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2014.12.11

父の誕生日

今日で満91歳となる父に電話をし祝意を言上する。話をしていたら今年の年賀状には歌を添えるという。

 独り居はこのことかなと知るたびに
 老いしこの身を励まして生く

下の句の「この身を励まして」という言葉に思わず心が動かされた。この年齢にして尚前向きに進もうとする気力が表出している。

父は巌のような性格で、それを受け継いだ一人息子はしばしば対立し、かつてはそれが激しかった。こちらが学生の時、母が漫画を描いた。左側に槍を突き出す父が居る。右側に刀を構えた息子が立つ。父のところには「士官古流」とあり自分のところには「自我東大流」とある。どっちもどっち。母は自ら描いたこのポンチ絵を大変気に入っていた。

同じでありつつ別の面では水と油、対立は長く続く。しかし母が亡くなり父が高齢で独居をするようになり、こちらはいやでもその父と相対さざるを得なくなる。夫々がその年齢に達したということか。母が亡くなった年の暮れ、ちょうど3年前に父は大腿骨頸部を骨折して入院、こちらも足繁く通うことになった。その中から、父の知られざる一面が見えてきた。

骨折したときの手術は大腿骨をボルトで固定するものであった。手術を終えてから父は退院の日を早めるためにリハビリに真剣に取り組んでいた。

ところが予後が思わしくなく、人工股関節を埋め込む2回目の手術をせざるを得なくなり、入院期間も3ヶ月から6ヶ月に伸びることになった。父は再手術と告げられ一時落胆した。今自分は88歳、残る時間は短い。残された12年のうちの6ヶ月は余りに大きい、というのがそのときの父の言である(だがこの算数をしてみると、父は100歳まで生きるつもりである)。

しかし、何としても自宅に戻り従前の生活を続けるのだとて、父は再びのリハビリに励んだ。病院内でも職員や入院患者の誰彼と積極的に話をする。皆のことを頭に入れ病院の影の事務長と言われ、高齢女性たちの中でハーレムを作った由。そして予定より早い回復をして5ヶ月余で自宅に戻った。

この秋に父は親族の葬儀のため車で御殿場から長野まで400キロ余を往復した。同乗のこちらが運転すると言うのに、自分の運転の方が安全だと主張しわずかしか運転させてもらえない。

その長野からの帰りのこと、お許しが出て少しの間当方が運転した。制限速度の少し上で走っていると、ちと遅いと言われる。普段の運転、推して知るべし。

田舎の交差点で止まった。信号の対向に止まっていた農作業の軽自動車の発車がわずかに遅い。やや慎重に交差点を抜けた後のこと。「あれは少しとろいな。青になる前の目つき顔つきを見ていればわかる」と。信号待ちの間に助手席から十メートル余も先の軽の車内の運転者の顔まで観察している。当方はそこまで見ていなかった。まあこれならもう少しの間運転できるかもしれない。

父は腰とは別に膝の故障も抱えている。立ち居振る舞いの度に痛いというが、これは墓場まで持っていくのだと言い、それに耐えながら車を運転している。今も自分で買い物をし料理を作り、碁を打ちに出かけている。こちらが殊勝な気になり訪問の頻度を上げようとしたら、来なくてよいとの仰せ。近所の和子さんから、密かにモンスター老人と言っているのよ、そう聞いた。

生への強靭な意思と気力。先祖の誰かにそのような気質を持った人物がいたのであろう。それが父に伝わり息子に受け継がれ、またその先につながる。

それを知ったうえでもう一度この歌を読んでみる。生きるとは斯くあることか。

 独り居はこのことかなと知るたびに
 老いしこの身を励まして生く

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