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2009.04.17

イースター明けの週も終わろうとしている。陽気が良くなって、外を歩けばじきに汗ばむ。郭公の声が森から聞こえ、ツバメの第一陣も到着したようである。近所の農家のトラクターが登ってくる。やあと手を挙げて挨拶。運転席に小さな孫の男の子が同乗してこちらを見ている。

野には野草の花が咲き乱れている。白い楚々とした花、鮮やかな黄色の花、淡彩の黄色の桜草、菫、赤味を帯びた紫の野生の蘭、色合いも彩度も様々。新鮮な緑の中にそれらの花が咲くさまを見ていると、ボッティチェリの春の絵を思い出す。ビーナスの足元に描かれている草花はいずれも実際の花で、その数は極めて多いと昔何かで読んだことがある。そこに描かれているものこそ、今自分が眼前にしている野の花々である。

町の第16回サロン展というのがあった。地元の絵描きや彫刻家が各自の作品を展示するのである。そこで音楽もしようとクローディーが言い出し、コンソート曲、トリオソナタなどを演奏した。

その練習のときのこと、あとから来たフランソワーズが我々の練習の様子をビデオに撮り始めた。フランソワーズはエロールと一緒に機会があるごとにビデオを撮っている。いつもの習慣ということかもしれないが、フランソワーズが撮影するのを見ていてある感慨を覚えた。彼女は転移したがんのため化学療法を受けている。来年会えるか、再び一緒に演奏できるか。あとにこの映像が影として残るだけではないのか。

しかしこうも考える。100年後に今この世で息をしている者の殆どすべては居ない。生身の人間だけではない。我々に関する文字も写真も映像もいずれなくなる。70万巻といわれるアレクサンドリアの図書館と同じ。フランソワーズのビデオに限る事ではない。今ここに書いていることも消えることになる。記録したければ記録し、したくなければしないまでのこと。あるがままに息をしよう。

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