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2017.12.31

こちらから動く

冬休みで一家で来ているCがPの家の電灯を直した。灯りが点かないと聞いて前触れなしに現れて直したのである。彼はパリで電気工事の仕事をしていてお手のもの(当方の東半分の改装のときも手弁当でやってくれた)。Pがそれを徳として一家を招く。こちらもお相伴に与る。お互いに招き招かれをしている。彼の方から自発的に動いて事態が進展する。それにより村とのつながりが深まる。こちらの記憶にも残ることとなった。

その後このエピソードについてある方とやり取りをして議論を深めたので、少し補足する。

(1)人間のこのような基本的な行動様式には、言語や文化が違ってもそれほど違いはない。

(2)違いがあるとすれば、都会と田舎での人々の振る舞い方の違いであろう。都会ではドライに済まそうと思えば大概のこと(すべてではないところが味噌)は金銭で解決する。それに対して田舎は現金収入が限られているからか、人と人とのつながりを頼って問題を克服する。収穫の時など共同で農作業をしなければならないため、普段からお互いをよく知ったうえで頼りになりそうな人に目星を付けている。

(3)とはいえ都会の人はすべてドライで、田舎の人が皆親切ということにはならない。同じ人間が環境に応じて振る舞いを変えるだけのこと。田舎では金銭の帳簿は大雑把かもしれないが、それ以外の長期的な貸し借りはお互いに十分に記憶の帳簿に付けている。一方的な善意の持ち出しでは割に合わないと考えるのはどこでも同じで、持ちつ持たれつの関係となる(勿論篤志の人がいて力のない人を助けるということはどこにもあるが)。

(4)彼の行動を見ていて感じたのは、善意を自分の方から他人に分かつ人がいて、その結果人の輪が広がっていく、ということ。押し売りになってはいけないが、善意の積極性が良い循環につながる例を見たと思った。

これは露伴の言葉を借りれば、福を分かつ、福を植えるというようことかもしれない。

別の喩をすれば累乗の問題となる。つまり人にはそれほど違いはなく、その平均を1.00とすると1.01と0.99くらいの差しかない。ただ1.01を何回も掛け合わせていると非常に大きな数になる。また0.99を何回も掛けているといずれは0に近くなる。Cは本来が1.01であるところで、手を差し伸べたことにより、さらに1.01を掛けたのである。

彼は自分のできる範囲で福を分けそれが善意の循環になり、パリ暮らしであるが村の人々と一歩近くなった。そのときにこちらが際会したという訳である。笑う門には福来るとも通う(ただ、都会でも村でも皆がそうではない。付き合いがごく狭い人もいるのはどこも同じ。結局はその人次第)。

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