々や道具だけのことではない。書籍も同じ。本を集めることと読むこととは別物である。積読では勿体ない。

高校生のとき同じ通学区の山線地区会に○君がいた。色々な参考書を持ち「参考書の○」と異名をとり、数学の試験が終わるたびに「あの問題はあの参考書に出ていたんだ」と言う。「それでできたの」と聞かれると「いや出ているのは知っているが解法を見ていなかったんでね」と答える。

本を集めたあと、実際どのくらい読んでいるか、そしてどのくらい内容を我が身のものとしているか。人は書物や著者の名前を挙げるが、そこでどのような主張がなされているかと問われると答えに窮することがある。それは本を手に入れたが読んでいない、読んでも自分が納得する形で消化していないから。

知識を集めるのは色々知りたいからである。けれども知識の蒐集が自己目的化するのは本末転倒である。それに世界には知らないことが無数にある。それを求め続けるならば、人はついには知識の幽鬼と化すであろう(身体を動かす)。すべてを知らなくともいいではないか。それは無知の奨励ではない。我が身の内にある知を働かせるためである。

自分の記録の保存にも同じことが言える。一方で歴史を風化せさないことは大切であるが、忘れることが必要なものもある。紙類を後生大事に抱え込んでおく必要はない。大切なのは知識や記録から抽出した普遍的な原理なり行動様式を理解しそれに基づいて実践することである。そして前に進むこと。生きている限りは。

ではものや知識に囚われないようにするには如何にすべきか。

特別な工夫はない。ひたすらものを少なくするまでのこと。それにより意識が深くなる。足りないと思っていた時間が生まれてくる。欲張らなければ手持ちのものを活用する機会が増える。いや逆に今あるものを生かせば欲張らなくなるといおうか。五感が鋭敏になる。菩薩の自在もそのようなことか。少なければ深くなる。少なければ豊かになる。

さてそれを自分ができるか。なに、早い遅いはあるもののそのうち皆気付いて実践するようになる。

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2016.06.27

集団の存続と自己の生存

軍議は紛糾した。作戦について議論が二分したのである。結局雑兵まで含めて衆議をとることになり僅差で一方の推奨する策を採ることに決した。敗れた側もその策に従ってそれぞれの持ち場に就いて敵に向かうことになった。

さて皆はなぜ衆議に従うのか。自分はその意見に反対であったのに。

それは一致して外敵に対処するためである。仲間割れをしていては敵に敗れる。小異を捨て大同につかねばならないときがある。自らの属する集団を守ることは、自らとその家族を守ることになる。つまりは集団の決定に従うのは自らの生存のためなのである。

では仮にその集団がある構成員にとって快適でない場合はどうか。例えば信長に仕えた光秀のような状況に自らが置かれたらどうするか。さらに敵と思っていた向こうの世界の方が居心地よいと知ったときはどうか。何よりもその集団の決定に従っていては自己の生存が危ういと感じたらどうか。

そのような場合には、自らの属していた集団を脱し外に出る人間が出てくる。広い世界を見ている者ほど様々な選択肢があることを知っていて、他者よりも先に行動に移すかもしれない。組織からの離脱は寝返りと非難されることもあろうが、各人が選択した生存確保の行動を非難することはできないであろう。

衆議に従うのはその集団が自らの生存に欠かせないからである。その組織に見切りをつけて離脱するのも自らの生存を確保したいからである。いずれも自己の生存のため。自らの生存をまず確保することは動物も植物も含め生きているものにとって当然の行動である。

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2016.06.21

餅は餅屋か

英国ではEU残留か離脱かを問う国民投票が23日に行われることになっているが、これに関してリチャード・ドーキンスが興味深い意見を述べている。残留か離脱かではなく、その前提となるものの考え方に一石を投じているのである(詳細はこちら)。

彼は言う。 EU残留に関する一般国民の議論は「残留を主張する首相のデビット・キャメロンが嫌いなので離脱に賛成しようと思ったが、離脱派のボリスジョンソンのヘアスタイルが気に入らないのでやはり残留に投票する」程度のものであると。

EU残留の可否のような大切な問題を、経済学も歴史も知らない自分のような一般国民に判断させて良いのか。国会議員がいるのはそのためではないか。脳外科の手術、旅客機の操縦、配管工事などをそれぞれの専門家に任せるのと同じように、議員に議論させるのである。直接民主制ではなく間接民主制をとるのはそれなりの意義がある。彼はそう主張する。

一般国民には判断できない複雑な問題を国民投票にかけたキャメロン首相は判断を誤ったというのである。

さて餅は餅屋か。彼の言うように、素人が理解できそうもない複雑な問題について国民投票にかけて賛否を問うのは誤りなのか。

確かに一般人はその分野についてよく知らない普通の人であり、デマや似非科学を信ずる人がいるかもしれない。それに対して専門家は特定の分野を研究・担当し精通している人である。その分野のことを客観的で論理整合性のとれた形で一般に提示し、託されたことを効率よく実行できる。専門家の間で広く受け入れられている見解を素人が否定するのは合理的ではなかろう。とすれば判断は専門家に委ねた方がいいのか。

しかしよく考えると専門家でも判断を誤る事例は多々ある。素人と同じかそれ以上に間違いをする。客観性を欠き時勢や権力に従う見解を出す専門家もいる。

専門家の意見は傾聴には値するが、国民全体の理解力や実行力も侮ってはいけない。皆が関心を持つ問題では、多くの検証が行われ間違いは訂正され落ち着くべきところに収束する。良識ある国民はみずから問題を理解しようと努力している。専門家は判断をするときの参考意見を供しているのであって、専門家を使うことと専門家に最終判断をさせることとは別である。客観的な情報を集めて判断するのは我々自身の責任である。

なるほど専門家が判断の主体になり得ないとしても、次にはドーキンスの言うように代議制で足りるのではないかという議論も考えねばならない。国会議員も一般国民と同じように専門家ではないが、皆の代わりに国事を議しているのである。彼らに任せて一般国民が全員参加する必要はないのではないか。このような議論はなかなか説得力があるように思われる。

ただこの議論は国会議員が国民の意思を反映して行動することが前提になっている。議員の中には自分がその集団の意見を牽引していると考える者が出てくる。属している政党や政治の力が働き議員はその中で動いているだけということもある。議会制度の仮装のもとに権力と結びついた恣意的な判断が通るのは、ヒットラーの権力掌握の過程や中国の全国人民代表大会を見るまでもない。

とすれば重要政策については専門家や議員に検討させたとしても、なお最終的な判断権は主権者の手元においておく必要がある。ことは自らの利害に関わりその生存にすら関わる。その判断を放棄するのは自らを危うくすることになろう。

もう一つ論じておいた方がいいのは比喩の使い方である。的確な比喩を使うと問題の本質をわかりやすく説明できるが、そのわかりやすさの故に論点がずれても気がつかないことがある。そこでその秘密を知っている者は比喩を使って論点を巧妙にずらす可能性もある。

ドーキンスは比喩を用いるのに優れていると言われる(それで論争を引き起こしがちでもある)。込み入ったEU残留可否の問題を彼は脳外科手術、旅客機の操縦、配管工事などに譬えた。その比喩はすんなり頭に入ってしまう。

しかし上に述べたように、この議論における比喩は判断の主体とそのための参考意見を供する者とを峻別しておらず、事態を的確に捉えたものになっていない。両者の状況は別物である。

物事を客観的に正確に叙述できれば、比喩を使わずともそれだけで十分に説明になる。筋道はその方がわかりやすい(比喩の戒め)。

さてあちこちした考えは、重要な問題については国民投票が必要ということに落ち着きそうである。けれどもそれが良い結果をもたらすかは保証の限りではない。政治家も一般国民も含めて人間は過ちをするもので、それを防ぐことはできないようにも思う。

それであれば過った判断の結果はその構成員すべてが甘受しなければならないということになる。たとえそれにより多くの生命財産が犠牲になることがあっても。結局は一般国民も国会議員も含めてその構成員の質に応じた判断しかできないのである。

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2016.06.08

事前紹介と事後報告

今はソーシャルネットワークで人々が様々な情報を紹介してくれる。イベントや本や記事のお知らせも多く、参考にさせてもらうことが多々ある。

それを見ていて気付いたことがある。人々の発信は事前の紹介に終わっているものが多いのである。こんな企画がある、こんな講演会がある、こんな本が出ていると紹介するが、これは鰻の匂いをかがせる落語のようなもの。しかもエントリーの多くは、興味があるので行こうと思う、あるいはその本を注文したというような感想で終わる。

しかしもう少し中身を知りたい。鰻を食べたい。つまり事前の紹介ではなく事後の報告を聞きたいということである。こんな企画があったので行ってきた、こんな講演会を聞いた、こんな本を読んだという情報の方が欲しいのに、ソーシャルネットワークではそのようなエントリーは意外に少ない。

知りたいのはその記事や本の内容であり、さらに踏み込めば発信者がその内容にどのような感想を抱きどう評価するのかである。そこからその人が見えてくる。もちろん内容を咀嚼するためには時間がかかる。しかし自分が心惹かれた部分を引用するだけでもいい。音楽会での演奏者の様子を描写するだけでもいい。そのような引用や報告を繰り返していれば自然に自分の意見が生まれてくる。それがない事前の紹介は積読と同じ。

ソーシャルネットワークは一つのテーマを深く掘り下げて考える場ではなく人々が交流する場所であると見れば、それでも良いのかもしれない。紹介することがその人の自己表現かもしれない。けれども次々に出てくる情報を右から左に流すだけで良いのか。大切な時間を無駄にしてはいないか。要は積読ではなく精読ということか。時間は限られている。

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2016.06.07

シャンペン・アペリティーフ

ボンヌはしばらく自宅に戻ることができたが、結局介護施設に入ることにした。そこには姪の娘のフレデリークが働いているので何かと心強い。

兄と姉は結婚して家を出たので末娘のボンヌが代々のベスケリーの家を受け継ぐことになった。アレクサンドルと結婚し、子供は生まれなかったが、二人でこの家で農業をし、夫が8年前に亡くなってからも一人でこの家に住まってきた。生まれてから92年間暮らしてきたその自宅を金曜日に離れることになる。戻ることがないのは誰もが知っている。

自宅を離れるに当たっては様々な思いがあるかもしれない。しかしその判断は自分でした。人はその年齢になれば自ずとそう考えるのかもしれないが、やはり聡明な彼女であればこそとも思う。隣に住んで世話をしている姪のジュリエットの負担も大きく、それも考えたのであろう。

介護施設に行く前にシャンペンのアペリティーフをするので来て欲しいと言っている、ジュリエットからそんな伝言の電話があった。人生の終わりの身内だけのささやかな集まりに、ボンヌ自身の意思でこちらを招いてくれた。これはどのような貴顕の集まりへの招待よりも重い。さてこれから出かけるが、気持ちを平静にしておけるか(残照)。

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2016.06.01

夷狄の受容と排除

君山狩野直喜が 昭和天皇に対して儒学について御進講をしている。御進講は合計4回行われたが、そのうちの「古昔支那に於ける儒学の政治に関する理想」と「我国に於ける儒学の変遷」の中で狩野は儒学の夷狄観について論じている。そこで興味深い指摘がなされていた。

狩野は1868年(明治元年)肥後熊本に生まれ、東京帝国大学文科大学漢学科を卒業。中国に留学しその間に義和団事変に際会する。帰国後草創間もない京都帝国大学文科大学教授に就任、敦煌古書調査や欧州への留学もし、東洋学・中国学における京都学派の中心となる。定年退官後は東方文化学院京都研究所長。文化勲章受賞。1947年(昭和22年)に没している。

御進講が行われたのは大正末年から昭和の初めにかけて、狩野の京都帝国大学退官の前後のことである。そこで狩野は孔子の手が入っているという『春秋』を引いて、儒学の夷狄についての考え方を説明する。天下の内には中華と夷狄があり、夷狄とは古代中国で中華に対して四方に居住していた異民族に対する総称でありかつ蔑称である。細分すれば東夷、北狄、南蛮、西戎となる。一面では華が漢人種、夷は非漢人種ということになる。

しかし狩野は元来中国人には人種的差別觀念は割合に少ないといい、漢人でなくとも漢人と同樣に高位大官に至った者も多数あることを指摘する(確かに玄宗皇帝に仕え李白や王維らの詩人と親交した阿倍仲麻呂のような事例もある)。

孔子によると中国と夷狄の区別は礼教風俗によるもので、夷狄でも周の礼教風俗を用い立派な文化があればこれを受け入れた。逆に中国内の諸国であっても、周の文化を捨て夷狄のような振る舞いをすれば、それなりの厳しい取扱した。それが春秋の原理である。孔子が(そして人々が)考える中国と夷狄の差は、人種の区別ではなく文明と野蛮の差であるというのである。

狩野氏の御進講録を読んでいてふと思い浮かんだのは、このような儒学の夷狄観が中華思想に特有なものなのかという疑問である。

(1)考えてみれば、自らの住む世界を中心に据え見知らぬ外の世界に不安を抱き区別するのは誰にもある心理ではないのか。松山へ赴任する坊っちゃんに下女の清は「箱根のさきですか手前ですか」と聞く。清にとっては江戸を中心にせいぜい箱根までが想像の及ぶ世界であった。

これは日本だけのことではない。どこの国でも同じであろう。家で働く家政婦が「隣村は外国のようなもの」と言ったのを子供心に覚えている、そのように美術史家のケネス・クラークが話したのを記憶している(学生最後の頃、彼が来日して文学部で美術の話をするのを聞いて、なぜかこの部分のみ記憶に残っている)。

つまり内外を区別するのは本能的であるということ。内を優先し、我が家を一番とし、おらが村を誇りに思うのは、中華思想に限られない。古代ギリシアのヘレネーとバルバロイの区別、フランスの自国中心主義や西洋一般の文明と野蛮の区別も同じである。

(2)そしてよほど偏狭な人でない限り人は、区別の基準が人種ではないということを理解している。これも世界に共通しているであろう。どこであっても、人々は良き外来者をその出自に拘わりなく歓迎するのである。見かけは然程重要ではない。

かつてのローマ帝国は様々な異民族を包摂した。ヴェネツィアやオスマントルコも外交の衝に相手国の出身者を据えている。古今東西どこにもある考えで、中国のみが特殊なものではない。紀元700年頃のヴァイキングの貴族の中にアジア系の人間がいた可能性すらある(大いなる旅)。

(3)要するに、人には多かれ少なかれ自己の環境を中心に考える性癖があるが、すべての異分子を排除するものではないということで、それは儒教の夷狄観にのみ見られるのではなく、普遍的であるということになる。

狩野の指摘で注目すべきは、その国の盛衰が夷狄の受容態度に関係するという点である。漢人の文化勢力が盛んなときは、華夷の別を立てず漢人でなくとも登用し高位大官に至るものが多数いた。しかし、漢族以外の者の圧迫があるときは、その態度を一変して排斥するというのである。つまり包摂か排除かは国の力次第ということになる。

どこの国も外来の要素が自らの存続を危うくしない限り受容する。たとえ好ましくなくともごく少数であれば新奇ということで許容されるかもしれない。それだけの余裕があるからこそ。

けれども戦いとなれば、自らの生存が優先する。戦いの相手を排除することは当然かもしれない。その地で安定的に暮らしている人々までも、敵国人として抑留、追放、財産没収の対象となる。それは戦う国の彼我両方で生ずる。マンザナーなどに限られない。

これを裏から表現すれば、ある国が異文化をどこまで包摂するか排除するかを観察することにより、その国の襟度なり盛衰が見えてくるということであろうか。包摂・排除の程度で平時か戦時かがわかることになる。

儒教における夷狄観は、世界の人々が古来どのように異民族に接してきたのかという一つの具体例である。その背後にある普遍的な思考様式を見つけ出すことが、今を生きる者の問題を解決するときの糸口になる。受容と排除、これは誰にもどの集団にもあるのである。そう考えれば古めかしく感ずる儒教が現代に蘇る。

(ただその先に、世間には良い人ばかりがいるのではない、それにどう対処するのか、包摂するのか排除するのかという問題がある。また何をよしとするかも問題となる。よしとするものは国により集団により文化により異なるからである。さらに外来要素が次第に増え多数派となったときには、よしとするものの性質が変わるのではないか、自己同一性が保たれるのか、などという問題も出てくる。これらについては別に考えることにしよう。)

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2016.05.12

世界は広いか

若者は村の生活に飽き足らず外に飛び出していく。内にある鬱勃としたものが身体を突き動かす。それが若さの特権かもしれない(雲の彼方)。外の世界は多様で、自分の村とは違う。見るもの聞くものすべてに未知の刺激がある。飛び出してみて自分が変わったように感ずる。

外に出る初めは旅かもしれない。それは若者の放浪かもしれないし、観光であったり仕事であることもある。けれども多様なもののどれかを見定めて観察すると、広い世界のそれぞれに自分の村と同じ日々の生活があることに気付くようになる。そこにいる人々は自分と同じ。その人々は未来の自分かもしれない。そこがいつしか自分の日常になるかもしれない。人々との交流ができ、地元の新聞に興味が出てくる。さてそれを広い世界と表現できるであろうか。

外に出てみることで人は変わるものなのか。人により世界の切り取り方は異なり多様であるが、その一人ひとりを採り上げてみれば、それぞれ同一性を保っている。自分はどこにいても自分である。外に出たからとて自分が一変するものではない。変化は一瞬のものでもない。少しずつ変わっていくしかない。いずれにせよ自らが変わらねば同じ自分のまま。

そのうえで改めて問うてみる。外の世界は本当に広いのか。広い世界は外にあるのか。どこにあるのか。広いとはどのようなことを指すのか。

世界が多様であるのは間違いない。しかし世界は広いかと問われれば、それは定義次第であろう。見方によっては、広い世界は必ずしも外にあるのではなく、自らの足元にも、そして我が身の内にもある、そう言えるのではないかな。

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2016.05.07

古人曰く

イエスは「新しい酒は新しい皮袋に」と言った、そうマタイに書いてある。新しい内容を表現するためにはそれに応じた新しい形が必要であるということ。いつまでも古い形式にばかりこだわってはいけないというたとえ。これは一種の進歩史観かもしれない。

しかし本当にそうなのか。言っている内容や思想に新しいものと古いものの区別があるのであろうか。

たしかに時代背景が違うので、表面的には違いが出てくるかもしれない。実用的な内容では時代遅れになっているかもしれない。例えばフィルムカメラの解説書には、デジタルカメラの時代には不要な記述が多いであろう。

けれども本当に古いものは役に立たないのか。表面的な違いだけ見ているとそうかもしれないが、その根底にあるものの考え方を読み取る力があれば昔の技術書も役に立つのではないのか。古いカメラの解説書にも、被写体の切り取り方や撮影者の心構えなど、参考になる記述が多々ある。

昔何かを言ったり書いたりした人も、今それを聞いたり読んだりしている私たちと変わりはない。それ以上でもそれ以下でもない、今の我々と同じ知性を持った人たちである。親の世代も今の私たちと同じように苦労し悩みながら考えていた。それは祖父母の代もその前も同じ。いや昔の人の方が偉かったかも知れない。とすれば先人、古人の言ったこと書いたものには、今に通じ我々が汲み上げるべきものが数多あるはずである。

では何を読み取るのか。そのものの言い方からは時代を感じるかもしれないし、書き方を見ていれば古臭いと感ずるかもしれない。だがその違いを乗り越えて耳を傾けるべきは、先人がそこに盛り込んだ内容であり、我々と同じように脳漿を搾って考えたこと、感じた実質ではないのか。古きも新しきも読むことに何ら変わりはない。

そうなると「新しい酒は新しい皮袋に」という教えは間違っているのであろうかという疑問が生じてくる。しかしそうではなかろう。実はこの言葉は、新旧という軸で論じているように聞こえるが、そこに内容(酒)か形式(皮袋)かという軸が重ねられているのである。これは新旧の区別ではなく、内容か形式かという区別を主軸にしている発言である、そう考えれば納得できる。

ただ、形式の違いを乗り越えて内容そのものを把握するには、多少の努力が必要かもしれない。箱の外に出て見る、抽象の度を上げて考えてみる。楽に読める今のものばかりに依拠するのはではなく、少しだけ頑張って想像力を働かせながら先人の書いたものを読んでみる。それを続けていると、古人の言に共感することが多くなる。小島憲之氏の『日本文学における漢語表現』を読み返していての感想である。

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