同窓会報というのは、どこのものでも丹念に見ていくと興味ある話が掲載されている。ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジの学寮長を務めたアマルティア・センは、そこの同窓会報に「暴力と市民社会」という話を書いていた。これは2009年に同大学で行った講義をもとにしたものである(Cambridge Almni Magazine Issue 64 Michaelmas 2011)。
(その意思さえあれば、今は様々な形で優れた知性の持ち主の話を見聞することができる。この話は、"Peace and Democratic Society"と題する本の一部としてOpen Book Publishers www.openbookpublishers.comでも読める。さらに彼の話を色々なサイトで聞くこともできる。便利になった。)
彼の主張は、戦争やジェノサイドやテロリズムといった組織暴力の原因は、「文明の衝突」や「貧困と不公正」などといった単一の要素に帰すことが出来ないというものである。それは様々なアイデンティティーを認める彼の人間観に基づいている。人間の多様性とは、世界には多様な人がいるという意味であると共に、同じ人間の中にも様々なアイデンティティーが共存しているという意味でもある。
セン教授は、暴力を回避するのは軍事力ではなく民主的な対話であるとし、その上に人が短時間に変わり得ると存在であることと併せて、暴力を排した平和的社会が可能であると説く。人間は短時間で変わり得る。それは良い方向にも悪い方向にも。悪い方向への変化は、セン教授自らがインドとパキスタンの分離の頃の人々の変わりようを挙げている。それでいながら尚も彼は、人が良い方向にも短時間で変わりうるとして、未来に希望を託すのである。
アマルティア・センの、人のアイデンティティーの多様性を認めようとする話には、自分の体験で得た人間観との幸せな一致がある。また同時に、かつての渡辺一夫氏の寛容に関する一連のお話も思い出すことになった。
センの行文は圧縮されていて読むのに集中力がいる。概念同士の直接的な結びつきを理解するためには、多くの言葉を補わなければならない。現在の日本語にしたらどうなるか、以下にその試みを付してみる。どれだけ明瞭な表現にできるか、色々試したことも面白かった。
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暴力と市民社会 アマルティア・セン
現代の世界にはテロリズムと政治的暴力が満ちているが、近年そのような災厄を除去しようと多くの試みがなされている。ときには軍事力が素早く動員されるが、その動員について十分な正当化がなされていない場合もある。
しかしそのような集団暴力に対処するのが、まず軍事力というわけではないし、その専管事項でもない。軍事行動が限定的には効用があることについては争わない。しかし、今日の世界に存在する組織的暴力とテロリズムに立ち向かいそれを克服できるのは、国家レベルでも世界レベルでも、市民社会なのである。
組織的暴力を排除するためには、なにをすべきなのか。それは広い意味で民主主義の一部となるもの、つまりジョン・スチュアート・ミルが分析した「議論による統治」である。それは単に投票や選挙というような個別の民主主義の制度の集まったものというだけではなく、対話であり、情報の自由であり、制約のない議論である。市民社会により平和を実現するというときは、これらが中心的な役割を果たすのである。
まず正さなければならないのは、混乱して紛争の原因となりがちな世界の読み方である。私たち人類は、国籍、言語、宗教、職業、近隣地域、社会的関与、その他のつながりなど、誰もが様々なものに属しているのであるが、その中の一つだけを重要なアイデンティティーとして区別すると、集団の間に暴力が生じてくる。
このような考えをするのは、テロリストなど集団的暴力を事とする徒だけではない。西側社会で宗教の違いを重視する者も、紛争を不可避の「文明の衝突」と見ることによって、この考えを支持することになる。仮に善意であったとしても、宗教間の対話拡大に慎重であることは(今はそれが主流であるが、アイデンティティーがいくつもあり、社会関係がいくつものチャネルで成り立っているという大きな図柄を明確に認識していない限り)、市民が言語、文学、文化機能、社会的交渉、政治的信条など、その他の関係性を持つことを阻害する。
文明の衝突という考え方の基礎には、歴史を人為的にゆがめて見るところがあり、異なる土地に生育する木のように、それぞれ固有の「文明」が別個に発展してきたと考えているようである。文明論的アプローチは、世界の歴史の多くを捨象しているだけではなく、人間のアイデンティティーを語ることにおいても実に粗雑である。その結果は大変なことになりかねない。個人の争いが、相異なる文明間の敵意と解釈されてしまうのである。
世界の暴力が文明に由来するとする説明の基礎には、人間のアイデンティティーを単独とする見方がある。人間が一つのグループにのみ属すと考え、生まれ落ちたところの文明なり宗教だけでその人間が決まると見ているようなのである。しかし実際には、単独由来の考えでは、世界のほぼすべての人を誤解することになる。私たちの普通の生活を見てみれば、自分がいくつものグループのメンバーになっていて、そのすべてに属しているのである。同じ人間が矛盾することなく、南アフリカの市民であり、アジアの出身であり、インド人の先祖を持ち、キリスト教徒であり、社会主義を信奉し、女性であり、菜食主義で、ジャズを演奏し、医師であり、女性擁護論者であり、普通の結婚をし、なおかつ同性愛者の権利を守り、目下最大の課題は南アフリカをどうしたらクリケットの世界チャンピオンにできるかと考えることが可能なのである。
個人にとっては、このようなアイデンティティーのそれぞれが大切なことで、重要度は現在抱えている課題や選択した状況によって変わってくるし、アイデンティティーの中での優先順位は、その人の価値観や社会の圧力によっても影響される。宗教、コミュニティー、地域、国、世界など、どのような文明のアイデンティティーを持とうと、あるアイデンティティーがその他の関係のどれよりも優先すると考えることには、根拠がない。
従って、世界の暴力を「文明の衝突」というレンズを通して理解しようとする考えは精査に耐えられない。理由付けはあまりに根拠薄弱である。それなのに、単一のアイデンティティーの信奉者により、世界中で「作られた流血」の事態が引き起こされている。この人為的な操作は、多くの場合、相違を排除するという形態をとる。
子供の頃を思い出す。それはインド独立直前であったが、ダッカとカルカッタ、その他の都市で、1940年代の印パ分離の政治の動きにからんで、ヒンズー対ムスリムの暴動が突然起きた。政治が共同体内での差別を徹底したため、平和であった人々は戦闘的なヒンズーとムスリムに急速に変わっていった。このような紛争が自然的に発生したとか不可避的に発生したといったものでないことは、その後のバングラデシュと西ベンガルの分離では、平和的で寛容で政治に宗教が関わらなかったという歴史からも明らかである。東パキスタンでは、暴動の続いた数年間といえども、言語と文学によるアイデンティティーが宗教的セクト主義のアイデンティティーよりも強かったために、バングラデシュとなって宗教と切り離された民主主義的な政体ができると、そこのムスリムはそれをすんなりと受け入れた。良きイスラム教徒であることと、ベンガルに忠誠を尽くすこととに矛盾はなく、すべての人に宗教的な自由が与えられたのである。
文明や宗教やコミュニティーが衝突するのは必然であるという主張は打破しなければならないが、そのことはひとまず措いておく。宗教上の違いが今日いかに大きいように見えても、それ以外の相違からも対立や虐殺が生まれてくる可能性があるのである。
たとえば、1914年から1918年の間の、欧州での血で血を洗う争いでは、国家や愛国心に訴えかけがなされ、キリスト教という同じ宗教を信じていても、ドイツ、イギリス、フランスは戦いをやめなかったのである。しかし今日ではドイツ、イギリス、フランスは平和的に交際し、欧州で決め事をするときに、武器に訴えることはなくなっている。
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ひとまず文化的アプローチについてはお仕舞いにしよう。では他のアプローチ、政治経済からのアプローチはどうか。このアプローチでは、貧困と不平等が暴力の原因になると見る。不平等による不公正が不寛容を招き、貧困の苦しみが怒りを呼び起こすかもしれないというのは、考えられない話ではない。世界にはアフガニスタンからスーダン、ソマリア、ハイチまで、貧困と暴力の二重苦にある人々の例が多数ある。
確かに貧困は人々を絶望の怒りに追いやるかもしれない。不公正という感覚は、叛逆、それも血なまぐさい叛逆の十分な理由となるかもしれない。しかし貧困と暴力は単純に結びつけられるであろうか。貧困が集団的暴力の原因であるという主張は、経験的に見て粗雑すぎよう。二つを結びつけるのは、広く見られる現実にそぐわない。貧困と暴力に関連するその他の要素がいくつもあるからである。
インドの中で、というより世界の中でも、極めて貧しい都市、カルカッタの事例は示唆に富んでいる。そこでは犯罪率が非常に低いのである。実際には、重大犯罪について見ると、貧しいカルカッタがインドの都市の中でも最も低いのである。また、インドの都市は全体としても、世界の標準からすると暴力犯罪が著しく低くなっている。またカルカッタの自殺率は、インド国内ばかりではなく世界でも最も低くなっている。
勿論カルカッタの貧困を根絶し、住宅問題を解決するには、長い道のりが必要である。犯罪率が低いからといって、これらの問題がなくなるわけではない。しかし注意しなければならないこと、というより喜ぶべきことは、貧困であると自覚したとしても、暴力が不可避というわけではなく、政治的動きや社会や文化の相互作用とは関係ないということである。
貧困であっても平和で平穏であることは可能である。貧困と暴力を短絡させる思考には何かが欠けている、そう気付かねばならない。貧困になると既成の法規を否定したい気持ちが生まれるが、そうであっても特に暴力的に何かする動きが人に生まれるわけではない。
極貧になると、経済的に無力であるだけではなく政治的にも無力化する。極貧では戦うこともできないし、抗議の叫びを挙げることすらできない。極端に貧困な人は、驚くほど平和的で森閑としている。たとえば1840年代のアイルランドの飢饉では、人々は非常に平和的であった。飢饉が発生した時点では、アイルランドの人々が特に従順であるという評判はなかったが、起きてみると飢饉に際しても人々は秩序があり平和的であった。
けれどもこれによって、アイルランドの飢饉のときにの貧困や飢餓や不公平が、アイルランドの暴力に対して長期的な影響を及ぼすことがなかった、ということにはならない。不公正な取り扱いを受け、無視されたという記憶によって、アイルランドの人々はイギリスは自分たちとは違うと感じ、1世紀半以上に及ぶイギリスとアイルランドの関係史が血なまぐさいものになる原因となったのである。経済的な貧困によりすぐにも反乱が起きるわけではないかもしれないが、それであるから貧困と暴力とは無関係と考えるのは誤りであろう。
中東での経験にも似ているところがある。この数十年の中東の困難な状況はかつてと変わらないが、それには様々なことが影響している。世界の指導者がこの問題をはっきりと考えられないことも含めて。しかし色々ある中で、植民地時代に西洋の大国が中東を不当に取り扱った記憶を無視するわけにはいかない。新たな主人として諸国を服従させ、思うがままに国境を定め、さらにまたそれを決め直したのである。そのような力の濫用で19世紀には反乱が起きなかったが、征服された人々の沈黙は、踏み付けによる見せ掛けの平和であった。不当な取扱いの悲惨な記憶が失われることはなく、その問題が永久に解決したことにはならない。
貧困と不公正から暴力が生ずるという関連は、差し迫った問題とはならないかもしれないが、やはり強いものでその関連の可能性が否定できないとすると、貧困と不公正という要素にアイデンティティーと文化の要素が加わったときのことを検討する必要がある。アイデンティティーなり文化から暴力が生ずるという命題と、貧困や不公正から暴力が生ずるという命題とは、二者択一で競合するものではないからである。
貧困と不公正は、暴力を助長しそれを日常化するのに一定の役割を果たしているはずである。しかし貧困を社会や文化から切り離してみるのではなく、社会の他の特質との相互作用として検討する必要がある。
アルカイーダが西側を対象に行っていることは、いかなる理由でも正当化できないが、植民地主義者が過去にした不平等な取り扱いが引き金になっていることは事実である。過去のことは今の暴力を正当化する理由とはならないが、人々を盲目的な怒りに駆り立てるのである。
人間は軍事力、政治力、経済力の不平等には満足しない存在である。不平等が、軍事力の差によって生じないとしても、不満は生ずる。たとえば、世界的に何億もの人々が経済の発展や社会の進歩に取り残されたとき、あるいは経済メカニズムがうまく機能しないことにより、生命を助ける薬を最も必要とする人に提供できないときなどである。
集団暴力を考えるときには、テロリズムや殺人は勿論犯罪行為であるとのの理解を基礎として、効果的な安全対策を施す必要がある。しかしそこで考えが止まってはならない。様々な社会政策、経済政策、政治的施策は、暴力とテロリズムがそれに加担する兵士と心情的な同調者を集めようとするときに用いる彼等の主張を打破するものでなければならない。
文明の衝突という理論やすべての原因を経済に還元する経済還元主義の主張は、今日世界で起きている暴力を理解するために欠かせない、文化的要因や社会的要因や貧困と不公正の要因を排除している。これらの要素はそれぞれが単独で動くのではない。全体像を得るために大切な他の要素を無視して、一つの要素だけに集中すれば本質が見えるという短絡的な考えには、抵抗していかなければならない。平和で秩序ある社会を作ろうという人類の努力は暴力により否定されてきたが、そのような原因となる暴力の前例は克服できないものではないと考えることが最も大切であろう。
相互理解と社会の機能の仕方との間には関係がある、そのことがしばしば忘れられてきた。南アフリカの反アパルトヘイト運動を指導してきたネルソン・マンデラやデズモンド・トゥトゥ大司教の政治信条がなければ今日の南アフリカで和解はなく、暴力的な復讐に満ちていたであろう。同様に20世紀前半の二つの世界大戦を見れば、1914年から1918年の間に塹壕や戦場で多数の兵士の生命が失われ、1940年代には多くの都市に対して絨緞爆撃が行われた。しかし戦後数年のうちにものの見方が変わり、そのような大虐殺が全く時代遅れになったのである。
これらを総じていえることは、現在はとても実現不可能と思われることが、私たち自身の努力により実現可能で、明日には日常のこととなる可能性があるということである。ナディン・ゴーディマーの『書くことと存在すること』で引用されているプルーストの言葉に勇気付けられる。「やりすぎと恐れることはない、真実はその向こうにあるのだから。」このような認識が大切である。特に、混迷する世界で安全に暮らせないと人々が落胆している今の世の中では、尚更のことである。