無一物中無尽蔵
Iさんから「一年の御挨拶」を嬉しく読ませていただきましたとご返事をいただいた。充実した一年にとても嬉しく安堵した思いに満たされ、何時の間にか保護者のような気分になっているとも書いて下さった。
Iさんにはエルダーホステルで英国を訪問された時にお目にかかり、その後お便りを遣り取りさせていただくようになった。彼女のこの一年の大きな出来事は、自分達のお墓が完成したことという。
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形あるものは残したくない。遺骨は散骨で、風の運ぶままに自然に戻れればいい。と何の迷いもなくずっと思っていたのに、古稀を過ぎた頃から少しずつ心の中に変化が起こって来ていたようです。ある時ふと目にした「海を望む美しい墓地 まず見学しませんか」の霊園案内に何だかふわっと乗るような感じで夫を誘って出かけました。
六甲山の麓、緩やかの南東斜面に広がっていて、遥か前方に海が望めました。開放的な明るさそして心地よい風が優しく全身を包むようでした。二度三度訪れてみて、その時いつも優しい風が体を包むように吹いていてそれが決め手となって墓地を購入しました。今から三年前のことです。そして墓碑銘を決めるのに三年かかりました。
「無一物中無尽蔵」 父が晩年好んで書いていた中国宋の時代の思想家東坡の言葉です。なぜ父がその言葉を好んだのか聞かなかったのが残念ですが、私流に聖書の中にある「真理は汝に自由を得さすべし」と同じような事ではないかと思っています。ずっと以前父が私に書いていてくれたのを私はすっかり忘れていました。それを夫が出してきてこれに決めようと言ったのです。
それは私たちが決めていた横長の墓石に過不足なくいいバランスで収まり父の字をそのまま彫ることができました。大好きな父の字が墓碑銘になったこと。もうそれだけで嬉しくいいお墓だと満足しています。全て自然に決められていたように整い、その時がこなければ物事は整わないのではないかといった思いさえしています。柳沢さんの書いていらした「時間とは生命のこと」、これも私流に結びつけてそうだと思っています。
またまた長くなってしまいました。どうぞお元気で新しい年をお迎え下さい。
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Iさま
ご返事と近況のお知らせを有難う御座いました。保護者のような気分とのお気持ちを嬉しくいただきました。新しい叔母様ができたような感じです。
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お墓のこと、とても良かったですね。私はそれを考えるには少し若いのかもしれませんが、何となくご心境の変化を理解できるような気がします。私にも心境の変化があったからです。
それは「自分で何でもできる」から「自分の力でどうにもならないものがある」への変化です。そのことを一年の御挨拶では歎異抄の言葉を借りて自力作善からの転換と書きました。若いときは理知的に考え、自己の力を信じすぎるところがありますが、そもそもどこに生まれるか、どの時代に生まれるかから始まって、自分の力の及ばないことが色々あるのです(ただ自分の力を過信するからと言って、それを傲慢、無知と言ってはいけないのでしょう。若いときと年を経てからでは感じ方が異なるというだけのことです)。
今のところお墓については、Iさまの従来のお考えと同じです。死んだらそれまでと思っています。しかしそのような考えは、Iさまと同じように先になって変わるかもしれませんね。
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お二人で相談してお選びになった「無一物中無尽蔵」という墓碑に刻む銘も、そうなのだと心に響きました。英語ならLess is Moreという表現がありますし、つくばいに吾唯足るを知ると書かれてあるのも、壺中天のお話も、同じ趣旨でしょう。物がないのは貧しいことではなく、それにより制約がなくなり心身の自由度が増すことであると思っています。
机の上に野の花の一輪を挿して置けば、そこから限りない喜びを得ることができます。たくさんの豪華な花を飾る必要はありません。むしろ一つの花への敬意を表すべきかもしれませんね。
ただ物がなければ心が広くなるということを理解し実践するには、実力が要ります。物がないときそれを知恵と工夫で乗り越えられるか、与えられた或いは変化する状況に柔軟に対処できるかは、それぞれの能力の問題でしょうね。それができない人は物に頼り、ついにはそれに呪縛されることになるのです。
さらに、状況に柔軟に対処した上で、そこから尽きない喜びを引き出すのには、一段と高い次元の力が要ります。お選びになった言葉には、そのような考えが籠められていると思っています(ただ、できない人もいる、それにも事情があるかもしれないという配慮を欠いて、できない人を批判することも戒めなければなりませんが)。
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このような遣り取りをさせていただく間に、Iさまの良く整った文章から滲み出すお人柄や、ある種の香気のようなものに惹かれることが何度もありました。今回お父様の好まれた言葉を石に刻んだというお話を伺い、その一端が理解されたような気がしました。
どうぞお二人とも健康に留意され良い年をお迎え下さいますよう。


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