« October 2017 | Main | December 2017 »

November 2017

2017.11.27

役に立つ

曾て日本語を教えた女性から依頼があった。長く勤めていた日系の会社を解雇された。出産・育児休暇から復帰した直後のこと。納得できず不当解雇で訴えており、その審理に必要な日本語の資料を訳して欲しいと。

資料を読んでみると彼女がそういうのも無理はない。何度か彼女とやり取りをしながら事実を確認し、文書を訳して裁判所に提出できる形にした。

途中でも元気付けたが、最後にこう書いた。「すでに新しいお仕事に就いているようですが、あなたの元の上司、というか元の職場と長く争うのは時間の無駄です。残念ながらそれに値しません。前に進みましょう。私もオックスフォードのソフトウェアの会社にいるときに人員整理で解雇となりました。でもそれが自分の世界を広げるきっかけとなったのです。2人のお子さんとの貴重な時間も大切にしてくださいね。将来に幸あれかしと願っています。」

その後で彼女はプロフェッショナルネットワークに書き込みをしてくれた。Very professional and transparent. Good communication. Yanagisawa-San is a very scholarly man and a patient teacher. He also produces very good quality translation from Japanese to English. I would definitely recommend him to others.

誰かの役に立てることの有難さを感ずる。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.11.24

生きることが仕事

しばらく父のところにいた。今年2回目。1万キロ先から来るのは手間であるが、子として世代としての当然のお役目。父は来月には94歳となる。前に書いたが6年前に母が亡くなってから一人暮らしをしている。「死にそうになればわかるが、まだそんな気はしない。そのときは電話する。今は来る必要はないし来られても困る。2年したら裏の老人ホームに引っ越すのでそのときお前たちがここに住むように。」との仰せ。

とはいえ高齢者のこと故に来ればすべきことは多々ある。今回は家の庭や外回りの手入れ、人に頼みにくい細々としたこと、古い荷物の整理もする。父の指示に従いあれこれを片付ける。古道具は業者に見せても一文にもならず、市の粗大ごみ処理場や廃品回収業者のところに持ち込み費用を払って処分する。それがご時世。人々が必要とするモノも移り変わる。大概の品物は消滅し、各人の記憶に留まるのみとなり、その記憶もその人が世を去れば失せる。

相続の話もする。今の住まいや財産のことよりも、思い入れのある父の故郷の土地や山林の話を拝聴する。固い岩同士がぶつかり合うようであった父子が淡々と書類の引継ぎをする。それは無言の和解かもしれない。

父は両手に杖を突くような状態でありながら車を運転し、月水金土曜日の日中はデイケアに出かけ、火木には弁当を持参して碁を打ちに行く。数か月前の運転免許更新時の認知機能検査でAであったと自慢していた。夜は手慰みの株のためではあるが経済の解説を聞いてメモをしている。買い物も炊事洗濯も自分でする。

父曰く、先月25日に近くの郵便局の入口でよろめき手すりを掴んだところ、その手すりが外れて転倒した。背中から落ちたがとっさに柔道の受け身で難を逃れ、職員や周りにいた人が助けてくれた。あざはしばらく残ったが人工股関節や膝に別条がなくて何よりだった。郵便局長が何度も訪ねてくれ、地域の各郵便局に施設の再点検をするよう通達も出されたそうだ。

この年齢になれば生きていくことが仕事。母が亡くなってから

 独り居はこのことかなと知るたびに
 老いしこの身を励まして生く

という歌を詠んでいるがそれから数年にして尚斯くのごとし。百まではいけるかもしれんという。その強靭な意思と生命力。

しかし父が自分で予定しているほどの時間的余裕はないであろう。実際のところ極めて限られている。当方の遊行も終わりにして店じまいをする時期が近付いている。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.11.18

重なる響き

TrTrTnBの編成でジェンキンス、ブル、フェラボスコ、ミコ。すべての楽器の音程がぴたりと合い、2つのトレブルが重なり合いながら透明な音を伸ばしていくときの気持ちの良さ。充実した4時間であった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.11.17

機械はそうそう間違えず

早朝の列車。17号車57番座席。7が2回続くので覚えやすい。席についてもう一眠りしていたら途中で検札が来て目が覚めた。昨日作った栗おこわで朝食を摂る。そのうちに列車はカーンに着いて車内の乗客が増えてきた。通路を挟んだ隣の紳士が、新たに来た乗客にそこは私の席よと指摘されて立ち上がった。

するとその立ち上がった紳士が今度はこちらに向かって、実はあなた、そこが自分の席なんだがという。おや変ですねえ、17号車57番座席、ほらそう書いてありますよとこちらの切符、といっても予約したものの印刷物を見せる。彼も持っている切符を見せてくれるがやはり17号車57番座席とある。二人で変だなあと言い合いながらも、後ろの座席が空いていたので彼はそちらに座った。もう後は終点まで停車しないので実害はない。

弁当を食べ終わって考えてみる。彼の切符は駅で発行されたもの。駅で二重発券をすることがあるのか。システムはそこまでお粗末なのか。さっきこちらの切符の検札に来た車掌に聞こうかと思ったが、待っているとなかなかやってこないもの。車内で格別やることはない。もう少し調べてみよう。こちらは往復の列車を予約している。そのプリントアウトを点検してみる。

そこでわかった。17号車57番座席は正しいが、それは復路の切符の指定であった。10日後のもの。道理でさっきの車掌がこちらの切符のバーコードを読取った後で一瞬読取機を見直していたわけだ。当方の間違い。後ろの紳士に失礼を詫びた。多くの誤りは人為的なもの。機械は言われたことは正しく実行する。人間のミスがよく話題になるが、それは他人事と思っていた。自分がそれをする一人であったとはね。まあ当たり前の話なのだが。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

チョキチョキ

七分丈のズボン下が少しくたびれてきた。別に足首までのものが手付かずである。何年も前に母が買ってくれてそのままになっている。ふと閃いた。これを七分丈にすれば良いではないか。どうして思いつかなかったのか。自分の丈に合わせてチョキチョキとやって裾上げをして完了。

新しいものを身に付け箪笥の肥やしも少し片付き一挙両得。何よりこのような思考回路がこの年齢でも少しずつ形成されていることに満足を覚える。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.11.14

鈴木石見

「永夜茗談」は編者不明であるが、戦国から江戸初期の武将の逸話を集めたもので、そこには我々の祖先の気構えや倫理そして寛仁大度が写し取られていて心地よい。内容は実記であると見られているが、その文遣いは江戸中期には既に古体と感ぜられたという。

そこに記録されている一つの挿話を古体を残しつつ少し書きなおして以下に掲げる。この話は「名将言行録」であったかどこかで読んだ記憶があるが、この「永夜茗談」では能狂言に残る物言い、さらには平家物語などに遡る古い趣を残した表現で書かれている。読んでいるとそのような武者の声音が耳朶に響いてくるような気がする。

鈴木石見と云ふ者は権現様から水戸中納言殿へ御附けなされ候隠れ無き武辺の者である。或る時石見が水戸殿の刀を持ち、御城大広間の溜の間に在りしが、伊達正宗も其所に居られしかば、石見は目を放ちしかと正宗を見る。

それ故正宗も不審に思い石見に謂いて曰く、「其の方我等を目を放さず見られ候。いか様の事に左程見候や。其方は何者ぞ。」

問われて石見答へけるは、「我等が事は聞きも及ばれ候べし、水戸殿の内に鈴木石見とて隠れなき者にて候。御自分(正宗)の事、音には聞きしかど見る事は今が始めなり。然れば水戸は奥州の御先手にて候、奥州にて逆心をすべき者は、御自分より外になし。依て御自分の顔を能く見覚え置き、逆心あらば其方の御首を取る可き為に斯くの如く見申し候。水戸の内にて其方御頸を取るべき者は拙者ならではなし。」

正宗其の心入を感じ、「我等ならでは奥州にて逆心すべき者はなしと見られ候は、如何にもよき目利きにて候。しかじかの日に申し請くべし」とて則ち水戸殿へ其の断りを云て私宅に呼び寄せ、自身に給仕をして殊の外馳走し、終日顔を見せられしとなり。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

絞られる

クローディーのところでリヨンとデイヴィッドの2人と初顔合わせ。2本のフルートによるソナタばかりをやる。バッハ、ヘンデル、テレマン、クヴァンツ、エマヌエル・バッハ。リヨンとクローディーがフルート、デイビッドと当方で通奏低音。

デイビッドはロイヤル・アカデミーで学び、ウィリアム・クリスティーのレザール・フロリサンのメンバーだったが、声帯を痛めて引退。そんな人物が近くにいたとは。彼はすべての声部を聞いている。誰かが落ちるとその声部を歌って救い上げるが、止めてはくれない。アンサンブルはレース用のエンジンに換装されたようなもの。

こちらも一つ指摘された。小節の終わりを引き継いだ次の小節冒頭の歌い方。このパターンでの弓使いはこちらも注意しているところであったので、うんそうだそうだ。有難う。

無駄口はない。ひたすら音楽をするのみ。始めたら彼の何かに火が付いたようで、3時から8時まで随分絞られた。久しぶりの刺激。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.11.06

広がりと奥行き

人の関心は好奇心の赴くままにどこまでも広がっていく。知識だけの話ではない。旅行、蒐集、お付き合いなどでも同じこと。若いときにはその傾向が強い。幅広く知っている、多くの国を巡っている、多数のコレクションを持っている、広範囲に交際している。

そのようなことが好きであれば、間口を広げるのも良い。しかし広げすぎるとその一つ一つとの関わり方が表面的になる。体力もいるし、何より各自の持ち時間は限られている。さてどうしたら良いのか。

そこで思い切って幅を狭くしてみる。敢えて数を少なくする。その代わり手元に残ったものを大切にする。機会は少なくなるかもしれないが、その少ない機会に努力を傾注してみる。手に入れたものは丁寧に使う。数少ない友達を大切にする。

それを続けていると、物には愛着がわくようになり、お付き合いが深くなる。仕事なら満足できるものになる。それを奥行きと言ってもいい。二次元の広がりが三次元の奥行きとなり立体的になる。

ただ奥行きが生まれるには、もう一つ隠れた要素が必要になる。それが時間。ゆっくりと時間をかけ仕事をする、玉を少しずつ磨いてみる、その場所を何度も訪ねてみる、ある人とじっくり付き合ってみる。それによって気付くことは多い。認識が深くなり共感が生まれてくる。深い理解とは時間の賜物であった。

奥行きが生まれるのには時間が大切であるとすると、そこに達するのには一定の経験と年数を掛けねばならないということになる。始めたばかりの人や若い人に性急に奥行きを求めてはならない。多くの人はそれなりの奥行きをいずれは身に付けるのであるから。頑張れ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« October 2017 | Main | December 2017 »