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2013.02.04

学問と外国語 徂徠の場合

私たちがものを考えるときには、自分の使い慣れた言葉、つまりは母語で考えるのが普通である。しかしもっと深く考えよう、学問をしようというときには自国語だけでは足りない。和漢東西の書物に当たってみることになる。翻訳もあるがやはり原典に当たる必要が出てくる。

自国の学問水準が世界的にみて高かったとしても、外国語の知識は必要である。学問を深めていくには、自分だけで考えるのではなく異なる視点が欠かせないからである。その刺激が外の世界にあるというのであれば、外国語を学ばざるを得ない。大学で語学教育が欠かせない理由である。

また精密な概念を表す用語が自国語になければ、外から借りて来ざるを得ない。さらに学問体系そのものが自国にないこともある。そのようなときには自国語に翻訳せず外国語でそのまま学んでしまうということが出てくる。

今の日本で学ぶ外国語の主流は英語であるが(英語圏以外どの国も事情は同じであろう)、かつての日本で外国語を学ぶとは漢文を学ぶことであった。江戸時代に学問をしようとすると、素読から始まり漢文を習得する必要があった。そこで学者は、自分の専門と共に漢文の読解にかなりの精力を費やしている。或いはこうもいえる。まずは外国語を学ぶことから始まり、次第にその外国語で書かれた中身(専門分野)に入っていったと。

(これはその後の蘭学でも同じ。まずは語学を習得し、その後それぞれの専門書に進んで行った。福沢諭吉も緒方洪庵の適塾で蘭学を学び、まずは幕府の翻訳方となり次いで教師となったのである。)

奥医師であった父が江戸払いとなり、母の実家南総の本納村で青年時代を過ごした荻生徂徠(1666-1728)もそのような学者の卵であった。そこで数少ない漢籍を考えながら読んだことが、その後の大成の基礎となった。語学を身に付けつつ中身を考えたということになる。そして江戸に戻って教師となり27歳で著した処女作は語学書である。それが『譯文筌蹄』と『訓譯示蒙』である。

なぜこのような古い本を持ち出したのか。それは今の問題意識とつながるからである。人間はどのようにものを考えるのか、就中日本人には特有の思考法があるのではないのか。

外国語から自国語に翻訳したとき、外国語の影響が残る訳文を翻訳調という。逆に内外の翻訳で自国語の影響が残る訳文を和習という。和習は平安時代以来論ぜられ、江戸時代にも、明治にもあった。森鴎外の『二人』という短編にも「君の書いたドイツ文には漢学者の謂う和習がある。」という表現が出てくる。

和習が生まれるのは、日本人の思考法を温存しながら外国語を書くからである。それは今も昔も変わらない。ではその思考法は外国の思考法と対比したときに、どのような特徴があるのか。

そのようなことを考えているときに、荻生徂徠の『譯文筌蹄』を思い出したのである。彼が和習についてどのように考えているのか。そこに日本人の思惟の原型があるのではないか。近くの図書館には収蔵されていないというので、他の図書館から荻生徂徠全集の該当巻を取り寄せてもらい『譯文筌蹄』と『訓譯示蒙』を読んでみた。

『譯文筌蹄初編』の刊行は正徳5年(1715年)、死後に門人が『譯文筌蹄後編』を出している(寛政8年、1796年)が、実際に口述したのは前記のとおり27歳、1690年代初めということになる。この本は要するに作詩作文用の漢和辞典である。江戸時代半ば以降漢文を学ぶものにとっては、伊藤東涯の『操觚字訣』と並ぶ必携書であった。まず漢字があり、その日本語読み、意味、例文が続く。これを2434字について行う。ないのは発音記号だけで、今の語学の辞書と同じである。

辞書の巻首に「提言十則」という徂徠自身の解説がある(それに続く「譯準一則」は福島正則のエピソードの紹介で、何故これがここにあるのかは不明)。また後編冒頭に「文理三昧序」という文法論がある。

『訓譯示蒙』も『譯文筌蹄』と同時代に書かれたと見られる。そのうち1、2巻には『訓譯筌蹄』という名がついていて、翻訳、品詞、文法、語義を解説する。3、4、5巻は助字についての解説である。

丸山眞男氏の『日本政治思想史研究』の影響もあり、徂徠といえば日本政治思想史の中の大山脈と捉えていたのであるが、学者としての第一歩は外国語を教え辞書を作ることであった。徂徠の和漢を対比した言語観を知るために、翻訳者で『譯文筌蹄』と『訓譯示蒙』を読む会を企画した。そこから日本人の思惟の様式についての手がかりが得られれば良いのであるが。

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