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2013.11.16

懐かしき山や川

大量の人名をアルファベット表記にしている。ワードで置換をしてから、エクセルで頭の1字とそれ以外に分離し、頭の1字だけを大文字に変換して再度つなぐという処理をする。その工夫も面白かったが、作業をしているうちにもっと興味深いものが見えてきた。それは太古の氷の中に閉じ込めれたその当時の大気のように、苗字の中に溶かし込まれた私たちの原風景である。

言葉が生まれるときには、先に話し言葉(つまり音)があり、そのあとで文字による表記がついてくると考えるのが自然である。しかも文字表記は時代により地域により異なることも多い。そこでまず言葉を音だけで捉えるようにすると理解しやすいことがある。苗字も同じこと。

苗字の漢字を一旦忘れて、音だけを考えてみる。すると漢字に付随する意味が消し去られ、苗字が何を意味しているのか想像しやすくなる。この事情は外国でも同じ。ロンドンのAldgateやAldwychを文字から認識するのではなく音で聞いてみれば、それがオールド・ゲートでありオールド・ウィッチ(交易の場所、サンドウィッチやイプスウィッチも同じ)であることが容易く理解される。

今回の作業では人名に片仮名で読みが付いているので、それを利用してアルファベットに置き換えることになる。ただ一度に置き換えようとすると発音が正しくアルファベットに置換されない。そこで少しずつ作業を進めて行く。たとえばマツヤマ、シモヤマを、マツyama、シモyamaのように。

残りの片仮名の部分だけを眺めていると、それが何を意味するのかがよく見えてくる。他の苗字についても同じような操作を加えマツkawa、シモkawaがあれば、比較対象ができるのでマツやシモの意味を考えやすくなる。このような作業をしていくと苗字に内在する傾向が少し見えてくる。次のようなことを考えた。

(1)苗字の多くはごく基本的な語彙に還元される。難しい概念はない。自然に関する言葉と、大小、上中下、右左、前後、東西南北、出入、脇、根、元、本、末、口、春夏秋冬、色などの修飾を組み合わせたものが、日本の姓の大宗を形成している。しかも発音は大概が訓読みであって、漢字の音読みではない。つまり大和言葉を基本とするのである(現代の日本では帰化した外国人の外来苗字も検討する必要があるがこれは別の話になる)。

(2)今回扱った苗字を見る限り、地形に由来する苗字が多かった。たとえば山、原、野、石、岩、谷、塚、越などの言葉が使われている。川、池、沼、沢、井、岬、瀬、島、沖なども地形を表現する言葉といって良かろう。

そのような苗字は、ある場所の地形の名称がまずは地名となり、それが苗字に転用されたのであろう。確かに一家を識別しようとするとき地形・地名を用いるのは分りやすい。今でも身内の誰彼を区別すると、北海道の伯父さん、郡山の叔母さん、ボストンの息子夫婦というような言い方をする。桓武平氏秩父党の渋谷氏は鎌倉時代光重の代に薩摩に所領を得て、子供たちが祁答院・東郷・鶴田・入来院・高城の地頭となり、やがてそれぞれの地名を苗字として薩摩の雄族となった。

世界各地の苗字の起源も似たようなもの。フォードという姓はアングロ・サクソン起源の名前で、フォードという地形(渡渉できる浅瀬)が地名になり、その近くに住む者がこの名前を名乗るようになってできた姓である。フォードは7世紀に遡る古い英語であるとのこと。そこからアシュフォード、ミルフォード、スタンフォードなど変化を付けるのはそれほど難しくない。日本で稲作の田に絡めて川田、半田、本田、山田が生まれるようなものか。

(3)姓の作り方は2つある。田上、山脇のように最初に地形を示しそれに位置関係を付加するというやり方が1つ。あるいは先に形容詞があり本体の名詞が続くこともある。西川、上野はその例。各要素をどのような順番に並べるか、その語順から日本語の作り方が見えてくる。

(4)地形以外の自然に由来する苗字も色々ある。松、杉、檜、椎、榊、樺、楠など木の苗字も多い。熊、亀、鶴、鬼など想像上のものを含めた動物もある。特に木の名に由来する姓が草の名に由来するものより多いのは面白く感ぜられた。木の場合は草よりも寿命が長く、その木のあるところに何代も住み続ける一族を識別しやすかったからであろうか。

(5)人々が集まり集落が大きくなり、交易が行われ、専門職業が分化してくるとそれを意味する村、町、田、畑、里、長、鍛冶といった言葉が苗字に入ってくる。あるいは国分、三宅、庄司や源平藤橘を起源とするものを見ていると日本史を復習するような趣がある。職業を苗字にするのは、確たる証拠はないがもう少し歴史を下ってからのような気がする。

(6)対になる概念では、優位にある表現は使われるが、劣位にある表現は使われない。高はあるが低はない。長はあるが短はない。家族の無事を祈り家の繁盛を願うのが人の心である。家名に使う言葉に否定的なものを避けるのは当然かもしれない。

以上、大量の人名をアルファベット表記に書き換えるという単純作業であるが、苗字を分解してみると原日本の風景が見えてくる。荻、萩、篠などの文字からはまだ人手が余り入らなかった頃の山里や武蔵野が想像される。苗字には私たちの祖先がこの列島に定着し始めた頃の懐かしい記憶が取り込まれているように感ぜられるのである。

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